ミラノの下町、周囲のごちゃごちゃした現代のビルを圧するように16本の古代の柱がそびえている↓
四世紀、最初の教会を建設する時に、二世紀のギリシャ神殿か浴場からもってこられたと考えられている。
ちょうど旧市街の門の入口で、教会との位置関係も考慮して設置されたのではないだろうか。
柱から教会の入口までは広場になっている。戦前にはここも民家で埋めつくされていたのだが、戦後にとり壊された結果の教会への効果的な前庭になっている。
↓教会の入口から、古代の柱をみたところ↓
↑片手をあげている銅像は現代になってから設置されたコンタンティヌス帝のブロンズ像。
ここはミラノの南に位置するきのう我々がおとずれたパヴィア=古代のTicinumへの主要街道沿いになる、ミラノ屈指の歴史ある教会だ。
教科書の「ミラノ勅令」西暦313年後、アンブロージョの活躍した4世紀後半の時代にローマの競技場を取り壊して建設された。
20世紀の発掘で、礼拝堂の基礎にその石が今でも見られるようになった。
教会入口から見上げる八角形のドームは、横の塔に比べていやに新しい↓
それもその筈、このドームは中世の建設時に二度崩落(1071年と1124年、教会にある案内によると「火事と破壊行為」と説明していある)、現在のものは1573年に三度目の崩落があった後1589年ごろに後述の奇跡によって寄付があつまり、再び完成したもの
※こういう天井崩落の話はどこの教会でもあまり詳しく紹介していない
内部に入ると、円形に配置された柱が古代風な空間を維持している↓
柱をよくよく見てゆくと、古代の柱が逆さになってはめこんであったりする↓
中央の祭壇には奇跡を起こした絵が高々と掲げられている↓
もともとこの教会の礼拝堂外壁に飾られていたこの絵の前で、1585年ボロメオの死後ちょうど一年を経た日に、ひとりの女の子の不具が治癒した。
これは、ミラノの守護聖人になるカルロ・ボロメオが、生前予言していた出来事。
絵は教会の内部に移され、人々はご利益にあずかろうと詰めかけた。
この当時、教会の天井は前述のように1573年に崩落したままだった。
この奇跡は天井を修復するための寄付を効果的に集めたのであります。
***
サン・ロレンツォ・マジョーレ教会でいちばん見るべきものは、古代の礼拝堂↓
教会中央から右手(南)へ伸びた円形の聖アクイリーノ礼拝堂(建設当時は聖ジェネジオ礼拝堂)への入口には四世紀建造当時の装飾された石の門がある↓
入るとすぐに、青色が美しいモザイクがが修復の最中↓
内部に残るモザイクでいちばんきれいに修復されているのが
「十二使徒にかこまれた青年キリスト」↓
ここまで完璧に修復されたものよりも、一部だけ残された「太陽神としてあらわされたキリスト」の部分の方が、もっと見ごたえがある↓
↓左右の羊の花を嗅ぐ様子↓あっけにとられているような羊飼いのぼっとした顔
↑陰影、動き、ラヴェンナに残るガラ・プラチディア廟のモザイクに負けない出来栄えだ
正面に聖アクイリーノの遺骨が納められた銀の容器は16世紀のもの。
この後ろから、1913年に発掘された地下の部分へ降りることができる↓
見つかったのは、古代ローマの競技場の石材↓
古代の石材が八角形に広がるコンクリートの屋根をしっかり支えていた↑
外へ出るとそろそろ夕暮れ、中心部のホテルへもどろう↓
四世紀、最初の教会を建設する時に、二世紀のギリシャ神殿か浴場からもってこられたと考えられている。
ちょうど旧市街の門の入口で、教会との位置関係も考慮して設置されたのではないだろうか。
柱から教会の入口までは広場になっている。戦前にはここも民家で埋めつくされていたのだが、戦後にとり壊された結果の教会への効果的な前庭になっている。
↓教会の入口から、古代の柱をみたところ↓
↑片手をあげている銅像は現代になってから設置されたコンタンティヌス帝のブロンズ像。
ここはミラノの南に位置するきのう我々がおとずれたパヴィア=古代のTicinumへの主要街道沿いになる、ミラノ屈指の歴史ある教会だ。
教科書の「ミラノ勅令」西暦313年後、アンブロージョの活躍した4世紀後半の時代にローマの競技場を取り壊して建設された。
20世紀の発掘で、礼拝堂の基礎にその石が今でも見られるようになった。
教会入口から見上げる八角形のドームは、横の塔に比べていやに新しい↓
それもその筈、このドームは中世の建設時に二度崩落(1071年と1124年、教会にある案内によると「火事と破壊行為」と説明していある)、現在のものは1573年に三度目の崩落があった後1589年ごろに後述の奇跡によって寄付があつまり、再び完成したもの
※こういう天井崩落の話はどこの教会でもあまり詳しく紹介していない
内部に入ると、円形に配置された柱が古代風な空間を維持している↓
柱をよくよく見てゆくと、古代の柱が逆さになってはめこんであったりする↓
中央の祭壇には奇跡を起こした絵が高々と掲げられている↓
もともとこの教会の礼拝堂外壁に飾られていたこの絵の前で、1585年ボロメオの死後ちょうど一年を経た日に、ひとりの女の子の不具が治癒した。
これは、ミラノの守護聖人になるカルロ・ボロメオが、生前予言していた出来事。
絵は教会の内部に移され、人々はご利益にあずかろうと詰めかけた。
この当時、教会の天井は前述のように1573年に崩落したままだった。
この奇跡は天井を修復するための寄付を効果的に集めたのであります。
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サン・ロレンツォ・マジョーレ教会でいちばん見るべきものは、古代の礼拝堂↓
教会中央から右手(南)へ伸びた円形の聖アクイリーノ礼拝堂(建設当時は聖ジェネジオ礼拝堂)への入口には四世紀建造当時の装飾された石の門がある↓
入るとすぐに、青色が美しいモザイクがが修復の最中↓
内部に残るモザイクでいちばんきれいに修復されているのが
「十二使徒にかこまれた青年キリスト」↓
ここまで完璧に修復されたものよりも、一部だけ残された「太陽神としてあらわされたキリスト」の部分の方が、もっと見ごたえがある↓
↓左右の羊の花を嗅ぐ様子↓あっけにとられているような羊飼いのぼっとした顔
↑陰影、動き、ラヴェンナに残るガラ・プラチディア廟のモザイクに負けない出来栄えだ
正面に聖アクイリーノの遺骨が納められた銀の容器は16世紀のもの。
この後ろから、1913年に発掘された地下の部分へ降りることができる↓
見つかったのは、古代ローマの競技場の石材↓
古代の石材が八角形に広がるコンクリートの屋根をしっかり支えていた↑
外へ出るとそろそろ夕暮れ、中心部のホテルへもどろう↓