

今、兄弟姉妹がどんな生活をしているか?結婚をして家族を得て
それなりの幸せをつかんでいる事を承知していても,かかわる事は
少ないし、それこそ病気などを抱えていなければ,普段は頭に無い。
しかし、何を考え、この場合はこうするという,あてのない確信がある。
連衆という関係はいつしかこういう関係になっていく事が多い。
俳句という詩の世界を共有することは、ある程度自分の世界観を
主張することになるからだ。どんなに心の奥に隠しておいたものでも
詩を通じて,天象,自然の草花,生物などにに置き換えて語っている。
俳句という短詩は隠そうとすればするほど逆の効果を得て、こころ音を
言ってしまう。家族との関係,男女の愛情感、過去の事、未来への希望などなど
俳句を理解しようとする連衆の前に自分のその俳句を置けば、一目瞭然になる。
先日の句会に久しぶりにMさんが来てくれた。
Mさんは最愛のご主人を亡くされたばかりで、とても俳句どころではない
だろう。見るからに憔悴しておられるのが見える。
それは句からも伺える。
今回句会を欠席されたAさんに今回の報告と次回の芋煮句会の兼でメールを
差し上げた。久々の参加のMさんの事も少し書き加えたところ、ご返事を
頂いた。Aさんも数年前最愛のご主人を亡くされいる。
・・・1年目は長期出張の感じ、2年目は半信半疑で、
3年くらい経つと、やっと現実を認識(実感)できるようになりますから
それまで、皆で普通(ヘンに気を使わないで)に見守りましょう。
簡潔でいて、気遣いの行き届いた言葉に納得した。
ほかの連衆の暖かなまなざしを句会で感じをもした。
同座した句会の連衆はこの先も、ずっとそのような関係の中で
こころをしなやかに支えあってゆくと思う。

兄弟で吹く草笛のふた音色

この世で確かなものは人の命、生まれおちた時からカウントダウンが
始まっている。悲しくて寂しくてしかたの無い事だが、この世に
生を受けたことにこそ感謝しなければ・・・

銀河より聞かむエホバのひとりごと 阿波野青畝