旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

オランジュの「フランスでいちばん偉大な壁」

2021-01-18 09:30:46 | フランス
2009年南フランスの旅より
「これは私の王国で最も美しい壁だ C'est la plus belle muraille de mon royaume 」
と、ルイ14世が感嘆した。

紀元前一世紀に建設されたローマ劇場の壁がここまできれいに残されている例はほかにない。
※ボスラ(シリア南部)、パルミラ(シリア中部)のローマ遺跡にもあるが、内戦で損傷し、現在近づくこともできない。

実際に見てはじめて、ルイ14世と同じ気持ちになった。
かつては白い大理石と数々の彫刻で覆われていたはずだ。

ローマ時代の建造物は後世に別の建物をつくる石材に利用され、原型をとどめていないものが多い。
この「偉大な壁」が現代まで残されたのは、そのままオランジュの城壁の一部として使われていたからである。

高さは36m、幅103m(内ステージは61m)
上段に置かれた初代ローマ皇帝アウグストゥスの像が3.5mもある。
↓この像は1951年にここに置かれたもの。古代ローマ時代には芸術の守護神アポロ像だったと推察されている。

その巨大さ↑下の人間と比べてみてください。

17世紀にルイ14世が訪れた時にはどんな姿だったのだろう?

↑これはもう少し後の時代の版画だが、壁の前=観客席だったあたりをぼろぼろの家が埋めている。
ルイ十四世が見たのは、中世のボロボロの家の上に屹立する偉大な古代ローマの壁だった。

観客席はほぼ現代の修復によるもの↑

壁を横からみたところ↑この迫力は直接見上げてみてはじめてわかるものだった↓裏面

↑裏面が完璧なのは、ルイ14世以降のフランス王も修復を重ねてきたおかげだろう。

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★「オランジュ」という名前はローマ以前のケルト系民族の時代に水の神にちなんだ「アウラシオ」という街があったことにちなむ。
果実オレンジは東インドのアッサム由来で語源はドゥラビダ語やサンスクリット語からとか※こちらにその解説がありました
大航海時代にかけて果実のオレンジがヨーロッパに入ってくると、街の名前と果実の名前が似ていて合わさってゆき、街の紋章が決められる際につかわれた
五世紀にゴート族の侵入でローマ帝国が崩壊し、中世の神聖ローマ帝国からの曲折を経てドイツ起源のナッサウ家が領有することとなる。
16世紀の宗教改革の時代に宗主国(といっていいのか)と共に新教プロテスタントへ。
ナッサウ・オレンジ家=オラニエ・ナッサウ家(オランダ語)の領主モーリス(オランダを独立へ導く、通称「沈黙侯」の息子)は1622年にフランスから防衛するためにオランジュを城壁で囲んだ。
※オランダが独立国となり、シンボルカラーがオレンジ色なのも、この都市に由来する。
しかし、ルイ14世がオランダと戦争をはじめるとあっという間にオランジュを占領。
1713年のユトレヒト条約で正式にフランス領となる。
※ちなみにジブラルタルはこの時にイギリスに割譲された

オランジュはフランス王国時代から保護されてきたローマ遺跡が旧市街に点在している。

特に有名なのは凱旋門。
劇場と同じく紀元前一世紀に建設され、この街に入植したローマ第二軍団の功績を主に刻んである

というのだが・・・

訪れた2009年秋には修復中でした。
※旧ローマのアグリッパ街道が街を抜けていく北側の門だった


博物館にはローマの退役兵たちが入植して街を建設していった時の資料が展示されている。

整然と区画整理された町、公正な税制。
征服されたガリアの人々も快適な社会に生きることができると分かれば、だんだんとローマ化していったのだ。




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