今年は世界のパラダイムが変わりそうだ。
そんな感じがする。
フランシスコ教皇が新しくローマ法王に選ばれてから、と言うつもりはないが、
フランシスコ法王は華美を捨て、貧者に寄り添おうとされているように見える。
12月17日、ご自身の誕生日に3人のホームレスをバチカンに招き、食堂で朝食を
共にしたのもその一つだが、これはバチカンの歴史始まって以来だ。
我が国仏教会のトップに君臨する僧侶もこうしたことをしているのだろうか。
もし、そんなことは一度もしたことがなければ、自らの華美を捨て、少しは
ローマ法王に見習ったらどうか。
これに先立つ11月26日に法王は「福音の喜び」と題した本を出版された。
その中の1節を引いてみよう。
今日、私たちも排除と不平等の経済に対して「汝殺すなかれ」と言わなければならない。
そのような経済は殺人に等しい。
高齢のホームレスが外で亡くなることがニュースではなく、株式市場が2ポイント
下がったことがニュースになることがどうしてありえるのだろうか?
これは排除の一例である。
人々が飢えているのに食品が捨てられているとき、傍観してよいのだろうか?
これは不平等の一例である。
またローマ法王は「市場の独立と金融投機の自由を絶対視する考えから貧富の
格差拡大が生まれた」と述べ、新自由主義、グローバル資本主義を批判している。
人類はどうも危険なカーブに差し掛かっているようだ。
彼の言葉に耳を傾け、私達はパラダイムを変える必要があるのではないか。
そんな感じがする。
フランシスコ教皇が新しくローマ法王に選ばれてから、と言うつもりはないが、
フランシスコ法王は華美を捨て、貧者に寄り添おうとされているように見える。
12月17日、ご自身の誕生日に3人のホームレスをバチカンに招き、食堂で朝食を
共にしたのもその一つだが、これはバチカンの歴史始まって以来だ。
我が国仏教会のトップに君臨する僧侶もこうしたことをしているのだろうか。
もし、そんなことは一度もしたことがなければ、自らの華美を捨て、少しは
ローマ法王に見習ったらどうか。
これに先立つ11月26日に法王は「福音の喜び」と題した本を出版された。
その中の1節を引いてみよう。
今日、私たちも排除と不平等の経済に対して「汝殺すなかれ」と言わなければならない。
そのような経済は殺人に等しい。
高齢のホームレスが外で亡くなることがニュースではなく、株式市場が2ポイント
下がったことがニュースになることがどうしてありえるのだろうか?
これは排除の一例である。
人々が飢えているのに食品が捨てられているとき、傍観してよいのだろうか?
これは不平等の一例である。
またローマ法王は「市場の独立と金融投機の自由を絶対視する考えから貧富の
格差拡大が生まれた」と述べ、新自由主義、グローバル資本主義を批判している。
人類はどうも危険なカーブに差し掛かっているようだ。
彼の言葉に耳を傾け、私達はパラダイムを変える必要があるのではないか。