旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

ポン・デュ・ガールを渡る

2021-01-15 10:24:27 | フランス
2007年南フランスの旅より
二千年近く前にこの水道橋が建設されたという驚きの前にまず、美しい。

古代ローマの大都市ニームに十分な水を届けるために全長五十キロにもなる曲がりくねった水道が建設された。その水道にガルドン川を越させるための橋がこれ。水源のユゼスとニームとは、高低差は十七メートル。ちょうどよいスピードで流れるように斜度を計算し、水源から終点まで約二十七時間で水がながれていたと推察されている。

三重アーチの最上部に水路(だった道)がある。
ここ、歩いて渡ってみたくないですか?

特別に予約して、専任のガイドさんといっしょでないと入れない。

2007年にそのチャンスを得た。

ちょうど一人が歩ける程度の通路(かつての水路)になっている。

かつては全部カバーされていたが、何もなくなっている部分が半分ほどになろうか。

ガルド川からの高さは約四十七メートル。

はい、けっこう怖いです。
水路は紀元後一世紀からやく六百年間水を流し続けていた。古代ローマ当時のものと思われる色彩も一部みられる。

さらにおもしろいのは六百年の間にカルシウム分が水道管の表面に付着して分厚い層をなしていること↑↓

↑このバームクーヘンみたいなのがカルシウムの層。今となっては完全に石になっている↓

「水垢」が石化している部分が古代のオリジナルだから、水路は何度も修復されていることがわかる↑

フランス革命前から、フランスの王たちは崩壊しそうな水道橋の保全を命じていた。

三重アーチの一番下の部分にぴったり沿ったカタチで道路が建設されたのは1743-47年ルイ十五世時代のこと↑道路の上を歩く小さな人影、見えますでしょうか。
↓こんなに幅がひろい↓

↑古代の橋にぴったりくっつけて18世紀に建設された馬車と人のための橋↑
これによって橋を補強することにもなるし、見た目にも違和感がない。
すばらしいアイデアだ。

1850年にここを訪れたナポレオン三世が命じて、1856年までに橋を安全に渡ることのできる見学路が整備された。

水路を歩いているとき、たくさん刻み込まれていたサインがあった↑これらは古代ローマではなく19世紀に修復した石工たちのものだろう↑


橋をはなれると地下にもぐってゆく水路。

水道橋は川を越えるために建設せざるをえなかったものだが、水道はもともと地下にあるほうがはるかに安全。
ユゼスからニームに至る五十キロのうち、実に三十五キロが地下になっている。


コメント
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