きのう 仕事もしないで大島弓子さんの漫画 を読んでいました。サンコミクスのアンソロジー”野イバラ荘園”と”夏の終わりのト短調”だったと思います。意外にも心に残ったのは”夏の終わりの.....”でした。
① 悲劇の時代
この間に学園ものやハッピーエンドの女王と呼ばれる時代があります。
② ロマンの時代
③ チビ猫の時代
④ 神経症の少女たちの時代
⑤ トラウマと甦りの時代
大島漫画はおおざっぱに五つにわけられるように思うのです。はじめの頃は 詩子と呼んで もう一度!! とか誕生とか もう一度生きたい とかこれでもかこれでもかというように悲劇ばかり描かれていました。
②はミモザ舘とか 野イバラ荘園 海にいるのは のように悲劇ではありますが 障害を越えて成就した”愛 ”のかたちがあります。殉愛 といってもいいでしょう。そしてそれを見つめるのは少年少女の瑞々しい瞳です。またすべて緑になる日までのようにハッピーエンドのものがたりもたくさん描かれています。 わたしが大島弓子さんに夢中になったのはこの時代でした。流麗な線 瑞々しい感性 そしてことば 大島さんの奔流のようなことばに幻惑され魅了されました。
③はご存知のとおり 一世を風靡したチビ猫のシリーズ。チビ猫は貴婦人のようなお姫様のようなスプリングフィールドになることを夢見ますが いつまでもチビ猫。少女のままでいます。
④になって少女は少女のカラを脱ぎ捨てるための痛々しい戦いをはじめるのです。 ”バナナブレッドのプディング” ”痛い棘 痛くない棘””草冠の姫””赤西瓜 黄西瓜”などなど。
そして圧巻が⑤です。 今日 読んだのは 黄昏は逢魔が刻 夏の終わりのト短調 夏休み? なのですが 共通しているのは 長い間抱えていた心の傷 .....母親に棄てられた青年 好きだった少女に贈り物を渡せずずっと想いを胸にしまっていた初老の紳士 満たされぬその妻 憧れのひとと結婚できなかった痛みを完璧な家庭をつくることで補おうとする主婦......のトラウマの解消とあらたな旅立ちのものがたりです。そしてそこに介在し 手を貸し 見守るのが登場人物の少女の役目なのです。少女は主人公に見えて狂言回しでありあるいは語り手です。
これってすごい 少女漫画じゃないんですもの。 生と死と再生.....ものがたりの真髄がありますね。
少女も少女のままでいつまでもいられない。萩尾望都 山岸涼子 の両氏も 少女のカラを脱ぎ捨てる葛藤を別のカタチで描きました。フロル・ベリチェリは両性具有体から変異します。萩尾さんの場合は意識的無意識的に主人公の少女が選択しているように思います。山岸さんはもっと生々しい 天人唐草 潮の音 時じくの香くの木の実 など無念にも 少女のままに固定された少女たち あるいは少女のカラを脱ぎ捨て男をとろかす蛇体のような存在になってゆく少女を描いています。
少年が男になるための通過儀礼より もっと陰湿な奥深いものが少女の成長にはつきまとう......そのあたり 三人の変遷をより深く辿ってゆきたいと思います。
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