熊本熊的日常

日常生活についての雑記

教育無き教育

2008年09月08日 | Weblog
最近、ある地方で教員採用試験に絡んだ汚職が話題になっているようだが、たまたまそこで摘発されただけで、どこでも似たようなことはあるのではないだろうか。

そもそも教育とは何だろう? 世の中で独り立ちして生きていくのに足る知識と知恵を子供たちに与えることが教育なら、教育界の汚職は人の世の現実を教える上で恰好の教材であろう。決して無駄にしてはいけない。物事を経済的価値に換算し、市場で取引するというのが、好むと好まざるとにかかわらず我々が生活している場の基本原理のひとつである。教員資格も、当然、金銭に換算できるのである。

この社会に生きる誰もが、自己の利益を追求して行動すれば、全体としては市場原理のもとで均衡点が見出され、社会は安定的に機能する、ことになっている。しかし、現実は不測の事態があり、市場の失敗と呼ばれる現象も少なくない。だから経済的利益とは無縁の調整機構を必要とする。それが行政であり司法なのである。ここに市場原理が持ち込まれては調整能力が機能せず、社会全体が混乱に陥ってしまう。そこで、贈収賄は犯罪とされるのである。実に簡単な理屈ではないか。そんなこともわからない人間がこの国の教育界にいるのである。誇り無き公僕、思考無き教育者、粗にして野にして卑な輩、呼び方はいろいろあるだろうが、いずれにしても存在してはいけないものが存在しているのである。

学校教育という形を取るか否かに関わらず、教育というのは、自分の頭で物事を考えるということ、その楽しさを教えることだと思う。少なくとも、定型化された知識の量を他人と競い合ったり、世間に認知されている学歴を身につけることが教育ではないだろう。競争というのは、本来、相手と競うことで、どうしたら相手よりも上手く目的を達することができるかということを考え、実践する機会であると思う。思考力の訓練の場、とも言えるだろう。学歴はあくまで結果の一側面に過ぎない。

ある目的があり、そこに至る過程やそれを達成するための技術があると、時として、本来の目的が見失われてしまい、過程や技術の枝葉末節へのこだわりが自己目的化してしまうのはよくあることだ。枝葉末節ばかりが肥大化すると、本来の目的は忘れ去られ、不毛な知識や決まり事だけが増えていく。世の中の試験制度の多くは、結局は不毛なのではないか。本当はその必要性が無いから不正が横行し、ますます不毛になる。そういうことなのだろう。

娘へのメール 先週のまとめ

2008年09月08日 | Weblog

元気に2学期を迎えることができましたか?

勉強もだんだん難しくなっていきますから、毎日の予習復習はしっかりとする習慣をつけて、せめて落ちこぼれないようにしましょう。復習は問題演習中心にすると効果的です。

先週はマルグリット・ユルスナールの「ハドリアヌス帝の回想」という本を読みました。これはかなり有名な本なのですが、いまごろになって初めて手にしました。日本人にとっては「ハドリアヌス」と言われてもなんのことやらさっぱりわからないのですが、西洋のきちんとした教育を受けた人の間ではローマの歴史は常識のようなものです。

ハドリアヌスはローマ帝国の14代皇帝(在位117-138年)です。先代のトラヤヌス帝の時代にローマ帝国の領土はその歴史上最大となっており、ローマ帝国最盛期の皇帝と言えます。現在では評価の高い人ですが、同時代のローマ人の間では評判が悪く、繁栄期の他の皇帝に比べると業績を讃えた石碑類が少ないそうです。なぜ評判が悪いかといえば、彼は歴代皇帝のなかで初めて、自ら領土を縮小させたからです。これは、ハドリアヌス自ら国境を視察して回り、最前線の不安定さを目の当たりにして、このまま拡大策を続けることに危機感を抱いたためと言われています。そこで、まず強大な隣国であったパルティア(現在のイラン)と講和して帝国の東部国境を確保する一方、現在のイギリス北部に兵を進めカレドニア(現在のスコットランド)を抑えて北部国境を安定化させるといった現実的な対外政策への転換を図りました。国境防衛のために彼がイギリスに築かせた長城は、その一部が現在も残っていて世界遺産に登録されています。領土拡大策に終止符を打つ一方で、法体系を整備したり官僚制度を整えたりという内政の安定化に努め、ローマ帝国の繁栄を支えたとされています。

この本は、そのハドリアヌスが次の皇帝であるアントニヌス・ピウスへ向けた遺書という形式をとっています。病を得て自らの死を悟った皇帝が、後継者へむけて皇帝の心得とか、在位中のさまざまな出来事についての真相を語るというものです。そこには、人間というものへの洞察や歴史認識、異文化との交流のありかたのようなものまで、およそ人が生きる上で必要な知恵が網羅されているといえます。ローマ時代と現代とのつながり、西洋におけるローマ時代の位置づけといったことを勉強した上で読むと、とても面白く読むことができると思います。

作者のマルグリット・ユルスナールはフランス人ですが、第二次世界大戦直前に米国へ渡り、戦争勃発のためフランスに帰る機会を失ってしまい、そのまま米国で亡くなった作家です。この「ハドリアヌス帝の回想」は1958年に出版されたものですが、日本語訳は1963年に出版されています。私が手にしているのは、その後、改訳されて2001年に出版されたものです。

西洋の世界を知る上で常識として読んでおくべき一冊ではあると思いますが、君にはまだ少し退屈かもしれません。もし、学校の図書館にあれば、ぱらぱらと目を通してみることを勧めます。まだ借り出して読むほどのものではないでしょう。この本を読む前に読むべき本はたくさんあるのですから。

では、また来週。