栗野的視点(Kurino's viewpoint)

中小企業の活性化をテーマに講演・取材・執筆を続けている栗野 良の経営・流通・社会・ベンチャー評論。

有頂天な時ほど隠した本心が現れる。

2013-12-03 23:02:23 | 視点
 「ロバの耳」という話があるが、人は秘密を持つほど誰かに話したくなるものだ。
隠していればいるほど話したくなる。
その相手が家族であったり、愛人、側近、仕事仲間、遊び仲間と、人によって違うことはあっても、必ず話したくなる。
「ロバの耳」は土中に掘った穴に向かって秘密を話したが、現代では土を掘る場所も身近にそうそうないものだから、土の代わりにツイッターで囁いたり、ブログやフェイスブックでつい吐露してしまう。

 いつもは慎重に言葉を選んで喋っている人間でも、つい口が滑ることがある。
それはどんな時かといえば、有頂天になっている時だ。
人は絶好調、位や栄華を極めた時に有頂天になる。
そんな時にその人物の本心が垣間見られるわけで、つい漏らしたひと言、ちょっとした動作を、我々は見逃さないようにしなくてはいけない。

 例えばみんなの党の渡辺代表が党内抗争を制し(と本人が思っている)、今後の政局で日本維新の会に代わって自らがキャスティングボードを握る存在になったと思った瞬間、彼の顔がそれまでと変わった。
ひと言で言えばニヤついた顔になったのだが、決定的に変わったのは顔よりもう少し上の髪だ。
それまではトサカのように頭の真ん中で立っていた髪型が左から右よりに分ける形に変わっていた。
 昨日は同党の江田氏から「自民党に擦り寄るなんてとんでもない」と批判されたが、渡辺氏は自らの右寄りを早々と髪型で表し、安倍首相に満面の笑みを浮かべながら議場で擦り寄っていたのだ。

 国会議員、特に与党議員の喋る言葉には露ほども真実がないのは今に始まったことではないが、それにしても最近は酷すぎる。
 本音、本心がポロリと出たにも関わらず、それを指摘されると「真意が伝わらなかった」と平気で言う。
前言を翻すことに痛痒さえも感じていないのだ。
法案が通った後、「あの時の発言は真意が伝わってなかった」と平気で言うに違いない。

 そういう観点からすれば石破自民党幹事長は正直だと言える。
絶叫するデモはテロだと言い切った(ブログで書いた)のだから。
その後、ブログの内容は一部訂正はしたものの、「一般の方々に恐怖の念を与えることは、いかなる主義・主張であれ、やっていいことだとは思わない」と「絶叫するデモ」=「テロ」という基本構図は変えていない。

 では、彼(自民党)が許すデモとはいかなるものか。
それは「整然と行われるデモや集会」だと昨日の記者会見で述べている。
彼が言いたいことを分かりやすく言い換えれば、「政権が認めたデモや集会のみ許される」ということだ。
政権に異議申立てを行うデモや集会はすべからくテロかそれに類するというわけだ。

 なぜなら「恐怖の念を与える」デモか集会だと判断するのは、彼ら権力者だからだ。
こんな強権的な法律はどこぞの独裁国家のやり方と同じである。
なぜ、彼らは特定秘密保護法案の可決を急ごうとしているのか。
その次に、何か国民にとって不都合な真実があり、それを覆い隠そうとしているとしか思えない。
とにかく一度法律を作ってしまえば、後はその法律に基づいて異議申立てをするデモや集会を禁止することができる。

 ついでに言っておけば、3人以上集まれば「集会」と見なされるのだ。
テロ実行の相談をしていたに違いない、という口実で拘束することもできる。
まさに独裁国家だ。
まさか日本が独裁国家になどなるはずがない、と思う人はよほどの楽観主義者だろう。
戦前の歴史が証明しているように、「まさか」と思っているうちに、どんどん進んでいくのだ。

 ジワジワと進められ、気が付いた時には茹でガエルよろしく死んでしまう。
そうなってから、あの時反対しておけばよかったと後悔しても遅い。

 特定秘密保護法案は絶対廃案にしなければならない。
皆、反対の声を上げていこう。
もう時間はないのだから!