旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

《手造の旅》五島列島 第二回_小値賀島から佐世保経由羽田へ

2018-04-23 02:32:01 | 国内
「島宿御縁」にはたくさんおります↓

ブログを見て宿泊して、一日ネコたちと遊んでいた方もいたのだそうな(^.^)
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島に二台しかないバスのうち一台をお借りしてめぐる小値賀。

橋でつながった斑島にある天然記念物「玉石甌穴」へ
びゅんびゅん風が吹く中、濡れないように注意して近づく

覗き込む穴には・・・↓

龍の目玉↓

かつて同じようだっただろう石が近くの祠に鎮座している↓


***
「牛に注意」の看板はユニークなデザイン↓


****「牛の塔」
小値賀島はかつて二つの島が浅瀬で隔てられていた。十四世紀に二つをつなぐ干拓工事が行われ、その時の工事で犠牲になった牛たちを祀った塚がある↓牛は埋められていないが、供養のために一文字ずつ経文を書いた石が七万個?もその下にあるとされる↓

最初の記念碑は石の柱がひとつだけだったが、後年それを覆う屋根とその時の施政者・寄付者の名前が刻まれた石板がある↓

干拓によって出現した「建武の新田」は、今日でも当時のままの姿で受け継がれているとされる↓


*****八世紀創建とされる「地の神島神社」

参道は海からはじまってる。鳥居の先にある野崎島の「沖の神島神社」と対面している

その間に海底にもう一つ鳥居があるという伝説も。



*******小値賀には古墳時代の巨大な石棺もある↓廃屋の浦手にこんな場所があるなんてびっくり




*******旧家を利用した料理屋「藤松」で、今回最後の食事を

ここは海側にある門の方が立派↓


食事をはじめるまえに、ベベンコビッチさんに島ならではの歌をおねがいした。大ウケ(^.^)





佐世保へ向かう14時の船。今回お世話になった皆さんに見送られて…


誰かに迎えてもらい、送ってもらう旅って、いいですね(^.^)

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《手造の旅》五島列島 第二回_小値賀島

2018-04-22 20:20:20 | 国内
小値賀島へ向かう船上


「あわび館」が見えてきた↓小値賀島はかつてあわびを特産品として大陸にも輸出していた。そういった歴史や採り方を解説してくれている場所。前回訪れた時にここにはもうアあわびはないことを知ったのだけれど※こちらから前回の写真をごらんいただけます


港で尼崎豊さんにお迎えいただいた
港から「笛吹郷」を歩くと昨年九月にはなかった施設がいくつも目についた。小値賀も発展してゆくのですね

夜も楽しめる場所をつくりたいと考えてオープンさせたという「おと屋」、今晩行ってみよう

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歴史民俗資料館の白壁が見える坂の下はかつて海だった↓

つまり門に立つとそのまま海が見晴らせたのだろう

ここは小田家の邸宅だったが守っていた最後の女性が高齢となり、小値賀町にすべてが寄贈された


小田家代々の祀られている「万日堂」も、かつては海のすぐ上に位置していたのだろう↓

真っ赤に塗られたのは復元の時に赤い顔料がみつかったから↓


今でも病気平癒を願って人々が訪れるちいさなお堂がちかくにあった↓





今晩宿泊の「島宿御縁」さんへ到着

ここは外国からの短期ホームステイをうけいれているので、外国人の方がサーブしてくださる。今回はベルギーやカナダからのかただそうな

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夕食後、「おと屋」へ。ここをひらいたのは地元ミュージシャンの「ベベンコビッチ」さん。れっきとして日本人です(^.^) この土地でこそよくよく気持ちが伝わってくる歌をしっかりきかせてくださる↓

「ばあちゃんが眠るこの島で」と、「四つ船(かつて五島へ寄港していた遣唐使船のこと)」という歌をきかせてくださった。明日、我々のお昼の席にも出張してくださることになっている。楽しみです。


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《手造の旅》五島列島 第二回_野崎島

2018-04-22 13:07:02 | 国内
津和崎港から海上タクシー乗船
十分ほどで野崎島が近付いてくる。現在は無人島だが、かつては三つの集落があった。そのうちいちばん険しい場所にあったのが、舟森集落。かつての段々畑を今もみることができる↓

集落を放棄する時に、キリスト教徒が住んだ証として十字架を残していったのだ。

鞍部に建設された野首集落の野首教会が見えてくる↓

世界遺産候補で、五島列島の教会群の中で最も印象的な場所だ。ここから上陸して歩けば近いようだが、それはできない。
島に交通機関はないから、野崎集落からてくてく小山を超えて歩いていくしかない。

野崎集落の港に上陸

ガイドの近藤さんが待っていてくださった。
真新しいビジターセンターに荷物を置いて歩きだす。廃墟になった集落↓

水場は今も生きている↓

この島いちばんの神域は「王位石(おえいし)」と呼ばれるイギリスのストーンヘンジに似た巨石。そこを遥拝するための神官屋敷が当時の姿を留めている。「当時」と言っても昭和のはなしだが

巨大なクロマツの板が保管されていたのでそれをテーブルにしたそうだ↓

あ、島の住民が見てます↓


集落を上りきって海を見晴らす広々とした草原にでる。「小値賀サバンナ」と通称されている場所。

かつては豪商の屋敷もあったかと想像されている地面は、目を凝らすと陶片がたくさん落ちている↓
雨風でどんどん新しいものが地中からみつかるのだそうだ。
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集落の中をながれる小川をこえて
さっき船上から見た野首集落をめざしてのぼってゆく。かつての教員宿舎が放棄されている

海を見晴らす場所まで上った↓



おもしろいのは、木々の下の部分だけ葉っぱがなくなって、透かして青い海がみえること↓
これは、鹿が背の届くところだけを食べつくしたからだそうだ。

野首集落がみえてきた

元小学校だった施設でおべんとうをひろげる
終わったら、すぐ上にある野首教会へ上がろう↓








小松がここでぜひ見ていただきたいのは…
★野崎ダム
教会向かって左奥を少しのぼると小値賀島が見える場所にでる。そして不意に貯水池があることに気付く↓

このダムは2001年に完成した。これはつまり島が無人になってから、ということ。この水は何のため?
実は海底パイプで小値賀島へ送られているのだ。
小値賀では数年に一度水不足でたいへんな目に遭っていたので、こういう解決方法をとったのだ。
それにしても川もないこの島でどうやって水をためるのだろう?調べてみると、いわば雨どいのような装置を野崎島にめぐらせてここに水を集めるのだった。へえ~。

さらに今回おしえてもらったことは、ダムを建設するために掘った土が積み上げられてすぐそばの小山になっていたこと。下の写真はダムを見下ろす場所から野首教会をみたところだが、その右手にその小山がある↓

登れる↓のぼってみよう

教会を見下ろす視界がひろがった↓


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再びてくてく小山を超えて、野崎集落の港にもどる↓

途中にイノシシの罠があった↓石垣をほっくり返すので被害甚大なのだそうだ↓

15:10の定期船で小値賀島へむかう

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《手造の旅》五島列島 第二回_マルゲリータの朝食

2018-04-22 06:06:37 | 国内
マルゲリータ・ホテルは日曜朝に自家製のパンを焼いている。朝六時からならぶこのパン、地元の方々にも人気

どれもおいしそう(^.^)
**朝食は和洋選べる、和食ももちろん十分においしい

が、小松のお勧めは洋食イモのヴィシソワーズ
たまご、とてもおいしいです手づくりのジャムが秀逸!添加物がないからか持って帰ってはだめ、ここで食べるしかありません(^.^)

左からいちご、中がみかん、右がなんと玉ねぎ どれもおいしいです。
うれしいのは追加メニューが豊富なこと。これら全部、無料で頼めるのです↓
↓グラノーラとヨーグルト

↓リンゴパイ

ホットケーキ これもイモがおいしい
↓フレンチトースト、本物です(^.^)

↓五島うどんもあります


さあ、上五島の最北、津和崎港へ向かおう

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《手造の旅》五島列島 第二回_中通島

2018-04-21 22:50:38 | 国内
「キリシタン洞窟」から中通島(なかどおりじま)の土井の浦港までは十分ほど。お天気よく穏やかなので船内にもどらずそのまま外で風を楽しむ


入り江に土井の浦教会が見えてきた





上陸して日の島方向へ走る。海上から見ていた教会のすぐ横を通る。


鎌倉時代、室町時代からの石塔なのだそうだ

日の島の石塔群は、ここが大陸との交易拠点であったことを実感させてくれる。
船が近づいたことを火を焚いて知らせたので「火の島」、そこから現在の名前に転化したらしい。
1298年北条氏の貿易品を満載した船が近くで難破した記録がある。ここにあるたくさんの墓碑はあるいはその時がきっかけなのかもしれない。※現地の案内板より
かなりおもしろい見学場所だと思うのだが、仔細なきちんと説明を誰かにしてもらいたい。「謎」なのだというのだが、専門家のいろんな仮説、きいてみたい。
こういう墓碑のかすれてしまった文字にどんなことが書かれていたのだろう…

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★海上石油備蓄基地
日本全土で使う石油を七日間まかなえる量がここに保管してある。万が一の石油不足のために1984年から四年の歳月と二千億円をかけて建設した。※現場の解説版より

390メートル×97メートルの巨大な石油タンク船が五隻浮かんでいるのだ。
↓トンネルを使わずに跡次教会(あとつぎきょうかい)のある高台まであがると、どでかい施設が浮かんでいるのが遠望できた↓

平時にこうしためだたない政策を実現させているのは日本という国の性格をよく感じさせてくれる。しかし、この施設の設置を当時歓迎してくれる地方自治体はなかなか見つからなかったのだそうだ。しかし、上五島市はこれを受け入れたことで相応の補助金を受け取ることができ、「石油備蓄会館」などというあからさまな名前の施設も建設されていた

この施設の見学も可能らしいから、次の五島の旅に組み込んでみようかしらん…うーむ

*****
上五島観光の看板のひとつ「頭が島教会」へ。途中くじらのかたちをした「鯨賓館」が見えた

近くにある神社には巨大なクジラの顎の骨が装飾されている
展示もお見せしたかったのだが、教会見学の時間指定が迫っていたのでパス。
この四月から頭が島教会へのシャトルバスの運行が開始され、車両はすべて空港前に止めなくてはならなくなった。このシャトルバスが一時間に一本しかないのだ。
赤い橋を渡って頭が島に入る↓

空港は1981年に開港し2006年までは定期便も飛んでいたが、今は停止された。ここに定期便が復活すれば便利になるだろう。世界遺産指定されれば実現するかもしれない。
それを期してここからシャトルバス運行をはじめたのかもしれない。
だが今日は、このシャトルバスの時間に合わせてここに来なくてはならないのでずいぶん時間をロスすることになってしまったのです。混雑具合を勘案して車両整理をするなり、柔軟な対応を考えてほしいものだ。

シャトルバスに乗り換えて尾根を走っていくと、左手下に頭が島教会のある集落が見えた↓

目の前に「ろくろ島」が防波堤のように位置している。「ろくろ」とは首のことで、かつてここに仏像の首の部分が流れ着いたのでこの名前になったのだとか。

教会近くはたくさん車が止まれるように整備されている。昨年来た時よりもこの参道もきれいになっていた↓


石造りであるのは、ろくろ島をはじめ石がとれる場所がちかくにあったから↓


今回、江戸末期にこの集落を興した前田義太夫という人物について教えてもらった。あの時代に在って、切支丹に理解を示し安全に住む場所を提供していたのは勇気ある人だと言えよう。
※こちらのページに解説がありました

どんな神を信じるかで人の価値は決まらない。自分と関わる人を、宗教や人種や言語にまどわされずに「人として」見ることができるかが重要なのだ。
前田義太夫は仏教徒だったが、彼の墓は頭が島の切支丹たちによってずっと大事にされている

******
再び空港から我々のバスに乗り換えて、今晩宿泊のマルゲリータをめざす
途中に「口を開ける岩」が見えてくる
「やがため」と呼ばれる湾をみおろす青砂ヶ浦教会

夕方の教会内でステンドグラスから射し込む光が美しかった

マルゲリータ到着。シチリアの修道院をイメージしたという。




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