栗野的視点(Kurino's viewpoint)

中小企業の活性化をテーマに講演・取材・執筆を続けている栗野 良の経営・流通・社会・ベンチャー評論。

この国の無責任体質が権力者の独裁化を許していく。

2020-05-16 18:23:45 | 視点

栗野的視点(No.675)                   2020年2月27日
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この国の無責任体質が権力者の独裁化を許していく。
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 一体この国はどうなったのだろうか。頭から腐るというが、まさにその通りで、

組織は上に倣えで、上のやり方を見て下は真似て行くから、上に立つものは

よほどしっかりと自らを律していく必要がある。

横行する公私混同、横領

 ところが、どうだ。国も企業も上が公私混同、私利私欲に走るから、当然のごとく

下は上を見倣い公私混同、公金の横領を行う。接待と称して会社の金で飲み食いする

ぐらいはカワイイもので、経理を任されているのをいいことに馬主になって馬に金を注ぎ込み、

ブランド物を買い漁り、挙句の果てには家まで買ったり豪遊するなど金を湯水のごとく使う。

 いまさら「公僕」という死語を持ち出すつもりはないが、官僚の矜持などどこ吹く風で、

政治家とつるんでスィートルームに泊まりながら、医学の進歩に必要な予算をバッサリ削り、

イケシャアシャアと国会で答弁する女性官僚の姿などを見せられていれば、

あんなのに比べれば自分の横領など大したことないと思っていたかもしれない。

薄っぺらな言葉ばかりが

 「国家の品格」という言葉が流行った時があったが、今、どこを探しても国家に品格などない。

それはこの国だけでなく、世界中どこも同じだろう。

国の「トップ」に品格がないのに、国家に品格が備わるはずがない。

 大体、言葉に重みと真実性がなくなった。

「スピード感を持って取り組む」「丁寧に説明していく」などという言葉は何度耳にしただろうか。

その度に、あっ、今まではスピード感を持って取り組んできてなかったのだとか、

「丁寧」とは「これ以上説明しない」ということと同義語なんだと思い知らされ、

理解させられている。

 最近は「丁寧に説明」すら言わず、「そのことは国会で報告した通りです」で済ませ、

それ以上の説明を拒否する姿勢が目立つ。

 国会で飛ばされるヤジが時々問題になるが、あろうことか政権トップの地位にいる者が

ヤジを飛ばす。それも一度や二度ならず。本来ならヤジを飛ばす与党議員を諫める立場だ。

それが率先してヤジを飛ばす。それも品がないヤジを。

 その彼が得意とするのは「ご飯論法」だそうだ。

「ご飯論法」とは「今朝、朝ご飯を食べましたか」と問われ、朝食にパンは食べたが、

ご飯(米の飯)は食べてないから「ご飯は食べてない」と答え、質問を都合よく

すり替えて答える答弁のことらしい。

 そういえば、かのご仁は質問に対する返答のすり替えが実にうまい。

いや褒めているのではない。皮肉っているというのはお分かりだと思う。

公文書破棄の次は法の身勝手な解釈

公文書の廃棄は独裁化への第一歩である。

記録文書がなければ過去の出来事や歴史は検証できなくなる。

検証は権力者の暴走を防ぐ砦なのだ。


 第一歩があれば、当然、第二歩が続く。では、第二歩は何か--。それは人事である。

 古今東西、人事こそが政権維持の絶対条件であり、自分が思うがままに振る舞える

必要条件である。故に周辺に意のままに動く人物、自らの意思を忖度して実行する人物、

それは多分に恩を着せた人物だったり、お友達だったりするわけだが、

そういう人間を配置しようとする。

 以前から最高裁判事は政権に好意的な人物を据えるということが当たり前のように

行われてきていたが、今回はさらに一歩進めて東京高検の検事長人事を

恣意的に行おうとしている。

 63歳と決められていた検察官の定年を延長し、安倍政権寄りの検事に検事総長就任の

道を開こうというわけだ。

 ここまで露骨な人事は過去に例を見ない。

そこまでして独裁化を進めようとしている理由は何なのか。

 ところが、それに待ったをかけたのが公文書の存在である。

政府の説明に反し、検察官の「定年、特例定年、勤務の延長及び再任用の適用は

除外される」と明記した公文書が残っていたのである。

 こうした文書が廃棄され、残されていなければ、いいように言い換えられ、

定年延長だろうが任用だろうが政権の都合で好き放題にできるということであり、

公文書の保存がいかに大事かということが分かるし、身勝手な法の解釈防止に

公文書の保存が一定の役割を果たしているといえる。

 逆に言えば、そうであるからこそ権力者は不都合な公文書を残したくないわけで、

保管期間を短縮しようと画策もしているわけだ。

 それ故、国民は公文書の保存や法律の改変に対し、もっと注視する必要があるだろう。

蔓延る無責任体質が独裁を許す

   (略)

 

  全文はHPに収録しているので、そちらでどうぞ

 栗野的視点(No.675):この国の無責任体質が権力者の独裁化を許していく。