休みを見つけたある日、懐かしい駅を降りた。

街の佇まいは、そのままだったが、入っているテナントがあちこち入れ替わっている。駅前のパン屋さんだけは昔のままだ。

この町は、大きな団地(公団住宅)がたくさんできたことで駅が設置され、発展していった、いわゆるニュータウンのはしりのようなところだったが、当時の団地(3~5階建)はすべてなくなり、逆に高層マンションが林立するようになった。
まずは、懐かしい小学校へ足を運んでみた。


建物がきれいになり、通っていたころの面影は校庭以外なくなっていた。
自分が通っていたころは、昭和40年代建築の校舎で、年々増築を繰り返して大きくなったものだった。その増築の過程で、校舎と校舎の間にプールがあるという、世にも珍しい学校だった。授業中、プール授業の声が響いたのだが、水泳の授業では日があまり当たらないので、かなり寒かった印象だ。
そのプールも、新校舎ではどうやら屋上にあるらしい。確認はできなかったが。
さきほど、面影がなくなったと書いたが、じつはこんな石碑が残っていた。

これはぼくが在学当時、学校創立20周年の時(昭和60年)に、小さい池とともに建立されたもので、場所も今とは違うところにあった。そういえばたしか、その地下にタイムカプセル埋めたんじゃなかったっけ?掘り出しちゃったのかな?・・・はたまた記憶違いか?もう30年近い昔のことだから。
続いて、中学校へ。

こちらは、改築されておらず、建物も昔のままだ。体育の授業か球技大会か、ソフトボールをしている中学生。体操着も変わったなぁ・・・。
最後に、その中間にある、昔住んでいた団地に、足を運んだ。


建物は色褪せ、通る人もほとんどいなくなったが、ほぼ原風景のままだった。

団地は全部で10棟あり、どの棟にも少なくともひとりは同級生がいたほどだ。

この光景も、2,3年のうちに大きく変わる、と聞かされていて、実際に新住宅建築の事業計画の看板がでていた。この風景も、もうすぐ見られなくなる。
知らない街を歩くのが好きで、旅をする目的もそこにあるのだが、たまには、思い出の街を歩くのもいいなと思った。ただし、風景が変わって落胆することのないように(ん?)

街の佇まいは、そのままだったが、入っているテナントがあちこち入れ替わっている。駅前のパン屋さんだけは昔のままだ。

この町は、大きな団地(公団住宅)がたくさんできたことで駅が設置され、発展していった、いわゆるニュータウンのはしりのようなところだったが、当時の団地(3~5階建)はすべてなくなり、逆に高層マンションが林立するようになった。
まずは、懐かしい小学校へ足を運んでみた。


建物がきれいになり、通っていたころの面影は校庭以外なくなっていた。
自分が通っていたころは、昭和40年代建築の校舎で、年々増築を繰り返して大きくなったものだった。その増築の過程で、校舎と校舎の間にプールがあるという、世にも珍しい学校だった。授業中、プール授業の声が響いたのだが、水泳の授業では日があまり当たらないので、かなり寒かった印象だ。
そのプールも、新校舎ではどうやら屋上にあるらしい。確認はできなかったが。
さきほど、面影がなくなったと書いたが、じつはこんな石碑が残っていた。

これはぼくが在学当時、学校創立20周年の時(昭和60年)に、小さい池とともに建立されたもので、場所も今とは違うところにあった。そういえばたしか、その地下にタイムカプセル埋めたんじゃなかったっけ?掘り出しちゃったのかな?・・・はたまた記憶違いか?もう30年近い昔のことだから。
続いて、中学校へ。

こちらは、改築されておらず、建物も昔のままだ。体育の授業か球技大会か、ソフトボールをしている中学生。体操着も変わったなぁ・・・。
最後に、その中間にある、昔住んでいた団地に、足を運んだ。


建物は色褪せ、通る人もほとんどいなくなったが、ほぼ原風景のままだった。

団地は全部で10棟あり、どの棟にも少なくともひとりは同級生がいたほどだ。

この光景も、2,3年のうちに大きく変わる、と聞かされていて、実際に新住宅建築の事業計画の看板がでていた。この風景も、もうすぐ見られなくなる。
知らない街を歩くのが好きで、旅をする目的もそこにあるのだが、たまには、思い出の街を歩くのもいいなと思った。ただし、風景が変わって落胆することのないように(ん?)
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