リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

言葉の国際化って難しいね

2015年04月10日 | 日々の風の吹くまま
雨が近づいていてどんより。ついきのう4月になったと思ったら、もう3分の1が過ぎてしまっ
ている。せわしないなあ。まあ、2月、3月がほんっとにつむじ風のごとく過ぎてしまったから、
こうしてのんびりできるのはうれしいけど・・・。

今日はのんきに小町横町の散歩。外国人まで動員しての日本賞賛テレビ番組にうんざりと
いうのには、この手のテーマで必ず出る「日本人は今まで自虐的だった」というコメント。日
本人てそんなに自虐的だったの?日本人の自己否定は自虐というよりも受動攻撃に近い
感じがするけどな。自己主張はダメ、自慢はダメ、自分語りはダメ、「滅私奉他」じゃなきゃダ
メ・・・これだけ他人から自己否定を要求されていたら、それを逆手に取った受動攻撃性(否
定的)人格になってもおかしくないだろうと思うな。まあ、自己防衛の一種と言えるものじゃ
ないかな。

英会話をやっても使い道がないというぼやきトピックでは、「外国語よりも母国語でしょ」と言
う人がいて、曰く「母国語を自由にしゃべることが出来ることの素晴らしさはこの日本ならで
はのものでしょう」。ええっと、どこの国でもみんなそれぞれ自由に母国語をしゃべってるん
ですが・・・。日本語なら「心の中に浮かぶ思いや感情を(母語で)素直に言葉で表現できる」
のは日本語人にはあたりまえじゃないの?(もっとも最近はそれが怪しい人も多いみたいだ
けど。)一方で「外国語ではその思いや感情を言葉で表そうとしてもどうしても限界がある」
のもどこの誰にもあたりまえだろうと思う。で、結局この人は何を言いたいのか・・・。

日本人の英語ベタを直すためにカタカナ英語をできるだけ原音に近づけたらどうか、と言う
のはおもしろい発想だけど、日本語の文字で外国語の音声を表すのはまずもって無理。仮
に可能だとしても、それで「日本人の英語ベタ」が治るとは思えない。英語では単語ひとつ
にいろんな意味があることが多いけど、カタカナ語になるとひとつの意味がひとり歩きして
日本語の語彙に取り込まれるから、元の意味は忘れられる。どうせなら英語のまま取り入
れて英語で発音すればいいという意見もあったけど、それも難しいな。日本語を話している
途中で英語を原音で交えるのは難しいからカタカナ語になるし、逆に英語で話していてとき
に純正発音の日本語を挟むとリズムが狂うのでつい「ガイジン日本語」になる。言語の国際
化ってのは実に難しい・・・。