風の遊子(ゆうし)の楽がきノート

旅人を意味する遊子(ゆうし)のように、気ままに歩き、自己満足の域を出ない水彩画を描いたり、ちょっといい話を綴れたら・・・

楽書き雑記「松坂屋創業者・伊藤次郎左衛門祐民の別荘『揚輝荘』が誕生100周年」

2018-11-28 06:55:34 | 日記・エッセイ・コラム


現在の大丸松坂屋の前身である松坂屋の創始者、15代伊藤次郎左衛門祐民が1918年(大正7年)、名古屋市千種区覚王山に別荘として設けた揚輝荘(ようきそう)が100周年を迎え、さまざまなイベントが催されています。

往時の揚輝荘は1万坪(3.3㌶)の敷地に30棟余の建物が立ち、政財界や皇族、文化人らが集う迎賓館であり、交流の場でした。現在残されているのは聴松閣など5棟と庭の一部ですが、名古屋市有形文化財に指定され、豪華な造りは往時をしのばせます。

南園と北園からなり、南園にある聴松閣は地上2階、地下1階建て。応接室、寝室、書斎、さらに客人たちだけで楽しむ舞踏場もあり、それぞれ透かし彫りの入った椅子や彫刻像などの装飾が施されていました。
さらに地下からは全長170㍍の地下トンネルが。当時の内外情勢からすれば緊急避難用でしょう。

北園の庭には紅葉が湖面に映る池、小さな橋、茶室、それに赤い鳥居が続く豊彦稲荷も。マンションが建ち並ぶ住宅街の中の別天地です。

聴松閣では、100周年記念イベントとして「揚輝荘天街展」と題した展覧会(1130日まで)が催されていました。
名古屋を拠点に演劇活動を展開する天野天街(1960~)の作品展で、演劇を宣伝するために制作したコラージュ作品などが各部屋を飾っています。

北園門のヤマガキ。ピンポン大の実が鈴生りです

往時の揚輝荘はこのようだったそうです


揚輝荘天街展の展示作品