旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

《手造の旅》五島列島 第二回_中通島

2018-04-21 22:50:38 | 国内
「キリシタン洞窟」から中通島(なかどおりじま)の土井の浦港までは十分ほど。お天気よく穏やかなので船内にもどらずそのまま外で風を楽しむ


入り江に土井の浦教会が見えてきた





上陸して日の島方向へ走る。海上から見ていた教会のすぐ横を通る。


鎌倉時代、室町時代からの石塔なのだそうだ

日の島の石塔群は、ここが大陸との交易拠点であったことを実感させてくれる。
船が近づいたことを火を焚いて知らせたので「火の島」、そこから現在の名前に転化したらしい。
1298年北条氏の貿易品を満載した船が近くで難破した記録がある。ここにあるたくさんの墓碑はあるいはその時がきっかけなのかもしれない。※現地の案内板より
かなりおもしろい見学場所だと思うのだが、仔細なきちんと説明を誰かにしてもらいたい。「謎」なのだというのだが、専門家のいろんな仮説、きいてみたい。
こういう墓碑のかすれてしまった文字にどんなことが書かれていたのだろう…

****
★海上石油備蓄基地
日本全土で使う石油を七日間まかなえる量がここに保管してある。万が一の石油不足のために1984年から四年の歳月と二千億円をかけて建設した。※現場の解説版より

390メートル×97メートルの巨大な石油タンク船が五隻浮かんでいるのだ。
↓トンネルを使わずに跡次教会(あとつぎきょうかい)のある高台まであがると、どでかい施設が浮かんでいるのが遠望できた↓

平時にこうしためだたない政策を実現させているのは日本という国の性格をよく感じさせてくれる。しかし、この施設の設置を当時歓迎してくれる地方自治体はなかなか見つからなかったのだそうだ。しかし、上五島市はこれを受け入れたことで相応の補助金を受け取ることができ、「石油備蓄会館」などというあからさまな名前の施設も建設されていた

この施設の見学も可能らしいから、次の五島の旅に組み込んでみようかしらん…うーむ

*****
上五島観光の看板のひとつ「頭が島教会」へ。途中くじらのかたちをした「鯨賓館」が見えた

近くにある神社には巨大なクジラの顎の骨が装飾されている
展示もお見せしたかったのだが、教会見学の時間指定が迫っていたのでパス。
この四月から頭が島教会へのシャトルバスの運行が開始され、車両はすべて空港前に止めなくてはならなくなった。このシャトルバスが一時間に一本しかないのだ。
赤い橋を渡って頭が島に入る↓

空港は1981年に開港し2006年までは定期便も飛んでいたが、今は停止された。ここに定期便が復活すれば便利になるだろう。世界遺産指定されれば実現するかもしれない。
それを期してここからシャトルバス運行をはじめたのかもしれない。
だが今日は、このシャトルバスの時間に合わせてここに来なくてはならないのでずいぶん時間をロスすることになってしまったのです。混雑具合を勘案して車両整理をするなり、柔軟な対応を考えてほしいものだ。

シャトルバスに乗り換えて尾根を走っていくと、左手下に頭が島教会のある集落が見えた↓

目の前に「ろくろ島」が防波堤のように位置している。「ろくろ」とは首のことで、かつてここに仏像の首の部分が流れ着いたのでこの名前になったのだとか。

教会近くはたくさん車が止まれるように整備されている。昨年来た時よりもこの参道もきれいになっていた↓


石造りであるのは、ろくろ島をはじめ石がとれる場所がちかくにあったから↓


今回、江戸末期にこの集落を興した前田義太夫という人物について教えてもらった。あの時代に在って、切支丹に理解を示し安全に住む場所を提供していたのは勇気ある人だと言えよう。
※こちらのページに解説がありました

どんな神を信じるかで人の価値は決まらない。自分と関わる人を、宗教や人種や言語にまどわされずに「人として」見ることができるかが重要なのだ。
前田義太夫は仏教徒だったが、彼の墓は頭が島の切支丹たちによってずっと大事にされている

******
再び空港から我々のバスに乗り換えて、今晩宿泊のマルゲリータをめざす
途中に「口を開ける岩」が見えてくる
「やがため」と呼ばれる湾をみおろす青砂ヶ浦教会

夕方の教会内でステンドグラスから射し込む光が美しかった

マルゲリータ到着。シチリアの修道院をイメージしたという。




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《手造の旅》五島列島 二日目~久賀島(ひさかじま)

2018-04-21 00:06:22 | 国内
福江港を朝09:30に出発するチャーターした船で久賀島に渡る。久賀島にはランチをつくってくれるようなお店がまだないので、今回も福江でお弁当をお願いした。
★前回はスペシャルなサンドイッチを坪内製パンさんにつくっていただいた※こちらからごらんください
今回は作り手さんが事情あってどうしても難しいということで、丸宗水産さんがこんなのを↓つくってくださった!

「しゃじゃん」とは何? 
若い社長さんがバスに乗り込んで説明してくださった「しゃじゃん」は「さざえ」だったのです!ささえご飯楽しみ!帯をとった姿は久賀島に入ってから(^.^)

港できのうガイドしてくださった永冶さんが、自らがたずさわっている「五島椿」からつくった石鹸を説明してくださった「こま通信」からひとつずつプレゼント(^.^)
永冶さんは「五島雑学事典」という、五島を解説しているいちばん詳しい(と、小松が思っている)本の著者であります

久賀島のガイドをしてくださる、長崎巡礼協会ガイドの平山さんも福江までお出迎えくださって、今回前半の案内役の方がそろったので、全員写真を撮影しました

海上タクシーに乗船



海上から島々を見ると、五島列島には平地がとても少ないのが分かる。少ない平地にはすでに仏教徒が住んでいたから、入植した切支丹たちは必然的に厳しい場所に集落をつくることになった。昭和の終わりになってこれらが次々と放棄されていく際、そこにキリスト教徒の村があった事を記憶させる十字架の像を残してあるのだそうだ↓


***
「U」字型をした久賀島←地図を載せてあります

外海に面した高台に浜脇教会が見えてくる。残念ながら緑色のネットをかぶっている現在修復中↓

コンクリート建築なのだが、海砂をつかったことによって基礎の部分がゆらいでいるのだとか↓

今回は内部もはいれませんでした。

「U」字型の内海部分にある「牢屋の﨏」に到着

ここは明治初期の切支丹弾圧のなかで最も苛烈な事件があった場所↓
二百人の信徒が押しこめられた場所につくられた教会↓

その前から入江をはさんだ場所に代官所があって、そこから牢屋の状況を監視していたと、前回話していただいた。
その場所は藤原家という庄屋の家だったのだが、今年四月からそこが久賀島の観光拠点として整備されはじめた↓
村落を見下ろす神社の下、左手下の一角に見える↓

「世界遺産・長崎と天草の潜伏切支丹関連遺産」候補リストに「久賀島の集落」として登録されているこの島。
実際に認定されたらどうしても観光拠点になる場所が必要になる。だが、その場所にかつての切支丹弾圧の拠点だった場所が選ばれたのは皮肉なことかもしれない。

同じく世界遺産候補リストになっている「旧五輪教会」まで行くにはここから歩かなくてはならない↓


「この道がいちばんの文化遺産だと、学者先生は言うんですけどね」
たしかに車が走れる道などは新しいものなのだ。

十分ほど下って海に出た↓


ちょうどテレビ撮影が来ていて旅メンバーがインタビューを受ける

風のない穏やかな午後。海は透きとおっている↓


こりこりサザエの炊き込みご飯と鯨カツサンドのおべんとう、いただきます↓


***
再びチャーター船に乗り、若松島を目指す。波が穏やかだったので「キリシタン洞窟」にも上陸できてしまいそうに近づくことができた↓




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