自分のなかで存在を身近に感じたことのある最古の歴史上の人物は聖徳太子(574-622年)だ。それは歴史とか彼の人となりに興味があったからではなく、彼の肖像が印刷されている紙幣に強い関心があったからというだけのことである。ハドリアヌス帝(76-138年、在位117-138年)はそれ以前の人で、しかも日本人ではないので、ますます疎遠に感じられる、はずだった。ローマ帝国の時代など、自分にとっては遥か彼方のことであり、そこから綿々とつながるものがあるなどと想像すらしたことがない。勿論、この作品は歴史書ではなくマルグリット・ユルスナールの創作であるから、ハドリアヌス帝の姿を借りたユルスナールの言葉である。フランスと日本という距離はあるにせよ、ローマ時代と現代という時間のスケールのなかでは、言語の違いは取るに足りないものに感じられ、それどころか人種や民族、文化の違いも些細なものにしか思われない。
そうした時間軸のなかで、ローマ皇帝という、今の時代にしてみれば世界を支配下に置いたほどの権力者が、死を前にして自分の治世を振り返り、重大局面における判断について自ら解説するという形式で本作は書かれている。皇帝の回想にしてはデータ系の情報が少ないような気もするが、人間というものに対する洞察に富んでいるという点では普遍性があると思う。
ハドリアヌス帝は、それまで拡大政策を続けていたローマ帝国を内政重視政策へ大きく方向転換させ、官僚機構や法体系を整備し、その繁栄を確かなものにしたとされている。領土拡大に伴う利権獲得という収益機会を失うことになった元老院議員やローマの有力者の間では必ずしも評判は芳しくなかったという。かなり手荒なこともしながら、抵抗勢力を押さえつけ、自分の信じた政策を押し進めていったその手腕に、作者は物語の主としての資質を見出したのだろう。
しかし、地中海を内海とするほどの領土を治めるのに、有能な側近集団や統治機構が機能していたはずである。ところが、そうしたことへの言及は少なく、まるで自分ひとりの力で、その時代の繁栄があったかのような印象がある。そうした強い自意識があったからこそ、皇帝という職を全うできたといえばそれまでだが、現皇帝から次期皇帝への業務連絡書でもあるはずの本書が、心構えを説くだけというのは、リアリティが薄いようにも思われる。これは、作家の組織論への関心の低さの表れなのだろう。物語としてはおもしろいが、形式と内容との間に違和感があり、やや陳腐な印象が否めない。
そうした時間軸のなかで、ローマ皇帝という、今の時代にしてみれば世界を支配下に置いたほどの権力者が、死を前にして自分の治世を振り返り、重大局面における判断について自ら解説するという形式で本作は書かれている。皇帝の回想にしてはデータ系の情報が少ないような気もするが、人間というものに対する洞察に富んでいるという点では普遍性があると思う。
ハドリアヌス帝は、それまで拡大政策を続けていたローマ帝国を内政重視政策へ大きく方向転換させ、官僚機構や法体系を整備し、その繁栄を確かなものにしたとされている。領土拡大に伴う利権獲得という収益機会を失うことになった元老院議員やローマの有力者の間では必ずしも評判は芳しくなかったという。かなり手荒なこともしながら、抵抗勢力を押さえつけ、自分の信じた政策を押し進めていったその手腕に、作者は物語の主としての資質を見出したのだろう。
しかし、地中海を内海とするほどの領土を治めるのに、有能な側近集団や統治機構が機能していたはずである。ところが、そうしたことへの言及は少なく、まるで自分ひとりの力で、その時代の繁栄があったかのような印象がある。そうした強い自意識があったからこそ、皇帝という職を全うできたといえばそれまでだが、現皇帝から次期皇帝への業務連絡書でもあるはずの本書が、心構えを説くだけというのは、リアリティが薄いようにも思われる。これは、作家の組織論への関心の低さの表れなのだろう。物語としてはおもしろいが、形式と内容との間に違和感があり、やや陳腐な印象が否めない。