本堂に収められている十一面観音は聖徳太子由来とされている。宇多天皇がこの聖天さんを建立する以前からあったものだと伝わっている。
窮屈そうな厨子におさめられているのでお顔は見えない。明治時代に再建された折にぎりぎり入るものをみつけてきたのかもしれない。
指の表情も豊か。一流の造形。
だが、近寄ってみるとひどく傷んでいるのが痛々しい。青銅?が破れて穴が開いている。
幕末、金門の変の折に伽藍は焼かれ、この本尊は本堂前の池に隠して難を逃れたのだそうだ。
明治になってから建てられた現在のお堂に祀らた。
昭和期に一度X線検査をして、内部に胎内仏があるのが確認されたが、本格的な修復も調査も未だ。
ご本尊向かって左には不動明王などが鎮座する。
この像もぎっしり詰め込んで置かれている。
もともとはもっと広い場所に祀られていたのだろう。
それぞれの彫も造形も一見の価値がある。
正月の護摩祈祷が準備されていた。
燈明や護摩の煤で真っ黒になってしまっているが、壁全面に花鳥画が描かれている。
天井にも鳳凰?のような図柄がみえるが破れてたれさがっている。
よく見ていくと、同じ型からの絵のようだ。
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昭和期に全面修復が行われたのは山門
斎藤道三ゆかりの油座があった場所に八幡さまがあり、そこから急な石段を登って本堂へ行く途中にある。
この門の上にもお像があるそうだが、こちらも調査はされていない。