哲学なき時代から崩壊の時代へ。
2005年は「安全・安心・信頼」が犠牲にされ、崩れた時代です。
効率化の名の下に、企業は人件費を削減し、メンテナンスを疎かにし、人命を軽ん
じ、消費者を欺いてきました。
個人は自らの判断を放棄して機械に頼り、モラルハザードを起こし、利を追い求め、
ジコチューになり、誰も彼もが他人を思いやることさえ忘れたようです。
ひと言でいえば、企業が経営哲学を失い、個人が思考を失った時代です。
だからこそ、企業とは何か、生きるとは何か、が問われているのではないでしょう
か。
崩壊の時代にならないように--。
2006年元旦
栗野 良
2005年は「安全・安心・信頼」が犠牲にされ、崩れた時代です。
効率化の名の下に、企業は人件費を削減し、メンテナンスを疎かにし、人命を軽ん
じ、消費者を欺いてきました。
個人は自らの判断を放棄して機械に頼り、モラルハザードを起こし、利を追い求め、
ジコチューになり、誰も彼もが他人を思いやることさえ忘れたようです。
ひと言でいえば、企業が経営哲学を失い、個人が思考を失った時代です。
だからこそ、企業とは何か、生きるとは何か、が問われているのではないでしょう
か。
崩壊の時代にならないように--。
2006年元旦
栗野 良