旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

はじめてのアラビア文字

2019-01-22 14:15:05 | エジプト
アラビア文字は日本文字と同じように書道の大会があるのだそうだ。

右から左へ、流麗に筆が描きだすアラビア文字は、意味がわからなくとも美しい。
今回のガイドさんが、クルーズ船にアラビア習字の先生を呼んでくれた。

まずはアラビア語のアルファベット28文字を、お手本を見て自分で書いてみた。

英語でいう「ABC」です。

アラビア文字は似たような文字が多くて覚えにくい…と思うのはただ馴染みがないからにすぎない。
日本文字だって「め」と「ぬ」、「さ」と「ち」…

それよりもアラビア語のアルファベットには[P]が存在しない。
そのことで納得したことがある。
アラビア語を話す人々はパピプペポを発音するのにとても苦労しているのだ。
ベテランガイドさんでも
「パスタ」を「バスタ」
「ポンド」を「ボンド」と発音してしまうことがよくある。
それはつまり、[P]が存在しないせいだったのだ。

だから「JAPAN」も「ヤバン」と発音するエジプトの人々。
アラ先生に続け文字でなくJAPANを書いていただいた↓

↑上段の右からはじまる。国の名前にはアラビア語の冠詞である「AL」をつける↑
そしてYABANと表記された。
我々日本人は「ヤバン人」です(笑)

アラ先生の華麗な筆さばきを見つめる↓

使っているペンは竹製↓

インクに最適なのは、日本の墨汁なのだそうだ。次回、お会いできる機会があればお土産にしよう(^.^)
↓エジプト伝統のパピルス紙に、各自のお名前をアラビア文字で書いていただいた↓


全員、自分の名前をアラビア文字で書いてもらう

人は「えたいのしれないもの」を疎ましく・恐ろしく感じるものである。
エジプトの旅は古代遺跡を楽しめるだけでなく、日本人にとって「えたいのしれない」、アラビア文字やイスラム教を少しだけでも理解することのできるチャンスなのだ。
少しでも理解することができれば、アラビア文字やイスラム教の世界に生きている人々に親しみを持つことができる。
そういう旅を造っていきたい。

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ハブ神殿、クルーズ船で渋柿を食べてからガラベーヤを試着

2019-01-22 12:50:00 | エジプト

ルクソールの穴場、「ハブ神殿」を見学してからクルーズ船にもどった

修復がすすめらる。足場がささっていた穴は小鳥にちょうどよい

戦いの神・セクメトは雌ライオンの姿

神殿の奥の方にある美しく保存された部屋へ↓

番人が「特別に」ゲートを開けていれてくれたが…あとからTIPよね
↓図像の解説もおもしろかったが、規則的にならんだ四角い跡が気になる

これは柱か梁の跡かしらん

この神殿も初期キリスト教時代には教会として使われていたときいた


2016年に訪れた時の記事をこちらからごらんください



ルクソール見学の最後に「メムノンの巨像」にストップ

二つの座像のうしろにあったという巨大な建物はもう復元されるべくもないが、見つかった像が少しずつ立ちあがりはじめていた。
アメンホテプ三世の妃の姿が足元に美しく刻まれている↓

妃は複数いたが、いちばん有名なのはあの「ネフェルティティ」。もしかして彼女の姿?

***
船に戻ってアラビア習字をちょこっと教えていただき、ランチとなった。
おいしそうな柿が出ていたので取ってきた方が食べてびっくり↓

なんと、エジプトでは渋柿を食べるのだそうな。

食事が終わるころにクルーズ船は出航。
ルクソール唯一の橋の下をくぐる↓

****
明日の夜は「ガラベーヤパーティ」。
みんなでエジプトの民族衣装ガラベーヤを着るのだ。
船の売店にあるものを試着してみる↓なかなかお似合いです






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ハワード・カーターは「アイーダ」を聴いていた

2019-01-22 11:11:11 | エジプト
ツタンカーメン王墓を発掘したハワード・カーターのルクソールの家には蓄音機があった。1922年頃には最新式だったものだろう↓

ほこりをかぶったレコードも彼のモノ↓

それはヴェルディの「アイーダ」だった↓

スエズ運河開通(1869)の記念にオーダーされた古代エジプトを舞台にしたオペラ。
カーター氏は砂漠のこの家で「アイーダ」を聴いていたのか。
もう一枚、レコードが目についた↓

こちらはチャイコフスキー↓


研究者と呼ばれる人々には二種類ある。
専門分野だけに没入するタイプと、他の様々な事にも常に目を向けているタイプ。

カーターをいう人は考古学者として知られるようになったが、ルクソールの砂漠にあっても音楽を楽しむことを忘れなかったようだ。
17歳でそのデッサン力を見込まれてエジプトへ行く事になった人。
ルクソールの当時をカーター自身で描いた絵もあった↓

※ハトシェプスト女王葬祭殿は当時一階部分までしか復元されていなかったのがわかる↑

彼の仕事机には自分で描いたツタンカーメン墓の様子が敷かれている↓

カーターは人としての幅も広かったように感じさせる、この家。

寝室のベッド横には鏡と身だしなみを整えるセットが↓

研究に没入しても、髭はちゃんと整えて身だしなみもキチンと
↓剃刀研ぎ皮はロンドンのウィルキンソン製↓

1772年通称ジョージ王朝下にロンドンで設立された、もともとは剣の製造業者だ。
カーター氏が使っていたのは安物の剃刀ではなかっただろう。

キッチンに立ったのはお手伝いさんだっただろうけれど↓
おや?ルクルーゼ↓食器も当時の一流品?

↓赤いのはさすがに最近のもの?↓

調べてみるとルクルーゼの赤いほうろう鍋は1935年には発売されていた。カーター氏が当時から使っていたことも十分考えられる。どこにいたって人は美味しいモノをたべたいのだ。

カーターハウスの外↓

生け垣になっていたのはバジルだった↓

ここから料理にひとつまみ?したのかもしれません(^.^)
※当時からバジルが植わっていたかは確かめようもなかった

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ハトシェプスと女王葬祭殿でおにぎりを

2019-01-22 10:10:10 | エジプト
外国に来てまで日本食を食べなくても…と思いはするが、実際に出されると嬉しくておいしくて…
気球を降りてそのままルクソール西岸の観光をすることにした。
朝食はクルーズ船からお弁当をはこんでもらった。洋式のパンとリンゴとヨーグルトぐらいだろうと思っていたら…
おお!なんとりっぱなおにぎり↓

朝陽に輝くハトシェプスト女王葬祭殿を見ながら横一列でおにぎり朝食を食べた↓

小松が仕組んだことではなく、手配側のサプライズ演出。まんまと狂喜した自分は米好きの日本人。
急ぎ足の見学グループをいくつも見送った↓


そして、我々も見学↓

プント国との交易の様子とか、女王の姿が削り取られたという話も興味深いが、

↓動物の描写力のすばらしさにはいつも驚嘆させられる。女王の指を舐めるこの牛↓


近年復元されたいちばん上のテラスにあがる

そこから岩壁に向かって左方向に目を移すと、もうひとつのあまり復元されていない建物が目に入った↓

「実は、この場所に葬祭殿を建設したのはハトシェプスト女王がはじめてではないのです。」
「先に中王国時代のメンチュヘテプ二世の建設した葬祭殿があったのです。」
ガイドさんに説明されて、この場所の歴史的な変遷が理解できてきた。
象皮病だったのでは?と言われるメンチュヘテプ二世王の像をカイロで見たっけ↓

国を再統一した力のあるこの王が、最初にこの岩崖の奥に葬祭殿をつくっていたのだ。
ハトシェプスト女王は同じ場所の向かって右側の崖を切り出して新たに場所をつくり、より大きな葬祭殿を建設していた。

メンチュヘテプ二世の葬祭殿も、ゆっくりゆっくり発掘復元がすすめられている↓

↓まだカバーをかけられた発掘ほやほやのスフィンクスもそのうち展示されるだろうか↓




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ルクソールの気球2019 1月

2019-01-22 08:00:00 | エジプト

まだ暗いナイル川をボートで渡る

お茶とクッキーが出るけれど、気球にはトイレがないから(笑)ほどほどに

西岸でバンに乗換え、十分ほどで下車。

懐中電灯で地面を照らしながら歩いてゆく

月がきれいだ。

たくさんの気球が送風機で風を送られ、生き物のように膨らみはじめていた↓

ある程度膨らんだところで、今度はバーナーが火を噴いた

熱せられた空気がいっきに気球を立ち上がらせようとする

周囲の気球からも同じように轟音が聞こえはじめる


ゆっくりとバスケットを引っ張り立たせるバルーン
いよいよ、バスケットに乗り込む

今回は幸いにも階段が用意されていた(^.^)↑写真右端にちょっと写っております
↓乗り込むと「ランディング・ポジッション」の練習↓

着陸の際に(めったにないが)バスケットが倒れることがあるので、バスケットの中にしゃがんで中のロープをしっかり掴む姿勢。
今回の同乗したのはスペイン語をしゃべる賑やかな一団。
夜が明けてきた。バーナーの炎はアタマを熱くする(笑)


気球の高度は百メートル程で充分。高ければよいというものではない。

地上の様子が見えるぐらいがよい。サトウキビ畑↓

あとから訪れる「ハブ神殿」を上から見下ろす↓




夜明けの空に撒き散らされたように飛ぶ気球

ナイルの向こう・東側からは太陽が顔を出しはじめた

気球に乗っている時はほとんど風を感じない。
風と共に飛んでいるからだ。

バーナーを開く音以外は静かな空中散歩。

↓突然賑やかな歌声が足の下から聞こえてきた

我々を迎えに来た地上スタッフがトラックの上で歌っている(^.^)
後からロバに乗った少年も(^.^)
※こちらから動画をごらんください

「ランディング・ポジッション!」パイロットの声でバスケットの中にかがみこむ。
バスケットの底が軽く地面をバウンドして、すぐに止まった。
物欲しげに待ち受けるロバでやってきた子供たち

バルーンが完全に浮力を失うまでバスケットを出てはいけない。
↓こんな風にたたみはじめてしまえばもちろんだいじょうぶ

↓「良いお天気でよかったねぇ」
バスケットから出るのはそこそこたいへんなのでスタッフが手をかしてくれる。

気球搭乗照明をもらいました(^.^)

日本の説明会の時に「あたしは高所恐怖症だから…」と尻込みしていた方も、乗ってしまえばそんな事はけろっと忘れておられました(^.^)
気球は中毒性があります(笑)
※昨年11月、メキシコのテオティワカン遺跡での気球を膨らます動画


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