

自分の場合,先人の句集を読んでいる途中からいつしか自分の世界に
入る事が多い。句集を見ているようで見ていない。
きっと,俳句のエンジンのかかる瞬間なのだと思う。
先日のブログでも書いた、特選に選んだ佳句。
「これ以上赤くはなれぬ唐辛子」
このような句に出会うとますます触発されてしまう。
作者がそうとうご自分に鞭をいれて,俳句をされている心境が伝わる。
その作者の俳句心を動かしているのは、俳句の仲間の俳句心。
何年か前に自分ももう俳句はいいかな?と思うときがあった。
やめるとかするとか言うものではなく、適当に俳句にかかわって
いたいが本音。
普段は感じていないが、かなりのエネルギーがいる。
日常生活で使っていない感性をフル稼働させなければ、詠む事も鑑賞
することも出来ない。
文法はテキストでも学ぶ事ができる、しかし本当の意味での俳句の力は
やはり独学では無理だろう。
多作多捨という言葉があるが、実際自分で自分の句を簡単に捨てられる
わけもなく、やはり句座において切り捨てられる事が一番だ。
何時しか自分の句が一人歩きをして、誰かの気持ちを揺さぶることが
出来たなら本望である。

灯の闇に深入りしたり風の盆

客観的に自分の俳句を採点すれば51点だと思う。

秋深し鉄瓶に足す山の水 宮内志乃