旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

キルティプルの人には鼻がなかった

2020-06-18 21:55:34 | ネパール
2005-2010《手造の旅》ネパールより
密集した家々が小さな丘を囲む

十七世紀ごろに家でなく城壁がぐるりと街を囲んでいたそうである。

中世の街作り遺伝子が現代にも継がれているのかしらん。
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街の中心にあるバイラブ寺院は十六世紀ごろに建設されたものとされる

上階にたくさん吊るされているのは何?

これは1767年にキルティプルの戦いで使われた劍や鎧兜

カトマンドゥ盆地に点在するネワール族の街がゴルカ族に征服されてゆく最初の激闘だった。

二十三度にも及ぶ戦闘の末陥落したキルティプルを、ゴルカ族の王プルティヴィ・ナラヤン・シャハは見せしめにしようと考えた。
十三歳以上のすべての住民の鼻をそぎ落とすことにしたのである。
これ以降、鼻の無い人を見れば誰も[がキルティプル人だと思い、ゴルカ族支配に抵抗した結果を恐ろしく感じるようになる。
この蛮行は伝説ではなく実際に行われたらしく、同時代に訪れていたキリスト教宣教師が記録している。
二十年後に訪れたイギリス人も「鼻の無い老兵たちを見た」と証言している。


ここのバイラブは怒れる虎の顔をしたシヴァ神。
伝説では土で作った虎がそこにいたヤギを食べてしまったという。

奉納に大きなヤギのアタマがあるのはそのせいかしらん。




ガンガー(ガンジス川)の女神が出産している像

↓ナーガ蛇に守られた姿は王の守護神とされるヴィシュヌ神。
↓右はその妻ラクシュミー神にちがいない。足を揉んでるのかしらん?

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キルティプルは忙しいツアーはあまり訪れない。

それだけにネワール族の生活がそのまま生きている町だと感じる。

いまにも倒壊しそうな家々に、精緻な木彫が施された窓がついている。


↓落っこちないでね

↓このヒティ(水場)に面した長い建物は元は王宮だったとされる

今は所有者が分割されているのが壁の色でわかる



高台にあるウマ・マヘショワル寺院まであがっていこう



キルティプルの標高は1400m。カトマンズ盆地より百メートル程高い。

近くの黒い山々を見下ろすように七千メートル級のヒマラヤの尾根が光る

石の基壇の上に木製の寺院が建つ

木造部分は何度も壊れては再建されてきた。
最初に建てられたとされる年号は1655?1666?1673?調べると資料によってちがう。
1832年に地震で壊れ、1933年に再建、1947年に嵐でほぼ倒壊、1982年に現在のものが再建。
一見してもっと古い彫刻であるように見えるが、それは倒壊しても装飾は古いものを再利用するし、他の壊れてしまった建築につかわれていたものを流用することも珍しくない。

17世紀のオリジナルとはっきりしているのはこのゾウさん(^.^)
↓背中に鉄の刺を背負っているのはなぜ?

「子供が登って落ちるとあぶないから」だそうです。なるほど。

基壇のいちばん上に西洋風の鐘が吊るされている。

間近に見ると製造会社の名前が刻まれている

「“Gillett & Johnston Founders, Corydon” made on 1895 A.D.」
この鐘はもともとカトマンズ市内に1894年に建設された西洋式の時計塔のためのものだった。
そちらの塔も地震で壊れてしまい、行き場を失くした鐘のひとつがここに寄せられた。
※新しいデザインで再建された時計塔の話がカトマンズの新聞の記事にありました
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細い旧市街の道

北インドに多い「シカラ様式」の仏塔も子供たちの遊び場

かつての日本の寺社もそうだったっけ。


↑女の子が生まれた家
民家の扉に貼られていた写真↓

誕生を祝う儀式の品々?

細い道の真ん中につくられた作業所で↓

これは麦を轢いていたいたのかしらん。

キルティプルはカトマンズ盆地歴史的な街のなかでもネワール族の生活が近くに感じられる場所だ。

コメント
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