旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

マジョーレ湖のイゾラ・ベッラへ

2018-04-12 12:12:12 | イタリア
こちら、湖にうかぶイゾラ・ベッラからストレーザを見たところ↓

こちら、ストレーザのホテルの部屋から湖をみたところ↓
暗いうちから鳥のさえずりがきこえていたので雨はやんでいるとおもった

朝七時、湖面が穏やかだから船は出るだろう。朝食へおりてゆく↓

クラシックなホテルのクラシックなヨーロピアンな朝食は、も少し野菜がほしくなる


朝九時になってガイドさんとミート。現地の英語ガイド・ヴァレリアさんと歩き出す。
「このホテルはストレーザの観光開発がはじまって二番目に出来たのよ。ボロメオホテルをつくったのと同じ兄弟が手掛けたの」
開業して百十年ほどになる↓

名物の中央階段はもとは最上階まで螺旋状に続く木製だったそうだ。それはしかし火事の際に全階に火を回す煙突の役割になってしまうとして、消防法で改築を命じられた。現在はロビーから一階にあがる部分にかけてだけ、元の姿で残っている。この階段はたしかにわくわくさせる。

ホテルのすぐ右隣にある御屋敷はかつてのイタリア王国サボイア王家のマルゲリータ妃が幼少を過ごしたそうな↓胸像があった


チャーターした船に乗り十五分ほど
★ボロメオ諸島いちばんの見所 イゾラ・ベッラ↓

雲がきれてきた上陸するとすぐに宮殿の下

ここは今でもボロメオ家の個人所有の宮殿。
公開しているのは地上階とその上の一階部分だけ。二階と三階は夏の間にボロメオ家の人々がやってくる。
二十年前から何度か訪れているが、昨年から内部の写真撮影がOKになった!世の流れですかね。やっと内部を紹介できる

入口からの階段に巨大な紋章が掲げられている↓

ボロメオ家はヴィスコンティやスフォルツァとはもちろん、ファルネーゼやメディチとも何重にも縁戚関係になっているそうだ。
当主は「プリンチペ」と称され、三つの爵位を持つ。娘たちの嫁ぎ先もフィアットの社長、石油会社の社長、などなど経済界にも影響力を持つ。
↓絵画室も昨年から公開された部屋↓壁一面を埋め尽くす、昔の絵画展示方法

置かれた工芸品はほとんど実用ではなく、ただ細工の美しさを見せるために製作されたもの。引出しもついていない↓

18世紀から王侯がゲストにやってきた時に提供されていた寝室↓
政略結婚で没交渉の夫妻にも快適なように(とヴァレリアさんが説明した)二つのベッドが縦列に配置されている↓

ひときわ天井の高い音響良いボールルーム↓

こちらは室内楽が演奏された部屋↓

第二次大戦の足音が聞こえてくるような1935年、ストレーザでドイツの進出を食い止めるための会談が行なわれた↓

↑英国首相マクドナルドとフランス首相ラヴァル、そしてイタリアのムッソリーニのサインがある「ストレーザ協約」の写し↑
マクドナルドは二年後に死去、ラヴァルはフランス敗北後のヴィシー政権の幹部となり戦後に銃殺、ムッソリーニはレジスタンスに捕まって銃殺。

ボロメオ家がマジョーレ湖半に最初に築いたアローナの城が描かれた絵↓

この城はナポレオンによって壊され、石材はマジョーレ湖半の軍も通れる道をつくるのに使われてしまった。
きのう訪れた「ボロメオの巨像」はその一部始終をみていたはずである

ここまでのいかにも宮殿といった豪華な部屋は、ヨーロッパではめずらしくない。
このイゾラ・ベッラにしかない部屋は湖面に近い「地下階」にあるのだ↓

↑ボールルームで演じられたという人形劇の箱の横からその部屋に入っていける↓

小さな丸い川石を敷き詰め張りつめた空間↓

今はなくなってしまった噴水の跡↓

夏のいちばん暑い時期、湖面すぐちかくのこの部屋は昼寝に最適だったそうである(^.^)


そこからタピスリーの間をとおって
あ、変な象さん↓


有名な階段庭園へ至る。古代の世界七不思議のひとつ「バビロンの空中庭園」をイメージしたとされる↓

階段をゆっくりあがってゆくと・・・
ボロメオ家のシンボルで飾られた壁がたちあがってくる↓当主が宮殿に来られた際には、この壁の上の旗竿にボロメオ家の旗が掲げられる↓

白いクジャクが放されている↓

テラス上階へ









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ボロメオの巨像にのぼってからストレーザへ

2018-04-11 18:18:18 | イタリア
ミラノを横目に北上しマジョーレ湖畔を走る。湖面標高は二百メートルほど。アローナという小さな町に聖カルロ・ボロメオの巨像がある↓台座だけで11メートルある。日本の江戸時代初めに建てられた↓

★内部にのぼりました!こちらからごらんください

アローナはカルロ・ボロメオの出身地でボロメオ一族の重要な城があったのだが、ナポレオンによって破壊され、その石は湖畔に軍隊の通れる道を建設するのに使われたのだそうだ。この道、もうすぐストレーザ↓


かつてオリエント急行の乗客もここで一泊させられたというリゾートタウン。せっかくだから歴史ある優雅なホテルを選んだ↓




部屋はもちろんレイク・ビューを


今晩は雨もつよくなってきたし、ホテルのダイニングで夕食にしよう
みんなで好き好きにいろんなメニューを楽しもう(^.^)

アミューズにこれだけの一皿が登場↓

手前のはトマトでした

vigezzo谷からのハムとマッシュルームのコンフィ


ホウレンソウと洋ナシとアシアゴ・チーズ

※Vigezzoもアシアゴもスイスと接するイタリアの地方名

スカモルツァ(燻製チーズ)のリゾットをプロセッコ(シャンパン)で調理してピスタチオを散らす


野菜スープ 


ニョッキとムール貝


メインコース、セコンドにはお肉。アカチコリとゴルゴンゾーラのソースで
これはとてもたべきれないので予め半分の量にしてとりわけてもらいました


雨の降る日は外のレストランにはいかずにダイニングでゆっくり過ごしたい(^.^)


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クレモナの紋章、洗礼堂と鐘楼にのぼる

2018-04-11 12:12:12 | イタリア
クレモナの紋章は少し変わっている↓右側のボールをつかんでいる手は何?

注意して見ていると、街のいろんな場所に玉を持った人物が居る↓大聖堂の横壁にも

調べてみると、この人物はジョヴァンニ・バルデジオという11世紀クレモナの施政者だった人物。

手に持っているのは、三キロの金の玉。これは神聖ローマ皇帝ハインリッヒ四世がクレモナ市に税金として納めるのを求めていたもの。
バルテジオは皇帝に直談判。騎馬試合?をして皇帝を落馬させ、税金を免除させたと伝えられている。
**
洗礼堂に入る↓

洗礼堂の中にある像は、バルテジオの横に同じように玉を持つ女性がいる↓

バルテジオが手に入れた金の玉はこの年ベルタという町の女性の結婚持参金になったというから、彼女にちがいない。
洗礼堂は12世紀、日本でいえば平安時代の姿をよくとどめている。内部を見上げる↓シンプルな八角形



***
ヨーロッパで一番高いレンガ造りの塔にも登ろう↓はじめはけっこう広い階段↓

さっきのバルテジオがみえる↓




洗礼堂の頂上に天使ガブリエル↓

螺旋階段になってきた↓

着いた!とおもったら、さらに上がある↓




ここがほんとの頂上!502段、おつかれさま(^.^)


八角形の洗礼堂↓


市庁舎↓




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ヴィオラの演奏会を聴いてからクレモナを歩く

2018-04-10 11:50:08 | イタリア
雨の予報だったが青空のラヴェンナを出発。旧市街のすぐ外にあるヴェネチア要塞↓今回の訪問で知ったのは、要塞以前にあった六世紀建設のテオドリクスの教会が取り壊されていたこと。

1441年にヴェネチアがラヴェンナを征服した時、多くの建物や人が壊されていたのか。
テオドリクスの教会に使われていた柱は、ポポロ広場にあるヴェネチア宮殿の柱に再利用されていた↓今もテオドリクスの名前が読み取れるモノグラム。

これだけの太さの柱が支えていた教会はどんなだったのだろう。

高速道路で北上。途中のモデナやパルマは今回は寄らない。サービスエリアの地図を見るとカノッサ城の跡とか、まだまだ見どころは尽きないこのエリアだ↓

スペインの建築家カラトラバの設計した橋をくぐる↓

※こんな作品もつくっております

**
二時間ちょっとのドライブで今日宿泊するクレモナの旧市街が見えてきた↓ひときわ高い塔は大聖堂の横に聳える「トラッツォ」↓

高さ112メートルの鐘楼はイタリアで最も高い↓

ホテルに荷物を置いて、すぐちかくのヴァイオリン博物館へ↓

ミニ・コンサートを観覧↓今日のテーマは「ヴィオラ ジローラモ・アマティ1615年」

日本で徳川家康が亡くなったころに制作された木の箱が奏でる豊かで大きな音がホールを満たす。※こちらに詳しく書かれた英語ページがあります
ジローラモ・アマティの息子ニコロが、かのアントニオ・ストラディヴァリの師匠になる。
***
コンサートを終えて、博物館専任の日本人ガイドさんに案内していただいた。これで何度目かになるがいつも新しい発見がある
ヴァイオリンの名器を正確にコピーしても同じ音は出ない。材料である木材はひとつひとつ違うし、それによってヴァイオリンの命ともいうべき「アニマ(魂柱)」の位置が変わってくるのだから。3Dを使ってわかりやすく解説してくださる。

↑四弦の下に置かれる補強板

ヴァイオリン博物館の建物はもともとムッソリーニ時代のものだが、それに調和して現代的なデザインが付加されている↓


博物館を出てホテルに入ったころから雨になった。夕食までしばらく休憩。
*****
午後六時半、びっくりするような青空がひろがった↓

あの鐘楼、明日には登ってみたいなぁ
この時間ならお店も開いている。レストランまでのみちすがらお菓子屋さんに入る↓
クレモナ名物セット↓トローネ(ヌガーのようなものだが硬さはいろいろある)
ヴァイオリン、そしてモスタルダ↓

★モスタルダは見かけとは違う味

今晩ぜひ味わって、びっくりしていただきたいと思っている(^.^)

二十年前にはじめて訪れた時からほとんどかわっていないこの店へ↓


きのこと野菜をシチュー状にして、ポレンタ(トウモロコシの粉を練ったつけあわせ)と共に↓
ポレンタとよくあうのです

ショートパスタと ニョッキ

そして、やってきましたモスタルダ↓

↑赤いのはオレンジ、小さ目のはプラム?
甘いと思って口に入れると、すぐに辛さが迫ってきてむせる。
マスタードをたっぷり染み込んでいるのだ。
とても辛くて食べられないと思うが、肉とあわせると印象が変わる↓

肉の生臭さやぱさぱさ感をいっきに解消してくれる。
そうか、モスタルダはデザートだと思って食べてはいけないのか。
ホース・ラディッシュのように、あるいは刺身につけるワサビのように、使うのか。








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ラヴェンナを歩く

2018-04-09 23:57:28 | イタリア
ラヴェンナは一日いっぱい歩いても見きれない・興味深い見学場所がたくさんある。初期キリスト教のモザイク群はもちろんだが、それだけではない。
●「テオドリクス廟」は、他の場所では見られない六世紀の墳墓↓

★こちらにて以前書いたものを読んでいただけます
テオドリクスは八歳でコンスタンチノープルに人質として預けられそこで成人する。いちばん多感な時期を国際都市で成長した彼は、言語・学問・文化、幅広い教養と柔軟性を持った人物だった。テオドリクスが残した限られたモノからでも、そう感じさせてくれるのだ。
**
朝一番で定番へ。
●ガラ・プラチディア廟は五世紀のもの↓

彼女の父も、兄も、息子も、ローマ皇帝だった。


●サン・ヴィターレ聖堂

ここはラヴェンナの軟弱な地盤のせいで長い間水につかっていた↓柱にその水面の線が残っている↓


床の一角にさらに下の古い時代のモザイク画見つかった場所↓

ここがサン・ヴィターレが殉教した場所だと信じられている。
そこにはまっていたモザイク画↓

1911年に泥の下から見つかった↓


床ばかりみないで(^.^)主祭壇上の輝くモザイク↓

※こちらに以前書いたものがあります ★大司教博物館所蔵のマクシミアヌス司教の象牙の椅子も載せております
***
サン・ヴィターレから少し離れたところにあるラヴェンナの大聖堂は1733年にとりこわされ建てなおされた。
が、すぐ横にある●ネオン洗礼堂は五世紀の姿を留めている。いろいろな資料を読んでいるとラヴェンナに残るすべてのモザイク画の中でいちばん評価が高いようだ。小松自身何度もみているうちにその表現力が沁みてきた↓

こういった工芸技術を味わうには、全体を俯瞰するだけでは不十分。解説を聴いてから、少し時間をかけて細部に迫る必要がある

↓左の人物の陽に焼けた肌、右の人物との対比。右の人物の布で冠を持つ手↓

この礼拝堂にかぎったことではないが、建設当初より二メートル以上も沈んでいるので、昔の人々が見たよりも間近で見ることができる

●ケネディ広場↓

正面の建物は「退役軍人センター」。ムッソリーニの時代に建てられた。ここにあった古い教会をとりこわしたことが、地面に描かれた石の線で示されている↑
広場になった当初は「マーケット広場」だったのだが、ケネディ暗殺の報をうけて改名された。

***
ダンテの横顔↓これは落書きではなく、ブラジル出身のコブラというアーティストの作品↓

ラヴェンナはダンテの墓があるのだ。

※●ダンテの墓にまつわるお話をこちらに書きました

●フランチェスコ教会
ダンテの葬儀が行われた当時にちかいかたちで見ることができる↓

ダンテの時代よりも地盤沈下しているのはもちろん。九~十一世紀ごろと言われる床は↓こんな風に水没。主祭壇下に見ることができる↓

ここを菩提寺にしていたポレンタ家の墓碑↓

※ヴェネチアによって放逐されたポレンタ家の話をこちらに書きました
横の礼拝堂から視線を感じた↓この人物は?

アウシュヴィッツで身代わりの死を選んだコルベ神父だった。フランチェスコ会に属していたのでここに蝋人形が置かれているのだそうだ。

お昼はこんなワンデッシュランチ↓
↓オレッキエッティ(耳たぶ型パスタ)アドリア海の魚、かぼちゃ、きのこ、タイムをつかって

↓アスパラガス、トマト、マッシュポテト、焼いたイカ


●サンタ・アポリナーレ・ヌオーヴァ
テオドリクス王の宮殿の一部としてあった教会だと考えられている。

六世紀からのモザイク画にはテオドリクス自身のすがたもあったかも↓

※このページはじめのテオドリクスについてのリンクからご覧ください
後陣アプスにもかつてはモザイク画があったと考えられているが、地盤が不均等に沈下したためか、倒壊してバロック風の装飾に替えられている↓

床の部分を見ると手前に丸く線が見える。そこまでがかつての後陣アプスだった

****近くの現代モザイク工房を訪ねる

↓これが金色のモザイク片(テッセラ)の元になる↓


●アリアニ礼拝堂↓

今回はじめて自動販売機の入場券





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