遠い森 遠い聲 ........語り部・ストーリーテラー lucaのことのは
語り部は いにしえを語り継ぎ いまを読み解き あしたを予言する。騙りかも!?内容はご自身の手で検証してください。
 



    求めるもの、尺度 好みはひとそれぞれですから 目くじら立てることではありませんが 浅田真央さんになくて村上佳菜子さんにあるものが表現力とか書いてあるのを見ると いったい 表現力をどう捉えているのだろうと大いに疑問です。

    佳菜子さんは今 怖いものなしで勢いがある。山田コーチの庇護のもとにありますし のびのびと育っていて 楽しみですね。

    しかし 佳菜子さんの演技に戦慄は感じないし 涙も浮かばない。上手な可憐な氷上ダンスではあるけれど そして 将来、佳菜子ちゃんもアスリートとして進化を遂げる可能性は十分にありますが、鐘や仮面舞踏会のような昇華されたパフォーマンスでは まだない。 

    わたしはフィギュアスケートを ジャンプやスピン、ステップなどのエレメンツを並べて音楽にのせたものとは思いません。そこには研ぎ澄まされた技術に裏打ちされた人間性の本質の表出やストーリーが厳然とあらわれます。本来の表現とは顔やしぐさで 貼り付けたり つくったりするものではなく おのずとあらわれる、にじみ出る、ごまかしようのないものなのです。そして、それこそが競技を超えて見るひとの胸を打つのです。

    

26日から仏蘭西杯 → コチラ
     

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    きのう 噂を聞き出かけた能仁寺は見事な紅葉でした。11/23 訪れると静寂のはずの境内にロックが鳴り響いておりました。おてらいぶと称しアジアの子どもたちを支援するライブ演奏がおこなわれていたのです。あたたかいお茶 豚汁 焼きそばが振舞われ 老若男女がつどっておりました。

    ところで この能仁寺 由緒と歴史のあるお寺だったのです。上野で官軍に敗れた彰義隊→振武軍が立てこもったのが能仁寺 官軍との激しい戦いで慶応4年(1868年)当時の寺は消失しました。振武軍の参謀 渋沢平九郎は秩父の神主の家の出でした。飯能と秩父はつながっています。秩父へ逃げ延びようとしましたが、追い詰められ自刃しました。見事な最後であったようで歌舞伎にもなり のちのち武勇を謳われたそうです。

    さて わたしの語り部としてのライフワークはウラ古事記だけではありません。出自が会津と秩父であることから、戊辰戦争の後の会津のひとびとと秩父事件にかかわったひとびとのその後もライフワークです。 あまり知られていない歴史の真実を調べ 語りにし 聴き手のみなさまとともに 過去を旅し 当時のひとびとの心情に想いを馳せることは 魂鎮めにほかなりません。

    飯能戦争は秩父事件や会津とつながるものがたりです。夕焼映える紅葉 血のように赤い紅葉に束の間 死を賭して戦った幾多の男たち 支えた女たちの面影が過ぎりました。

お寺の写真は今夜 UPします。

        なんて凛々しい平九郎さま 渋沢栄一が見込んで養子にした人だそうです。


飯能戦争 → コチラ

飯能百景 → コチラ    

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