有体に言うと語りをアイディンティティーの拠りどころにしているところがわたしにもあったのです。つまり不在証明.....アリバイです。語ることはわたしの人生、わたしの生命を補完することでもありました。それもわるくはない。
けれど、声について学んでから、自分の声、ひとの声に耳を澄ませ、気配、仕事の仕方、応対..など視るともなく見、聴くともなく聴いているうちに声というもの、語り、仕事......あらわれるほとんどのことが人格そのものであること....がわかりました。トラブル、ミスはたいてい起こるべくして起こるのです。場合によっては気づかずしてあえて起こしている....人格...パーソナリティといっても今のその方に責任があるものもないものもあるのですが、どちらにしても降って湧いたものではないようです。
声が変わることと人生が変わることは連関しています。けれどもそれは入り口と出口であって実はもっと深いところ、目に見えないなにかが変わっているようにわたしには思えます。時間ができたら...できないまでも日々の生活のなかで学んでゆきたい、つきとめてゆきたいと思います。
さて、わたしはわたしの生を「語ること」で補完してきた...と申しました。「語ること」でわたしは...なにがし免れることがあるように思いました。.....わたしにとっても 「語り」はある種のステータスであったのかもしれない。語ることは免罪符になり得ると信じていたわたしは、つい先ごろそれは執行猶予に過ぎないのだと知りました。
真にむきあうべきはわたしの身体、わたしの心、食べること、生きること、愛すること....わたしの生命 それがかたちを変えて声ともなり、語りともなる、補完するものなどとは思い違いもはなはだしかった.....。
かといって趣味であったり、芸術であると信じている方が間違っているとはゆめゆめ思いません。述べているのはわたしの感じ方、わたしの生き方なのです。芸能にたずさわる方々は濃い人生を送っている方が多いように思います。それはもともと自分に求めることも多いのでしょうし、芸能とは目に見えないものに直接間接につながってしまうものだからなのでしょう。ある部分を突出して補完してゆくことで徐々に内面も変わってゆける....好きなことだから加速できる。けれども根本から変わろうとして変われるならそれがいちばん自然であるように思います。
....世は波立ち、わたしの生活の場もけっして安泰ではありませんが、こんなに平和でやすらかで自由でいられたことはいままでにありませんでした。ここまで導いてくださった多くの先達の方々、励ましてくれた友人に心から感謝申しあげます。
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