
今日の読売俳壇の森澄雄の一説。
*子規によって明治以後俳句の方法として写生ということが西洋画の手法から
取り入れられたが、ぼくは俳句をはじめた長崎高商の頃から,芭蕉の「物の
見えたるひかり、いまだ心に消えざる中にいひとむべし(三冊子)を心に置いてきた
写生は盲人には出来ない。妹は長崎の原爆の光りによって全く盲目となったが
ぼくの主宰誌「杉」に毎月投句している。心にひらめく光によって句を作って
いるのだ.・・・・中略・・・芭蕉の「心の句作はよし,詞の作は好むべからず」*
昨日のブログに書いたことは少し違うかも知れないが、心の目に真実の光を
見ることが出来た時こそ,私の次の俳句の扉が開かれるようなきがする。

覚えきて鏡と手話す夜長かな

今日は曼珠沙華で数句詠んでみた、あらためて難しい季語だと思う。
夕方、俳友からメールが入る。ある句を添削して欲しいと・・
なんと彼は彼のブログの中で俳句の先生になってしまったようだ。
それはそれで勝手だが、作句を頑張って欲しい。

木の実独楽この子も人に頼らざれ 林翔