KCF的徒然草

KouChan's Factory管理人の心の叫びor反省文

母校は変わっていた・・・?

2014-10-04 09:28:03 | まち歩き
 休みを見つけたある日、懐かしい駅を降りた。


 街の佇まいは、そのままだったが、入っているテナントがあちこち入れ替わっている。駅前のパン屋さんだけは昔のままだ。


この町は、大きな団地(公団住宅)がたくさんできたことで駅が設置され、発展していった、いわゆるニュータウンのはしりのようなところだったが、当時の団地(3~5階建)はすべてなくなり、逆に高層マンションが林立するようになった。


まずは、懐かしい小学校へ足を運んでみた。




 建物がきれいになり、通っていたころの面影は校庭以外なくなっていた。

 自分が通っていたころは、昭和40年代建築の校舎で、年々増築を繰り返して大きくなったものだった。その増築の過程で、校舎と校舎の間にプールがあるという、世にも珍しい学校だった。授業中、プール授業の声が響いたのだが、水泳の授業では日があまり当たらないので、かなり寒かった印象だ。

そのプールも、新校舎ではどうやら屋上にあるらしい。確認はできなかったが。


さきほど、面影がなくなったと書いたが、じつはこんな石碑が残っていた。


これはぼくが在学当時、学校創立20周年の時(昭和60年)に、小さい池とともに建立されたもので、場所も今とは違うところにあった。そういえばたしか、その地下にタイムカプセル埋めたんじゃなかったっけ?掘り出しちゃったのかな?・・・はたまた記憶違いか?もう30年近い昔のことだから。

続いて、中学校へ。



こちらは、改築されておらず、建物も昔のままだ。体育の授業か球技大会か、ソフトボールをしている中学生。体操着も変わったなぁ・・・。
 
最後に、その中間にある、昔住んでいた団地に、足を運んだ。




建物は色褪せ、通る人もほとんどいなくなったが、ほぼ原風景のままだった。



団地は全部で10棟あり、どの棟にも少なくともひとりは同級生がいたほどだ。


この光景も、2,3年のうちに大きく変わる、と聞かされていて、実際に新住宅建築の事業計画の看板がでていた。この風景も、もうすぐ見られなくなる。


知らない街を歩くのが好きで、旅をする目的もそこにあるのだが、たまには、思い出の街を歩くのもいいなと思った。ただし、風景が変わって落胆することのないように(ん?)
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