旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

ボローニャへ行く飛行機がヴェネチアに着陸して

2018-04-08 11:57:15 | イタリア
アルプスを越えてイタリアに入った飛行機は、突然左方向へ旋回した

ヒースロー空港を出たBA540便はボローニャ行
方向はまっすぐ南下の筈なのだが?

不思議に思っていると機内アナウンスがあった。
「ただいまボローニャ空港が爆弾処理のために閉鎖されており、この飛行機はヴェネチアへ着陸することになりました」
爆弾?イタリアの地方都市でもテロかと早とちりしたが、これは第二次大戦中の不発弾だった(ほっ)

眼下にヴェネチアの干潟が見えてくる↓

ヴェネチアを訪れたことのある方が「こんなふうになってたなんて知らなかった」と言った。
間近に見ているからこそ理解できていない事柄もある。
ヴェネチアは地図でこんなふうな地形にある↓

↓画面左奥に見える島がヴェネチア本島にちがいない↓

↑いちばん近くはキオッジャの旧市街島↓ヴェネチアとは別の町。独特のカニ料理で有名。一度訪れてみたいと思ってまだ果たしていない↓


飛行機がヴェネチア空港に着陸。「ボローニャ空港がオープンする可能性があるのでしばらく機内待機をおねがいします」
しかし、三十分ほどで降ろされた↓

ターンテーブルで荷物を受け取り、英国航空係員の指示を待つ。
こういう場合、ボローニャ空港まで航空会社のバスで運んでくれるのが通例。問題は、それが「いつ」になるのか。係員がどこかと電話しているフライトナンバーを示して誘導される↓

ボローニャ空港閉鎖の影響を受けたのは我々だけではない。「いつ」バスはやってくるのかしらん。
「そうですね、一時間は待つと思います」と係員。ほんと? ここはイタリアなのだ。
別の対応策はヴェネチアに降りるのが決まった時から考えていた。
今日の我々の最終目的地はラヴェンナなのだから、ボローニャまで行く必要はない。
直接列車で行くことができるのではないか?
イタリア国鉄のページを調べてみると、一時間に一本か二本、ヴェネチアから利用できそうな列車があった。ただし、フェラーラで乗継だ。この場合、スーツケースがあることが問題。イタリアの地方駅ではエレベーターやエスカレーターはあまり期待できない。小さな駅ではまず設置されていないと思っておいた方がよい。乗継はしたくないなぁ。
地図を見て、ボローニャで待っている車にフェラーラまで迎えに来てもらうことにした。

英国航空の係員は相変わらず電話中。
ヴェネチアの駅へ出るバスをチェックすると、十分後に出発だとわかる。

「電車で行きましょう」即決して動き出す↓

※ヴェネチアの空港に中国勢がどれだけ来ているのかが分かります↑

ヴェネチアの大陸側・メストレ駅までのバス↓

二十分で8ユーロ↓

メストレ駅に着いたのは14時少し前。さわやかな風の吹く、観光客の姿もそれほどは多くない午後↓

切符を買いに行く↓

調べてあったとおり、フェラーラまで直行する次の列車は14:54だった。
乗車まで、ランチにちょうどよい。駅から出てすぐのバールに荷物を近くに置いておける場所を見つけた↓

こういう何気ない場所でもけっこうおいしいのがイタリア↓



三十分ほどでランチを終えて駅のホームへ向かう。切符はこの機械で時間を打穀しておくこと↓

フェラーラまで一時間ほどの一般列車二等席で8.5ユーロ程度
スーツケースの階段移動にはそれなりに苦労したが、無事に列車がやってきた↓


二階建て席でしばし車窓からの景色を楽しみましょう(^.^)↓

スーツケースは車両入口の広いところで積んで小松が番してます↓

となりにぼろぼろのギターとワインの入ったコップを持ったいかつい男。スーツケースに貼ってあった「NAGASAKI」という文字に反応して少し話した。数駅でよろよろ立ち上がって降りようとした時、奥からこの子がたっと出てきた↓

↑忠犬ですねぇ(^.^)
フェラーラ駅、ホームから出口まで階段しかなかった。

駅舎を出たところで予定通りステファノさんの車が待っていてくれた↓

ラヴェンナまで一時間十五分。うとうとしながら豊かなパダーニャ平原を走る↓イタリアでいちばん平らで川がたくさん流れる場所

やがてアドリア海が近付く。見えているのはしかし浜名湖のような湖。同じようにウナギが養殖され、バードウォッチングに人気があるラグーン↓コマッキオ付近

松並木は、かつてこの道がローマ街道だったことを思い起こさせる↓

****
17:30ラヴェンナ駅近くのホテルに到着。すぐちかくで、ラヴェンナでも最も古い起源をもつとされる教会が少し傾いた太陽の光をあびている↓夏時間になって午後八時ぐらいまでは明るい


一時間ほど休憩して、旧市街散歩と夕食へ↓ポポロ広場↓

正面が市庁舎。左がヴェネチア宮殿↑
↓宮殿のアーチを支える柱の頭には「テオドリクス」のモノグラムが見える↓

もともとテオドリクスが建てた教会にあったのだが、ヴェネチアが教会を壊してしまい、ここに再利用されたもの↑





この肉のおいしさに感動。脂身のやわらかさではなくしっかり肉の味がするがぱさぱさ感はない旬のアスパラもシンプルに焼いて登場


近くのアリウス派礼拝堂には明日また来ます

長い一日、おつかれさまでした(^.^)



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行田でプライベート桜見

2018-04-03 09:32:20 | 国内
住宅街を抜けるといきなり城が姿をあらわした↓

映画「のぼうの城」の舞台となった忍城(おしじょう)が平成三年に復元されていたのである。
ここは浅い沼地の島に出来た水城。
古い地図が諏訪神社の境内に掲げられていた↓今は住宅街になっている場所ほとんどが水の中↓

さらに、明治になってから城は周辺の施設すべてと共に完全に取り壊されたのだった。
生い茂っていた樹木もその時大半は切られてしまったのだが、諏訪神社の境内だけは大きな木が残されている。
それは…斧を入れた時に血のようなものが流れて、怖れた人々がそこだけは残したから↓


それにしても、まったく存在しなかった忍城本丸をよく復元したものだ↓

※後から訪れた地元の方に訊ねると、城がある場所はもとは野球場だったのだとか。ああ、だから元の場所に復元が可能だったんですね。

堀を渡って本丸に入ると博物館があるのだが…なんと16時半で閉館!やってきた外国人が残念そうに帰っていった
観光の町としてがんばるのだったら、もうすこし長く開けておいた方が良いのではないでしょうか
●行田は足袋の街
昭和初期には年間八千五百万足も生産。これは全国需要の八割だったそうな。
今でもたくさんの蔵が残されていて、それをこんな地図にして観光に役立てようとしている↓

実際少し歩いてみたが、パッと目には蔵とは分からないような建物も多い。

五時をまわり、今日のメインイベント。
十数年、毎年旅をご一緒してきた方のお宅へ。いつも「うちの桜はなかなか見る価値あるよ」とお話になっていたので、いちど拝ませていただきたかった。今年は桜がとてもはやかったので、一週間ほど前にお電話をいただき予定していたより二日早い日にやってきた。
おお、たしかに二日早い意味があったようだ↓散った薄ピンクの花びらが絨毯のように敷き詰められている↓

大きく広げられた枝を見上げて、樹齢は何百年か?と思ったが、
「おれが中学校のころはこんな(両掌でかこうしぐさ)ぐらいだったんだよ」とのこと。ソメイヨシノというのは百年までの寿命はなく、生育環境が良ければ三十年ほどでも高さ十五メートルほどにもなるのだそうだ。
この桜を愛でるために、家を建てなおしたときに二階もつくったのだそうだ。上がってみて納得した↓

横長の窓がまるで屏風の枠のようだ。

「夕方から夜に来てください」と言われた意味がだんだん分かってきた。わざわざ置かれた照明の光が生きはじめる↓


二時間ほど、鴨とワインの時間を過ごすうちにすっかり暗くなり、夜空に見事な枝をひろげている↓




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