栗野的視点(Kurino's viewpoint)

中小企業の活性化をテーマに講演・取材・執筆を続けている栗野 良の経営・流通・社会・ベンチャー評論。

老害と世襲が幅を利かせる人生100年時代

2019-08-07 11:25:51 | 視点
老害と世襲が幅を利かせる

 人はいつかは退く日が来る。退かなければならない日が来る。
できることなら、その時期は自分で決めたいものだと思うが、高齢化社会故かいつまでも現役将校を続けたがる人が多い。
というか年々増えているように思う。

 自民党が下野していた時、70歳定年制を敷いたがそれに反発して他党に移り立候補し議員を続けている人物もいる。
自民党内でも定年制はなし崩し的に不問に付されつつある。
それはそうだろう、お隣の国を見習ってか、お隣の国が日本を見習ってか知らないが、総裁任期を延長しているぐらいだから。
このまま行けば4選もあり得るかもしれない。
そこまで党員はバカではないと思いたいが。

 団塊の世代がまだ40代の頃までは「老害」という言葉が頻繁に語られた。
権力を若者に取り戻せ、と。
政治の世界はもちろんのこと、企業経営でも。
70歳過ぎた老人が政治や経営の実権を握っているのはおかしい。
老人から権力を簒奪せよ、と。

 それがいまはどうか。
老人は相変わらず権力を握ったままだし、後を継いだ者達も簒奪するどころか禅譲されて喜んでいる始末。
これでは変革などできないのは当たり前で、気が付けば政治の世界も企業経営の世界も2世、3世だらけで、
いまや完全に世襲制が当たり前になっている。

 こうした現状を憂う親も子もないどころか、70歳過ぎて議員立候補を決意したり、立候補を勧める者までいる始末。
それがボケ防止になるなどと言うに至っては世も末だ。

 70歳といえば論語に言う「耳順」を通り越し「従心」と言われる歳である。
それがどうだ。70にして心の欲するところに従えども矩をこえず
(自分の心のままに行動しても人の道に外れなくなった)どころか、
欲望、権力にしがみつき、パワハラ、セクハラ、不正のやりたい放題(は、ちと言い過ぎか)では
孔子先生ならずとも、この世はどうなっているのだと嘆き、怒るだろう。

 それにしても、なぜ老人がこれほど幅を利かせるのか。
「冗談じゃない。今の世の中、70歳は老人なんかではない。まだ現役世代だ」と
お怒りになる向きがあるのはよく理解できる。

 たしかにかつての70歳に比べ、現在の70代は若い。
皆、元気いっぱいだ。
だからといって若者と同じように振る舞う必要はない。
ましてや彼、彼女達の立場や権力、権限を奪い、いつまでも第1線で指揮を執る必要はないだろう。
今まで頑張ってきたのだから一歩下がって若者に道を譲り、もう少しゆっくり歩んでいいのではないか。

人生100年時代のカラクリ

 人生100年時代だから、まだまだ働けるし、働かなければ、と言うのもよく分かる。
だが、ちょっと考えてみよう。100歳を超えて本当に元気な人がどれだけいるか。
今年亡くなった有名人の中に100歳を超えていた人はいないし、人生100年というのは平均寿命100歳という意味ではないことを。
それなのに、なぜ「人生100年時代」と言うのか。誰が(どこが)唱えているのか。
少し考えれば政府だということに気づくだろう。

 そう、政府におだてられているわけだ。
人生100年時代だから、もっと働け、仕事をしろ。
企業は定年を延長したり、高齢者を採用して仕事をさせろ。
そうすれば人手不足は防げる、と。

 一理ある。60歳あるいは65歳で会社勤めを辞めた途端、会社ロス、仕事ロスになり
生きる意欲さえ失う人がいるのも事実だ。
彼らのうち何%かは引きこもりになっているらしい。
そうしたことを防ぐためにも「人生100年時代」だから、と言って働かせるのは一定の効果はあるかもしれない。

 だが、年取ってくると現役世代のように働けないのは事実だ。
もう少しゆっくりして、いいじゃないか。
そうすればイライラすることも、キレる高齢者と言われることもなくなるだろう。

 そうしたいのに、そうできないのは老後の生活が成り立たないからだ。
なぜ、成り立たないのか。なぜ年金だけで生活できないのか。

 すべてが年金受給世代の数の問題とか、人口構成の問題とかにされているが、
統計数字上はそうかもしれないが、そうさせたのは政府ではないか。
持ち家制度を勧め、消費を奨励し、次から次へと箱物や施設を造り、国の財政を借金漬けにし、
そのツケを国民に回し、今度は走り続けよと尻を叩く。
これでは働くではなく、働かせられるだ。

 スピードを緩めて、ゆっくり行こう。ゆっくり生きよう。
老兵は死なない。ただ1線から消え去るのみだ。
この言葉をもう一度思い出してみようではないか。