熊本熊的日常

日常生活についての雑記

なまもの

2008年09月20日 | Weblog
ブルーノートでROY HARGROVE BIG BAND with special guest ROBERTA GAMBARINIを聴いた。特にジャズが好きとか関心があるというわけではないのだが、たまにちゃんとしたものを聴きたくなる。何事も生に勝るものはないと思う。

いかに技術の粋を集めたオーディオセットでも、そこで再生されるのは録音されたものとは別のものである。勿論、オーディオ機器の価値というものはあるだろうし、再生自体もその場の大気や聴き手の心理の組み合わせは無数なので一回性のものと言える。しかし、演奏は生身の人間がその場の状況に応じて行うもので、会場や観客によってさまざまに変化するものだ。音が響き合うというのは、単に楽器の音だけではなく、演奏者と観客の心が響き合うものでもある。そうしたものを体験できるのは、その場にいる瞬間でしかない。

表現者の立場としては、観客を前にすることが必ずしも歓迎すべき状況ではないということもあろう。自分自身の演奏のイメージというものがあり、それを追求しようとすれば、ライブ会場よりはスタジオのほうが好ましい環境ということもあるのだろうし、楽器によっては容易に持ち運ぶことができないという制約もあるだろう。

それは音楽という現在進行形のものだけでなく絵画のような静物についても言えるだろう。どれほど優れた印刷技術を駆使したところで、実物の絵画そのものを再現することはできなし、実物だけが持つ佇まいを表現することはできない。

当然のことだが、我々の生は1回限りのもので過ぎ去った時間は取り戻すことができない。いつ終わるとも知れない時間のなかを、生死に関わる病気をしたり事故に遭遇でもしない限り、まるで今という時間がこれから先も永遠に続くかのような感覚で生きている。それは自分に都合の悪い事には気付かないふりをするという本能のようなものだ。音楽や美術に限らず、ほんとうに良いと思える人やものに出会うと、出会っている瞬間を意識するのである。普段は気付かないふりをしていることに気付き、生きていることに対する感覚が研ぎすまされ、時間の終わりを意識する。それがほんとうの楽しさというものでもあると思う。