元禄十年(1697)に描かれたゾウさん↓
「鼻が長い」ことだけは聞き知っていた職人が、一生懸命想像した姿なのだろう。
苦労の跡がありあり感じられる。
約二十年後の1728年に徳川吉宗がベトナムからゾウを取り寄せ、長崎から江戸まで歩かせた。
この後、日本におけるゾウの描かれ方は格段に本物らしくなった。
このゾウは本堂前に設置された高さ三メートルの灯篭に描かれている↓
材料は当時発見されたばかりの別子銅山から。
住友が財閥として発展していく基礎となった鉱山だ。
瀬戸内から大阪⇒京都への西国街道の要衝のひとつ山崎に祀られた歓喜天=聖天さんは商売の神様。
なので住友はここに寄進し、秘仏の聖天さん=歓喜天がゾウの姿をしているというので灯篭にもゾウを描かせたのだ。
聖天さんはヒンズー教の商売の神ガネーシャと同一。
絶対秘仏なのでどんな姿かさえ判然としないが、ここ聖天さんの神像は頭がゾウの男女が抱き合っている姿をしているのだそうだ。
聖天さんが祀られているお堂の正面欄間の部分にこんな木彫があった。
なぜこんなデザインなのかはわかっていない。
もしかしたら、餅つきが性行為を暗示しているのかしらん。
聖天さんとはまさに歓喜を賛美する神様なのだから。
**
山崎聖天観音は天下分け目の天王山の中腹にある。
秀吉と光秀の戦いがあった場所から近い。
不思議なことに、ここの家紋は光秀の桔梗である。
なぜなのかは幕末の金門の変で古文書が消失してしまったのでよくわかっていない。
「鼻が長い」ことだけは聞き知っていた職人が、一生懸命想像した姿なのだろう。
苦労の跡がありあり感じられる。
約二十年後の1728年に徳川吉宗がベトナムからゾウを取り寄せ、長崎から江戸まで歩かせた。
この後、日本におけるゾウの描かれ方は格段に本物らしくなった。
このゾウは本堂前に設置された高さ三メートルの灯篭に描かれている↓
材料は当時発見されたばかりの別子銅山から。
住友が財閥として発展していく基礎となった鉱山だ。
瀬戸内から大阪⇒京都への西国街道の要衝のひとつ山崎に祀られた歓喜天=聖天さんは商売の神様。
なので住友はここに寄進し、秘仏の聖天さん=歓喜天がゾウの姿をしているというので灯篭にもゾウを描かせたのだ。
聖天さんはヒンズー教の商売の神ガネーシャと同一。
絶対秘仏なのでどんな姿かさえ判然としないが、ここ聖天さんの神像は頭がゾウの男女が抱き合っている姿をしているのだそうだ。
聖天さんが祀られているお堂の正面欄間の部分にこんな木彫があった。
なぜこんなデザインなのかはわかっていない。
もしかしたら、餅つきが性行為を暗示しているのかしらん。
聖天さんとはまさに歓喜を賛美する神様なのだから。
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山崎聖天観音は天下分け目の天王山の中腹にある。
秀吉と光秀の戦いがあった場所から近い。
不思議なことに、ここの家紋は光秀の桔梗である。
なぜなのかは幕末の金門の変で古文書が消失してしまったのでよくわかっていない。