こちら、湖にうかぶイゾラ・ベッラからストレーザを見たところ↓
こちら、ストレーザのホテルの部屋から湖をみたところ↓
暗いうちから鳥のさえずりがきこえていたので雨はやんでいるとおもった
朝七時、湖面が穏やかだから船は出るだろう。朝食へおりてゆく↓
クラシックなホテルのクラシックなヨーロピアンな朝食は、も少し野菜がほしくなる
朝九時になってガイドさんとミート。現地の英語ガイド・ヴァレリアさんと歩き出す。
「このホテルはストレーザの観光開発がはじまって二番目に出来たのよ。ボロメオホテルをつくったのと同じ兄弟が手掛けたの」
開業して百十年ほどになる↓
名物の中央階段はもとは最上階まで螺旋状に続く木製だったそうだ。それはしかし火事の際に全階に火を回す煙突の役割になってしまうとして、消防法で改築を命じられた。現在はロビーから一階にあがる部分にかけてだけ、元の姿で残っている。この階段はたしかにわくわくさせる。
ホテルのすぐ右隣にある御屋敷はかつてのイタリア王国サボイア王家のマルゲリータ妃が幼少を過ごしたそうな↓胸像があった
チャーターした船に乗り十五分ほど
★ボロメオ諸島いちばんの見所 イゾラ・ベッラ↓
雲がきれてきた上陸するとすぐに宮殿の下
ここは今でもボロメオ家の個人所有の宮殿。
公開しているのは地上階とその上の一階部分だけ。二階と三階は夏の間にボロメオ家の人々がやってくる。
二十年前から何度か訪れているが、昨年から内部の写真撮影がOKになった!世の流れですかね。やっと内部を紹介できる
入口からの階段に巨大な紋章が掲げられている↓
ボロメオ家はヴィスコンティやスフォルツァとはもちろん、ファルネーゼやメディチとも何重にも縁戚関係になっているそうだ。
当主は「プリンチペ」と称され、三つの爵位を持つ。娘たちの嫁ぎ先もフィアットの社長、石油会社の社長、などなど経済界にも影響力を持つ。
↓絵画室も昨年から公開された部屋↓壁一面を埋め尽くす、昔の絵画展示方法
置かれた工芸品はほとんど実用ではなく、ただ細工の美しさを見せるために製作されたもの。引出しもついていない↓
18世紀から王侯がゲストにやってきた時に提供されていた寝室↓
政略結婚で没交渉の夫妻にも快適なように(とヴァレリアさんが説明した)二つのベッドが縦列に配置されている↓
ひときわ天井の高い音響良いボールルーム↓
こちらは室内楽が演奏された部屋↓
第二次大戦の足音が聞こえてくるような1935年、ストレーザでドイツの進出を食い止めるための会談が行なわれた↓
↑英国首相マクドナルドとフランス首相ラヴァル、そしてイタリアのムッソリーニのサインがある「ストレーザ協約」の写し↑
マクドナルドは二年後に死去、ラヴァルはフランス敗北後のヴィシー政権の幹部となり戦後に銃殺、ムッソリーニはレジスタンスに捕まって銃殺。
ボロメオ家がマジョーレ湖半に最初に築いたアローナの城が描かれた絵↓
この城はナポレオンによって壊され、石材はマジョーレ湖半の軍も通れる道をつくるのに使われてしまった。
きのう訪れた「ボロメオの巨像」はその一部始終をみていたはずである
ここまでのいかにも宮殿といった豪華な部屋は、ヨーロッパではめずらしくない。
このイゾラ・ベッラにしかない部屋は湖面に近い「地下階」にあるのだ↓
↑ボールルームで演じられたという人形劇の箱の横からその部屋に入っていける↓
小さな丸い川石を敷き詰め張りつめた空間↓
今はなくなってしまった噴水の跡↓
夏のいちばん暑い時期、湖面すぐちかくのこの部屋は昼寝に最適だったそうである(^.^)
そこからタピスリーの間をとおって
あ、変な象さん↓
有名な階段庭園へ至る。古代の世界七不思議のひとつ「バビロンの空中庭園」をイメージしたとされる↓
階段をゆっくりあがってゆくと・・・
ボロメオ家のシンボルで飾られた壁がたちあがってくる↓当主が宮殿に来られた際には、この壁の上の旗竿にボロメオ家の旗が掲げられる↓
白いクジャクが放されている↓
テラス上階へ
こちら、ストレーザのホテルの部屋から湖をみたところ↓
暗いうちから鳥のさえずりがきこえていたので雨はやんでいるとおもった
朝七時、湖面が穏やかだから船は出るだろう。朝食へおりてゆく↓
クラシックなホテルのクラシックなヨーロピアンな朝食は、も少し野菜がほしくなる
朝九時になってガイドさんとミート。現地の英語ガイド・ヴァレリアさんと歩き出す。
「このホテルはストレーザの観光開発がはじまって二番目に出来たのよ。ボロメオホテルをつくったのと同じ兄弟が手掛けたの」
開業して百十年ほどになる↓
名物の中央階段はもとは最上階まで螺旋状に続く木製だったそうだ。それはしかし火事の際に全階に火を回す煙突の役割になってしまうとして、消防法で改築を命じられた。現在はロビーから一階にあがる部分にかけてだけ、元の姿で残っている。この階段はたしかにわくわくさせる。
ホテルのすぐ右隣にある御屋敷はかつてのイタリア王国サボイア王家のマルゲリータ妃が幼少を過ごしたそうな↓胸像があった
チャーターした船に乗り十五分ほど
★ボロメオ諸島いちばんの見所 イゾラ・ベッラ↓
雲がきれてきた上陸するとすぐに宮殿の下
ここは今でもボロメオ家の個人所有の宮殿。
公開しているのは地上階とその上の一階部分だけ。二階と三階は夏の間にボロメオ家の人々がやってくる。
二十年前から何度か訪れているが、昨年から内部の写真撮影がOKになった!世の流れですかね。やっと内部を紹介できる
入口からの階段に巨大な紋章が掲げられている↓
ボロメオ家はヴィスコンティやスフォルツァとはもちろん、ファルネーゼやメディチとも何重にも縁戚関係になっているそうだ。
当主は「プリンチペ」と称され、三つの爵位を持つ。娘たちの嫁ぎ先もフィアットの社長、石油会社の社長、などなど経済界にも影響力を持つ。
↓絵画室も昨年から公開された部屋↓壁一面を埋め尽くす、昔の絵画展示方法
置かれた工芸品はほとんど実用ではなく、ただ細工の美しさを見せるために製作されたもの。引出しもついていない↓
18世紀から王侯がゲストにやってきた時に提供されていた寝室↓
政略結婚で没交渉の夫妻にも快適なように(とヴァレリアさんが説明した)二つのベッドが縦列に配置されている↓
ひときわ天井の高い音響良いボールルーム↓
こちらは室内楽が演奏された部屋↓
第二次大戦の足音が聞こえてくるような1935年、ストレーザでドイツの進出を食い止めるための会談が行なわれた↓
↑英国首相マクドナルドとフランス首相ラヴァル、そしてイタリアのムッソリーニのサインがある「ストレーザ協約」の写し↑
マクドナルドは二年後に死去、ラヴァルはフランス敗北後のヴィシー政権の幹部となり戦後に銃殺、ムッソリーニはレジスタンスに捕まって銃殺。
ボロメオ家がマジョーレ湖半に最初に築いたアローナの城が描かれた絵↓
この城はナポレオンによって壊され、石材はマジョーレ湖半の軍も通れる道をつくるのに使われてしまった。
きのう訪れた「ボロメオの巨像」はその一部始終をみていたはずである
ここまでのいかにも宮殿といった豪華な部屋は、ヨーロッパではめずらしくない。
このイゾラ・ベッラにしかない部屋は湖面に近い「地下階」にあるのだ↓
↑ボールルームで演じられたという人形劇の箱の横からその部屋に入っていける↓
小さな丸い川石を敷き詰め張りつめた空間↓
今はなくなってしまった噴水の跡↓
夏のいちばん暑い時期、湖面すぐちかくのこの部屋は昼寝に最適だったそうである(^.^)
そこからタピスリーの間をとおって
あ、変な象さん↓
有名な階段庭園へ至る。古代の世界七不思議のひとつ「バビロンの空中庭園」をイメージしたとされる↓
階段をゆっくりあがってゆくと・・・
ボロメオ家のシンボルで飾られた壁がたちあがってくる↓当主が宮殿に来られた際には、この壁の上の旗竿にボロメオ家の旗が掲げられる↓
白いクジャクが放されている↓
テラス上階へ