午前中にパルメザンチーズとバルサミコの工場を見学して、午後三時前にボローニャに戻った。
車が旧市街との境目・かつて城壁があった場所まで来ると、早くも夕暮れを感じさせる陽をあびたフェリーチェ門が見えた。
城壁を取り壊したあとに、門だけが残されたのだ↓

大聖堂すぐ近くのホテルでしばらく休憩して、あらためてボローニャの旧市街の徒歩観光をはじめよう。
立地の良いホテルだからこういう事も可能になる。
ロビーでお会いした現地ガイドさんファビオさんに「アジネッリの塔に登りたいのですが」と告げてみる。
ボローニャのシンボルになっている冒頭写真の高い塔、前回も前々回も登るチャンスを逃したので。
だが…今回も時間がかかりすぎるので断念せざるを得なかった。
「かわりに、大聖堂の屋根はどうですか」と、ファビオさんが提案してくれた。
「え?そんな事ができるんですか?」
ガイドブックになど書かれていないけれど、ここ二年ほど、大聖堂の修復用にとりつけられたエレベーターがあるのだそうだ。
そりゃ、ちょうど良い。行ってみましょう↓あ、ここだ

入場料をはらうところで、なんと全員ひとりひとりに申込書?承諾書?をサインさせる↓

十人ほど乗れる工事用エレベーターですぐに到着↓この階段を登ると↓

おお、すばらしいボローニャの夕景で見えた↓小松が最初に登りたいと申し出たアジネッリの塔97メートルが見える↓

ボローニャには中世(14世紀ごろ)百二十ともいわれる多くの塔が競って建てられていた。今ではほとんどが上部を切り取られてしまっている。
塔だと認識できるものは今では十八本だけなのだとか。
そのひとつを足元から見上げる↓

入口がはるか頭上にあるのは安全の為。木製の階段が取り付けられていたが、有事の際には外せる・壊せる、という目的なのである。
**
眼下に見えていた大学の中庭↓

ボローニャ大学は創立1088年とされ、ヨーロッパ一古いと称している名門校。
入口の彫刻は学問を象徴する数々のレリーフ↓教授や在校生たちの紋章



法学部がいちばん歴史があるが、医学・薬学のための解剖学教室が設置されている↓

⇒※以前に書いた訪問時の写真日記こちらよりごらんください

夕暮れになってきた。広場に面した聖ペトロニオ大聖堂に入ろう↓内部、写真撮影禁止

広場に出てきたらもう真っ暗になっていた。宮殿の時計塔からのライトが煙っているのは霧のせい。この平原は川が多くてよく霧が発生するのだ↓

***
ボローニャに数ある教会で、小松がいちばんおもしろいと思うのがサン・ステファノ教会。ここだけは少しでも見ていただきたいと思いファビオさんに連れて行ってもらった↓この場所にはキリスト教以前の古代からイシス女神(エジプト発生)の神殿が祀られた泉が湧き出していた↓

その泉を中心にして、千数百年にもわたり教会が重ね重ね建設されていき、「七つの教会」という別名がある。
八角形をした中心の礼拝堂の中心には、今も泉が湧き出している↓

エルサレムからもたらされたという「キリストが繋がれた柱」もある↓奥の黒いやつ↓

****
商業が盛んだったボローニャにはユダヤ人もたくさん住んでいた。彼らを「ゲットー」と呼ばれる場所に押しこめるのは、ヴェネチアが「彼ら自身の安全の為に」はじめた事。近隣のこのボローニャでもさっそく実効されて、狭いエリアにたくさんの窓を持つユダヤ人区域が出来た↓

一角に、このエリアの地図が張り出されている。なんと「ミリアムの手」をかたどっていたのだ!↓

*****
古いポルティコ(中廊)はボローニャ名物のひとつ。全長で35㎞にもなるそうな↓

この一角にある小さな窓をあけてみろ、というファビオさん↓

すると・・・地下に隠されてしまった水路の一部を見ることができた↓

ボローニャだけでなく、パダーニャ平原の諸都市は運河で結ばれていた。
二十世紀前半に鉄道が本格的に導入されて不要となり、年では埋められたり蓋がされてしまったのだ。
ボローニャもまた運河の町だったし、今でも道の下に運河が残っているのである。
*****
今回も登りそこねたアジネッリの塔の真下で、ガイド終了~!

ファビオさん、オーバータイムも気にせず楽しんでガイドしていただきました!

車が旧市街との境目・かつて城壁があった場所まで来ると、早くも夕暮れを感じさせる陽をあびたフェリーチェ門が見えた。
城壁を取り壊したあとに、門だけが残されたのだ↓

大聖堂すぐ近くのホテルでしばらく休憩して、あらためてボローニャの旧市街の徒歩観光をはじめよう。
立地の良いホテルだからこういう事も可能になる。
ロビーでお会いした現地ガイドさんファビオさんに「アジネッリの塔に登りたいのですが」と告げてみる。
ボローニャのシンボルになっている冒頭写真の高い塔、前回も前々回も登るチャンスを逃したので。
だが…今回も時間がかかりすぎるので断念せざるを得なかった。
「かわりに、大聖堂の屋根はどうですか」と、ファビオさんが提案してくれた。
「え?そんな事ができるんですか?」
ガイドブックになど書かれていないけれど、ここ二年ほど、大聖堂の修復用にとりつけられたエレベーターがあるのだそうだ。
そりゃ、ちょうど良い。行ってみましょう↓あ、ここだ

入場料をはらうところで、なんと全員ひとりひとりに申込書?承諾書?をサインさせる↓

十人ほど乗れる工事用エレベーターですぐに到着↓この階段を登ると↓

おお、すばらしいボローニャの夕景で見えた↓小松が最初に登りたいと申し出たアジネッリの塔97メートルが見える↓

ボローニャには中世(14世紀ごろ)百二十ともいわれる多くの塔が競って建てられていた。今ではほとんどが上部を切り取られてしまっている。
塔だと認識できるものは今では十八本だけなのだとか。
そのひとつを足元から見上げる↓

入口がはるか頭上にあるのは安全の為。木製の階段が取り付けられていたが、有事の際には外せる・壊せる、という目的なのである。
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眼下に見えていた大学の中庭↓

ボローニャ大学は創立1088年とされ、ヨーロッパ一古いと称している名門校。
入口の彫刻は学問を象徴する数々のレリーフ↓教授や在校生たちの紋章



法学部がいちばん歴史があるが、医学・薬学のための解剖学教室が設置されている↓

⇒※以前に書いた訪問時の写真日記こちらよりごらんください

夕暮れになってきた。広場に面した聖ペトロニオ大聖堂に入ろう↓内部、写真撮影禁止

広場に出てきたらもう真っ暗になっていた。宮殿の時計塔からのライトが煙っているのは霧のせい。この平原は川が多くてよく霧が発生するのだ↓

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ボローニャに数ある教会で、小松がいちばんおもしろいと思うのがサン・ステファノ教会。ここだけは少しでも見ていただきたいと思いファビオさんに連れて行ってもらった↓この場所にはキリスト教以前の古代からイシス女神(エジプト発生)の神殿が祀られた泉が湧き出していた↓

その泉を中心にして、千数百年にもわたり教会が重ね重ね建設されていき、「七つの教会」という別名がある。
八角形をした中心の礼拝堂の中心には、今も泉が湧き出している↓

エルサレムからもたらされたという「キリストが繋がれた柱」もある↓奥の黒いやつ↓

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商業が盛んだったボローニャにはユダヤ人もたくさん住んでいた。彼らを「ゲットー」と呼ばれる場所に押しこめるのは、ヴェネチアが「彼ら自身の安全の為に」はじめた事。近隣のこのボローニャでもさっそく実効されて、狭いエリアにたくさんの窓を持つユダヤ人区域が出来た↓

一角に、このエリアの地図が張り出されている。なんと「ミリアムの手」をかたどっていたのだ!↓

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古いポルティコ(中廊)はボローニャ名物のひとつ。全長で35㎞にもなるそうな↓

この一角にある小さな窓をあけてみろ、というファビオさん↓

すると・・・地下に隠されてしまった水路の一部を見ることができた↓

ボローニャだけでなく、パダーニャ平原の諸都市は運河で結ばれていた。
二十世紀前半に鉄道が本格的に導入されて不要となり、年では埋められたり蓋がされてしまったのだ。
ボローニャもまた運河の町だったし、今でも道の下に運河が残っているのである。
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今回も登りそこねたアジネッリの塔の真下で、ガイド終了~!

ファビオさん、オーバータイムも気にせず楽しんでガイドしていただきました!

