~2004,2005,2009フランスの旅より
飛行機のなかった中世には難攻不落の砦だっただろう
「レ・ボー」とはこの地方の方言で岩がごろごろした山を意味するのだそうだ。
標高三百メートル付近の旧市街へ
城門をくぐって入る
車の入れない小道に
いいかんじのお店やホテルがある。
フランス人にも人気の観光地
↓↑季節でずいぶん人出がちがう
レ・ボーの街の紋章は★↓
星に導かれてキリストの誕生にやってきた「東方の三賢人」の一人、バルタザールがこの街の祖だという伝説による
ロマネスクのサン・ヴァンサン(ビンセント)教会
当初はカソリックだったが、宗教改革の時代にレ・ボーはプロテスタントの街になった。
16世紀ごろの建物の廃墟にその名残が見られる。
窓枠の上に[ POST TENEBRAS LUX 1571 ] と刻まれている
『暗闇の後には光がやってくる」
カトリック=暗闇のあとにプロテスタント=光がやってくるという意味で、
ジュネーブを中心とするフランス語圏プロテスタントの標語だった。
1631年、ルイ13世は王権にはむかうプロテスタントの逃げ場になっていたレ・ボーを宰相のリシリューに銘じて降伏させた。
街は再びカトリックの支配下にはいったが、住民の趣旨がそう簡単に変わりはしなかっただろう。
**
この街のもう一つの顏は1822年にここで発見されたボーキサイト町の名前にちなんで名付けられた。
その、石切り場の跡がびっくりするような場所になっている↓
石切り場としては1970年代には終了
1975年にアルベール・プレシーというジャーナリストで絵描きで写真家で映像作家という多彩な人物が、地下に広がる白い壁をつかって映像を投影し音楽と共に見せる「イメージの大聖堂」というイベントをはじめた。
プレシー自身はは1977年にレ・ボーで亡くなったが夫人が2002まで引き継いだ。
夫人も亡くなったあと、ボー市が買い取って続けている。
ピカソの「青の時代」を映し出していたが、新作も上映されている。
ダイナミックで幻想的な空間を楽しめる場所。
忙しいツアーではなかなか時間がありませんが。
※日本の大宅石採石場の跡でもやったらよいのに、とおもったらすでに意欲的な展示が行われているのを知りました。
2020年のたいへんな時期にもこんなのをやっていたのですね。
訪れてみたいです(^.^)
飛行機のなかった中世には難攻不落の砦だっただろう
「レ・ボー」とはこの地方の方言で岩がごろごろした山を意味するのだそうだ。
標高三百メートル付近の旧市街へ
城門をくぐって入る
車の入れない小道に
いいかんじのお店やホテルがある。
フランス人にも人気の観光地
↓↑季節でずいぶん人出がちがう
レ・ボーの街の紋章は★↓
星に導かれてキリストの誕生にやってきた「東方の三賢人」の一人、バルタザールがこの街の祖だという伝説による
ロマネスクのサン・ヴァンサン(ビンセント)教会
当初はカソリックだったが、宗教改革の時代にレ・ボーはプロテスタントの街になった。
16世紀ごろの建物の廃墟にその名残が見られる。
窓枠の上に[ POST TENEBRAS LUX 1571 ] と刻まれている
『暗闇の後には光がやってくる」
カトリック=暗闇のあとにプロテスタント=光がやってくるという意味で、
ジュネーブを中心とするフランス語圏プロテスタントの標語だった。
1631年、ルイ13世は王権にはむかうプロテスタントの逃げ場になっていたレ・ボーを宰相のリシリューに銘じて降伏させた。
街は再びカトリックの支配下にはいったが、住民の趣旨がそう簡単に変わりはしなかっただろう。
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この街のもう一つの顏は1822年にここで発見されたボーキサイト町の名前にちなんで名付けられた。
その、石切り場の跡がびっくりするような場所になっている↓
石切り場としては1970年代には終了
1975年にアルベール・プレシーというジャーナリストで絵描きで写真家で映像作家という多彩な人物が、地下に広がる白い壁をつかって映像を投影し音楽と共に見せる「イメージの大聖堂」というイベントをはじめた。
プレシー自身はは1977年にレ・ボーで亡くなったが夫人が2002まで引き継いだ。
夫人も亡くなったあと、ボー市が買い取って続けている。
ピカソの「青の時代」を映し出していたが、新作も上映されている。
ダイナミックで幻想的な空間を楽しめる場所。
忙しいツアーではなかなか時間がありませんが。
※日本の大宅石採石場の跡でもやったらよいのに、とおもったらすでに意欲的な展示が行われているのを知りました。
2020年のたいへんな時期にもこんなのをやっていたのですね。
訪れてみたいです(^.^)