血液型が同じであるというだけでオヤジ4人が集まって飲み食いするという集いがある。他にもいろいろ接点があるのだが、主には血液型と(かつての)職場でつながっている。そう頻繁に集まるわけではないので、まずは互いの近況から自然に話題が始まる。かつては職場が重なっていても、今はそれぞれの世界で生活しているので、現在進行形の共通の話題は無い。それでも、途切れることなく誰かしかが熱弁をふるっている。
私は血液型と性格の相関は世間で話題にされているほど強いものではないと思っているのだが、こうして集まってみると一種独特の雰囲気があり、やはりそういうこともあるものかと思える瞬間もないわけではない。今日、改めて観察してみて気付いたのは、話に起承転結の結が無いことが多い。起承転まで行って、そこでほったらかしになってしまうのである。結が無いので、突っ込みが入っても、それが跳ね返されることなく抜けてしまう。人の話を聞かない。自分の話したいことを、その前後の別の人の発言とは脈絡無くぶつけてくる。そういう状態を4時間も平気で続けていられる。店の人がラストオーダーを取りに来なければ、たぶんもう少し続いていたかもしれない。これは驚異的なことだと思う。
私は血液型と性格の相関は世間で話題にされているほど強いものではないと思っているのだが、こうして集まってみると一種独特の雰囲気があり、やはりそういうこともあるものかと思える瞬間もないわけではない。今日、改めて観察してみて気付いたのは、話に起承転結の結が無いことが多い。起承転まで行って、そこでほったらかしになってしまうのである。結が無いので、突っ込みが入っても、それが跳ね返されることなく抜けてしまう。人の話を聞かない。自分の話したいことを、その前後の別の人の発言とは脈絡無くぶつけてくる。そういう状態を4時間も平気で続けていられる。店の人がラストオーダーを取りに来なければ、たぶんもう少し続いていたかもしれない。これは驚異的なことだと思う。