

二十歳ころはコップ一杯のビールで顔を真赤にしていたのに、
いつしかここまで飲めるとは・・・・
可笑しなもので,年齢で変わるアルコールの種類
20代・・銀座にあった旭日コンパ、確か6丁目あたりだったと思う。
半地下のようなところを降りるとスノコがひいてあった。
全てカウンター席で当時カクテル流行で、どんなものが出てくるのか
分からずに,ヨコハマなんて頼んで足腰立たなかった。
20代後半、水割りが少し大人っぽく感じていた。
ワインの薀蓄も話題として丸暗記していたものだ。
当時霞町、今は西麻布あたりが主戦場?酒戦場だった。
ジュレビアン という店は宝塚のOGの店、後にフォークの「ふきのとう」
となった二人が働いていた。良く飲んで歌った。
10人も入れば窮屈に思うほど小さな店だった。
30代、六本木の防衛庁から青山墓地に向かう道にあった店
クレードル 当時近くにあった俳優座の若手が良く来ていた。
さとうむねゆきもたまに見たが何だか場違いな人に見えた。
そこの,オーナー(ママ)の旦那さんが素敵な男で、妙に気があって通った。
壁には古い演劇のポスターがずらりと貼ってある。
BGMはアルゼンチンタンゴ、終わると美空ひばり・・そこがいい。
すべてレコードの時代。カラオケが流行っていたがそれが無い店が好きだった
その旦那さんは宮崎美子のデビューのあのCMのカメラマンである。
40代、何故か原宿。ここで焼酎をおぼえる。
仕事の関係で原宿での打ち合わせが多くなる。
お洒落な店など一軒も知らない。だた居酒屋の親父と友達になるという
不思議な力が備わった。しかし閉店時間の早い店ばかりで,少々物足りない
気持ちで帰ると必ず何処かへひっかっかってしまう。悪い癖もついた。
表参道の養老の滝の親父には「終電なくなるから、頼むから帰って」と
行く度に言われたのを思い出す。
50代,日本酒・・酒量は落ちたがやっとお酒の飲み方がわかる。
日本酒はいい!喜怒哀楽という感情の起伏に全て対応してくれる。
何より肴を楽しめる。お酒を楽しむ秋がやっと本番になった。

なみなみと升に膨らむ新酒かな

60代にはどんな酒を飲んでいるんだろう。少なくとも
まむし酒や養命酒はやめておこう。



大秋晴水平線の撓みけり やまだみのる