
私の宝物の一つに俳誌がある。馬酔木,雲母、秋、沖
手元にある一番古い俳誌は昭和46年十月号の沖、定価200円
沖発刊から通刊13号にあたる。
古い俳誌を見る楽しみは、今、俳句を生業としている俳人の名前を見つける事
にある。どんな俳人にも初学の時代があり、その時代にどのような句を詠んで
今に至ったか?特に同人欄ではなく、一般欄での発見は嬉しい。
それは自分への励ましであり、慰めでもある。
勿論,自分は俳句を生業にするつもりも、その資質もないが・・・
俳句で名を売るには、ただ単に良い俳句を詠めればいいわけではない。
まづは,結社に入り,師の指導を受けることから始まり、
そこは,俳句界の家元制度みたいなもので、それなりに貢物的な会員確保や
パーティー券の販売ではないが俳誌の拡張など,奉仕なるものをしなければ
ならない。引き揚げてもらうための努力をするということになる。
それから俳句になる。 そこがどうしても馴染めない。
話は少しそれた。
その沖に今瀬剛一さんの名前を発見。

一般作品集3句欄にあった。
海と月残して麦を刈り終る
廃校の天に開けり蟻地獄
紫陽花に夜空のどこか光をり
さてさて、どうでしょうか?私は元気になりました。

稲光一瞬君の町つなぐ (ころころ29歳)

最近は絵を描くのに時間がかからなくなった。慣れたのではなく
手抜きなのかも知れないが、そのほうが納得できるものが描けるような
気がするから不思議。

海峡のなかほどくらき野分波 能村登四郎
