春先の体調不良から、
オフ日は
どうしても
伏してることが多い。
そのせいか、
背中も凝るのだろう。
かといって、
まだまだ
市中で50人もの感染者が
連日出ているのでは、
気安く本屋や古書店めぐりや
常連店へ食事に行くのも
憚られる。
第六波は
依然として
収束には至っておらず、
そこへきて、
ロシアによる戦争勃発である。
3.11では、
多くの人たちが、
津波被害を見て
間接的なPTSDになった。
津波に巻き込まれた
親友のTは、
未だにテレビを見れない
と言っていた。
ハイリー・センシティヴな
HSPでもあるので、
花粉症や長風邪で弱ってる時に、
連日、ウクライナの破壊された
街やら、泣き叫ぶ子どもやら、
病床に伏せる負傷者を見せられると
やはり間接的なPTSDになりそうで、
最近は、極力、見ないようにしている。
きのうは
狐狸庵先生の
新発見された原稿が
冊子化された
稀覯本のような一冊が届いた。
いずれの作品も
昭和30年代のもので、
一月からずっと再読してきた
当時に書かれた作品群とも
偶然の一致を見て感激した。
先生が
自らのお棺に入れてくれ、
と遺言した代表作『沈黙』の
モチーフが、当時の
カトリック系青年冊子に
連載された童話に
すでにその原点があった、
という今回の発見は
愛好家や研究家にとっては
驚くべきものだった。
それと、
今回の大収穫は、
併載された『青い城』という
1967年に、少女雑誌『りぼん』に
連載された少女小説である。
同紙は現在も発刊されているが、
当時は、マンガだけでなく、
数編の少女小説も
「第三の新人」たちにより
リレーで連載されていた。
遠藤周作はじめ、
曽野綾子、三浦朱門、
安岡章太郎、山本健吉、吉行淳之介
らが執筆したのだから、
驚きでもある。
狐狸庵シリーズのエッセイで、
「売れない頃、
少女小説を書いたりもした」
という一文を読んだ記憶があるが、
それが、この『青い城』だったのだ。
作中には、
おとうさま、おかあさま、
お星様になって・・・
などと、お目々キラキラの
少女漫画のような文体で、
大の大人が読むには
鳥肌物だが(笑)、
そこは狐狸庵先生だけあって、
平吉なる野生児のような
ヒーローキャラを登場させ
活劇風の面白さ、
お涙頂戴的な場面・・・と、
さすがの創作である。
ストーリーは
少女漫画を地でゆくような
ベタもベタ「大ベタ」だが、
王道の展開なので、
ハラハラドキドキ、
ワクワク、ウルウルの
見事な展開であった。
そして、
この平吉なるキャラは、
あの車寅次郎の幼少期ではないか、
と思わせるほどの破天荒ぶりと、
粋と鯔背さシャイネス、
そして、憂いがある。
モーツァルトにも通じる
狐狸庵先生お得意の
スカトロ・ネタも満載で
当時の少女は顔を赤らめつつ
腹を抱えて笑らい転げたことだろう。
自分も、
物語世界にひき込まれ、
大笑いしたり、ウルッとさせられ、
鉄板のスポ根物でもあり、
演歌の世界でもあり、
そして、そこに、
カトリシズムの宗教性が
底流にしっかりあるのである。
巻末の解説を見て、
この時期、先生は、
三度にわたる結核の手術で
死を覚悟していたとあり、
それは、別のエッセイや日記でも
知ってはいたが、その病床で
こんな破天荒で滑稽な
少女小説を書いて、
それ以後の「狐狸庵もの」の
嚆矢となったという
これまたエポック・メイキングな
作品であった。
本の帯に
まだ手持ちになかった
三冊が河出書房新社から
出版されていたことを知り、
さっそく日記以外のものを
アマゾンに注文した。
日記は、
初期のものはあるが、
晩年のものまで
収録されているのはないので、
値段を見たら1万4千円もするので
気安くポチるのがためらわれた。
でも、
晩年の日記は
パトグラフィー(病跡学)的興味から
是が非でも読みたいので、
来月の給料日にでも
ポチろうかと思っている。
静岡に単身在住してる
仲の良い従妹から
久しぶりにメールが来て、
東京にいる自分の家族や
フクシマの両親の
看護やら介護で
アタマがどうにかなりそーだった、
と近況を報告してくれた。
その折に
セルフ・ヒーリングとして
描いた幾枚かの絵を送ってくれたが、
なかなか、その懊悩ぶりが
よく現れた作品に仕上がっていた。
なので、
そのうちの一枚を
画像ソフトで嵌め込み合成して
額装してサインを入れてみた。
このまま画廊や
展覧会にあっても
おかしくないような
モダンアートにも見える。
ダンゴ三兄弟が
幼い頃は、
見事な作品を描いたりしたら、
トーチャン画商が
500円で「お買い上げ」して
家の中に額装して
飾ったものである。
彼らにしてみれば、
小遣い稼ぎにもなり、
作品も展示されるし、
いい事づくめだったはずである(笑)。
オフ日は
どうしても
伏してることが多い。
そのせいか、
背中も凝るのだろう。
かといって、
まだまだ
市中で50人もの感染者が
連日出ているのでは、
気安く本屋や古書店めぐりや
常連店へ食事に行くのも
憚られる。
第六波は
依然として
収束には至っておらず、
そこへきて、
ロシアによる戦争勃発である。
3.11では、
多くの人たちが、
津波被害を見て
間接的なPTSDになった。
津波に巻き込まれた
親友のTは、
未だにテレビを見れない
と言っていた。
ハイリー・センシティヴな
HSPでもあるので、
花粉症や長風邪で弱ってる時に、
連日、ウクライナの破壊された
街やら、泣き叫ぶ子どもやら、
病床に伏せる負傷者を見せられると
やはり間接的なPTSDになりそうで、
最近は、極力、見ないようにしている。
きのうは
狐狸庵先生の
新発見された原稿が
冊子化された
稀覯本のような一冊が届いた。
いずれの作品も
昭和30年代のもので、
一月からずっと再読してきた
当時に書かれた作品群とも
偶然の一致を見て感激した。
先生が
自らのお棺に入れてくれ、
と遺言した代表作『沈黙』の
モチーフが、当時の
カトリック系青年冊子に
連載された童話に
すでにその原点があった、
という今回の発見は
愛好家や研究家にとっては
驚くべきものだった。
それと、
今回の大収穫は、
併載された『青い城』という
1967年に、少女雑誌『りぼん』に
連載された少女小説である。
同紙は現在も発刊されているが、
当時は、マンガだけでなく、
数編の少女小説も
「第三の新人」たちにより
リレーで連載されていた。
遠藤周作はじめ、
曽野綾子、三浦朱門、
安岡章太郎、山本健吉、吉行淳之介
らが執筆したのだから、
驚きでもある。
狐狸庵シリーズのエッセイで、
「売れない頃、
少女小説を書いたりもした」
という一文を読んだ記憶があるが、
それが、この『青い城』だったのだ。
作中には、
おとうさま、おかあさま、
お星様になって・・・
などと、お目々キラキラの
少女漫画のような文体で、
大の大人が読むには
鳥肌物だが(笑)、
そこは狐狸庵先生だけあって、
平吉なる野生児のような
ヒーローキャラを登場させ
活劇風の面白さ、
お涙頂戴的な場面・・・と、
さすがの創作である。
ストーリーは
少女漫画を地でゆくような
ベタもベタ「大ベタ」だが、
王道の展開なので、
ハラハラドキドキ、
ワクワク、ウルウルの
見事な展開であった。
そして、
この平吉なるキャラは、
あの車寅次郎の幼少期ではないか、
と思わせるほどの破天荒ぶりと、
粋と鯔背さシャイネス、
そして、憂いがある。
モーツァルトにも通じる
狐狸庵先生お得意の
スカトロ・ネタも満載で
当時の少女は顔を赤らめつつ
腹を抱えて笑らい転げたことだろう。
自分も、
物語世界にひき込まれ、
大笑いしたり、ウルッとさせられ、
鉄板のスポ根物でもあり、
演歌の世界でもあり、
そして、そこに、
カトリシズムの宗教性が
底流にしっかりあるのである。
巻末の解説を見て、
この時期、先生は、
三度にわたる結核の手術で
死を覚悟していたとあり、
それは、別のエッセイや日記でも
知ってはいたが、その病床で
こんな破天荒で滑稽な
少女小説を書いて、
それ以後の「狐狸庵もの」の
嚆矢となったという
これまたエポック・メイキングな
作品であった。
本の帯に
まだ手持ちになかった
三冊が河出書房新社から
出版されていたことを知り、
さっそく日記以外のものを
アマゾンに注文した。
日記は、
初期のものはあるが、
晩年のものまで
収録されているのはないので、
値段を見たら1万4千円もするので
気安くポチるのがためらわれた。
でも、
晩年の日記は
パトグラフィー(病跡学)的興味から
是が非でも読みたいので、
来月の給料日にでも
ポチろうかと思っている。
静岡に単身在住してる
仲の良い従妹から
久しぶりにメールが来て、
東京にいる自分の家族や
フクシマの両親の
看護やら介護で
アタマがどうにかなりそーだった、
と近況を報告してくれた。
その折に
セルフ・ヒーリングとして
描いた幾枚かの絵を送ってくれたが、
なかなか、その懊悩ぶりが
よく現れた作品に仕上がっていた。
なので、
そのうちの一枚を
画像ソフトで嵌め込み合成して
額装してサインを入れてみた。
このまま画廊や
展覧会にあっても
おかしくないような
モダンアートにも見える。
ダンゴ三兄弟が
幼い頃は、
見事な作品を描いたりしたら、
トーチャン画商が
500円で「お買い上げ」して
家の中に額装して
飾ったものである。
彼らにしてみれば、
小遣い稼ぎにもなり、
作品も展示されるし、
いい事づくめだったはずである(笑)。
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