2009年フランスの旅より
初代ローマ皇帝アウグストゥスが建設した塔がニームの街を見下ろしている。
もとは城壁の一部だった。
↓ニームの城壁は二つある。下の↓1560年の絵地図でもいちばん上にえがかれている。
↑中心部に見える城壁は中世城郭都市。
それよりも大きく街を囲っているのが古代ローマの城壁。
全長6㎞を超える長さで十四の塔があったとされる。
つまり、ニームは中世よりも古代の方が街が大きかったのだ。
古代の塔のうち、地図上のいちばん上=高い場所にあったのが冒頭の「マーニュの塔」。
街を一望できる見張り塔でもあった。
内部に入ると、
現代のらせん階段がある。
いちばん上に見晴らし台にあがる階段はすりへっている。
古代から踏まれ続けてきた石なのだろうか。
↑ローマ時代のアレーナが二千年前と同じように見えている↑
楕円形、みつけてください(^.^)
**
ニームの街は丘のふもとにわく泉からはじまった。
紀元前五世紀ごろにはローマ以前ガリア人の集落があり、泉・またはその神はネマウススという名でニームの語源となっている。
このエリアはローマ文化を敬愛したルイ14世時代にも整備され「フォンテーヌ(泉)公園」となっている。
紀元前一世紀に入植したローマ人も先住民族の信仰は尊重した。
入植したローマ兵たちはかつて自分たちがエジプトを制したことから「ナイルのワニとヤシの木」をシンボルマークに選んだ。
↓古代のコインにも刻印されているワニとヤシの木が
現在でもニーム市のシンボルマークとなっている↑
***
古代ローマの城壁を貫通していたローマ街道(ドミティア街道)の門二つを今でも見ることができる。
フランス門↑もしくはアルル門
アウグストゥス門↑
初代ローマ皇帝アウグストゥスが建設した塔がニームの街を見下ろしている。
もとは城壁の一部だった。
↓ニームの城壁は二つある。下の↓1560年の絵地図でもいちばん上にえがかれている。
↑中心部に見える城壁は中世城郭都市。
それよりも大きく街を囲っているのが古代ローマの城壁。
全長6㎞を超える長さで十四の塔があったとされる。
つまり、ニームは中世よりも古代の方が街が大きかったのだ。
古代の塔のうち、地図上のいちばん上=高い場所にあったのが冒頭の「マーニュの塔」。
街を一望できる見張り塔でもあった。
内部に入ると、
現代のらせん階段がある。
いちばん上に見晴らし台にあがる階段はすりへっている。
古代から踏まれ続けてきた石なのだろうか。
↑ローマ時代のアレーナが二千年前と同じように見えている↑
楕円形、みつけてください(^.^)
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ニームの街は丘のふもとにわく泉からはじまった。
紀元前五世紀ごろにはローマ以前ガリア人の集落があり、泉・またはその神はネマウススという名でニームの語源となっている。
このエリアはローマ文化を敬愛したルイ14世時代にも整備され「フォンテーヌ(泉)公園」となっている。
紀元前一世紀に入植したローマ人も先住民族の信仰は尊重した。
入植したローマ兵たちはかつて自分たちがエジプトを制したことから「ナイルのワニとヤシの木」をシンボルマークに選んだ。
↓古代のコインにも刻印されているワニとヤシの木が
現在でもニーム市のシンボルマークとなっている↑
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古代ローマの城壁を貫通していたローマ街道(ドミティア街道)の門二つを今でも見ることができる。
フランス門↑もしくはアルル門
アウグストゥス門↑