エッセイのように見えるが、ヴェネツィアという街を詠んだ散文詩だと思う。ヨシフ・ブロツキーがこの街の何に魅せられたのかは知らないが、1972年から17年間、毎年のように訪れたのだという。
ヴェネツィアはいまだに車が入れない。人間だけが往来を行くことができる。このことが象徴しているのは、この街のプライドとか歴史、文化であると思う。かつて都市国家として栄華を極めながら、今は少なくとも行政区画上はイタリアの一地方都市に過ぎない。しかも、潮位が年々上昇し、街自体が物理的な存亡の危機に瀕している。そうした時間が錯綜する様が人を惹き付けるということはあるだろう。まして、自分自身にそうした激動の歴史のある人なら、そこに己の人生の何事かを重ね合わせて見る思いがして、釘付けになってしまうかもしれない。
ヴェネツィアはいまだに車が入れない。人間だけが往来を行くことができる。このことが象徴しているのは、この街のプライドとか歴史、文化であると思う。かつて都市国家として栄華を極めながら、今は少なくとも行政区画上はイタリアの一地方都市に過ぎない。しかも、潮位が年々上昇し、街自体が物理的な存亡の危機に瀕している。そうした時間が錯綜する様が人を惹き付けるということはあるだろう。まして、自分自身にそうした激動の歴史のある人なら、そこに己の人生の何事かを重ね合わせて見る思いがして、釘付けになってしまうかもしれない。