今日は午後から通常のヘルシンキ市内観光。午前中の自由時間に古い友人が会いにきてくれて、ムーミンカフェをみんなで訪れることにした。
市内何か所にもあるが、ストックマンデパート内のものへ↓
二階の一角に発見。思ったよりも小さい↓
このムーミンが目印
さっそく注文したのはメレンゲでできたニョロニョロ どこから食べる?
グッズも販売している↓
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お昼にチェックアウトして、お天気のヘルシンキ市内を今度はバスでめぐる。
シベリウス公園では↓
大きなリスが青空と太陽を楽しむようにちょろちょろ↓
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ヘルシンキ観光の目玉といってよいテンペリアウキオ教会
小松は内部と共に屋根の上をみてほしいといつも思っている。滑りやすい岩場なので、雪があったり凍っていたりする時にはお連れしにくいのだけれど、ちょっとだけでも外からこの屋根を見てから中へ入ると、建物全体の印象がかわってくる↓
テンペリアウキオ教会は1930年代のヘルシンキ開発の一環として、当初このような形が岩の上に築かれる予定だった↓
★このプレートには、1939年11月30日からの「冬戦争」で建設が中断されたとだけ書かれている。
「冬戦争」という言葉だけでは見えてこないが、これはソ連が国境を越えて進軍してきたということ。
1939年は、ドイツ軍が9月1日にポーランド侵攻を開始して第二次大戦がはじまった年。
同年9月29日にエストニア、10月5日にラトビア、10月10日にはリトアニアがソ連に事実上併合されている。
つまり、ソ連はフィンランドも飲み込もうとして進軍していたのだ。
直接の進軍理由は、「国境付近でフィンランド側からソ連軍が攻撃された」というもの。
1931年満州事変のスタートとなる柳条湖事件を思い出させる。
日本軍はやすやすと満州を占領してしまったが、ソ連はフィンランド軍の必死の抵抗で苦戦する。指揮したマンネルヘイム元帥の騎馬像をきのうの夜にキアズマの前で見たっけ
国際社会は実質的に軍事支援をしてくれなかったが、フィンランドはソ連の思うようにはさせなかった。その年の厳しい冬がフィンランド軍に味方した。何倍もの兵力を投入していても、団結した小国の信念を打ち砕くことは出来なかった。翌年春に領土を一部割譲する妥協をして戦争は終結した。
その後は(心ならずも)ドイツの味方をすることでソ連に対抗した。
戦後も長い間そのままになっていたこの岩場、1961年にあらためて建築コンペが行われ、1969年にやっと聖別されて教会としてスタートした。
岩場をダイナマイトで爆破してつくりだされた斬新な空間↓
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冬季にもかかわらず、良い天気の今日は港にテントの店がたくさん出ている↓後ろに聳えるロシア正教会もあとでいってみよう
道路をわたってすぐの市庁舎ロビーでトイレ借りましょ↓
ロビーにある「チェーン」と題された現代彫刻は指の形をつなげてつくられている↓
古いヘルシンキのガス灯が残る石畳を少し歩くと、元老院広場の上に白い大聖堂がそびえている↓
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先ほどのロシア正教会も訪れよう↓フィンランドは1809年からロシア革命の1917年までロシア領だったから、今でもロシア正教徒がけっこういるのだ↓
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今晩泊まるクルーズ船シリヤ・ラインが停泊する港とその先の港湾エリア近くをドライブ。最近できたというサウナなどの複合施設がおもしろそう。今度(いつ?)行ってみよう↓
今年二月に訪れた「ロロイ」というサウナの建物にものぼってもらう↓
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そして、シリア・ラインのシンフォニー号へチェックイン。キーカードでゲートを通り、部屋へも同じキーで入る。
昔に比べるとずいぶん楽になった↓
今回はいつもとちょっと違う上位クラスの部屋。そのコモドアクラス用のダイニングを楽しむ(^.^)