栗野的視点(Kurino's viewpoint)

中小企業の活性化をテーマに講演・取材・執筆を続けている栗野 良の経営・流通・社会・ベンチャー評論。

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2008-08-20 12:36:59 | 視点
 栗野的視点(No.258、259)で「なぜ、日本にビル・ゲイツが出ないのか」を書いたところ(「まぐまぐ」からメルマガ「栗野的視点」を配信中)、前回紹介した2氏以外にも多くの方からコメントが寄せられました。コメントをお寄せいただいた皆さん、ありがとうございます。

 実は上記テーマにはいくつかの隠れテーマを散りばめていたので、頭のいい読者はお気付きになったと思います。

 物事の本質に迫る場合、直接そのテーマを論じる方法と、周辺の様々な事柄を論じながら、その本質に迫る方法があります。
 後者は「将を射んと欲すればまず馬を射よ」という方法で、迂回しながら対象(テーマ)に近付いていきますから、どこかまどろっこしさもありますが、テーマが複雑な場合は実はこの方法が案外、対象を明らかにすることができるのです。

 というのも、物事はコンピューターのように2進法で進んでいけるわけではないからです。白か黒か、イエスかノーで割り切れるほど、この世の現象は単純ではないのです。
 さて、私は上記テーマの中にいくつ隠れテーマを散りばめていたのでしょうか。

         (略)

 NO258でも触れていますが、第1次産業、つまり直接労働しかなかった時代に誕生した宗教が第2次、3次産業の時代に生き残るのは非常に難しい。
 シェークスピアの「ヴェニスの商人」はまさに第2次、第3次産業の誕生についてどう対処するのかということがキリスト教の内部で問われた時代です。
 自らの額に汗しないシャイロックの金貸しビジネスはキリスト教では認められない。
しかし、現実社会は自らの額に汗する労働だけではなくなってきている。
両社のバランスをどうするか、という問題です。

   (以下略)

  全文はHPで