前回の旅は 蓼科第二牧場 亀石だった。 公演が三つ終わり そのうえ 語りを伝えるという13年の重しから開放されて 長野に向かった。最後のひとりが某大学での公演でたいへんよい語りをしたので わたしはみずから課した教えるという勤めから降りたのである。開放されるといっても それは明るい絶望に似て いくら心をこめてつたえようとおしえようと所詮は同床異夢なのだった。自らのために語るのと 聴き手の神性に向かって語るのとは 根本が違うのである。
考古学について 学があるわけでもなく たよりは自分の感覚だけという 頼りないような申し訳ないような それでも自分にとっては神をたずねる旅は祈りであるとともに探求だった。 亀石について ふたつ気になることがあった。ひとつは匂いである。いつか 長野で道に迷い 森の中で岩を積み重ねた古代の祭祀跡のようなところで 嗅いだ 花のような匂いとおなじ匂いがした。 それは知るかぎりのどの花の匂いでもなかった。
もうひとつは 亀石のパワーが向かっているさきというか 直線の一方が 佐久のほうではないかと感じたのである。方位磁石もないし まったく根拠はない。
それで 佐久の神社を調べたら 新海三社神社と 蛇石神社ともうひとつにヒットした。冬至 新海三社神社から 蓼科山頂に夕日が沈むのを見ることができるという。古代は太陽と 冬至 春分 秋分 夏至 が大きな意味を持っていた。
一昨日 午前中はピエールというケーキ屋をみつけた。 名高いプレ生クリーム? のケーキとシュークリームは直前で売り切れたので メロンショートを買った。 だが このメロンショート 生クリームの量がハンパなく 実に美味だった。 ストレートでシンプル。その前日のバールマタンのケーキはもっと繊細なあじわいだったが ひとつ食べたらおなかいっぱいになるケーキは満足感がちがう。ちなみにバールマタンでは クリームチーズとサーモンのマフィンが絶品だった。
あやしい雲ゆきの夕方 出かけた。路上は雨に濡れ ときおり 強い雨足..... 予定より20分も多くかかって 佐久のはずれ? 家並みがふつうではない。立派な門構え お寺か料亭のような 塀がつづいて 着いた駐車場の奥は 鬱蒼とした森..... 雨の形跡もない。 重い気配に気持ちを奮い立たせて 凹凸のある石段をのぼる。 口に含んだ御手洗の水は甘く 思わず飲み込んだが かすかな苦味も残った。
新海三社神社は佐久の総社 主祭神興波岐命が、新開神(にいさくのかみ)とも称されることにより、「佐久」の地名のもとになったという。興波岐命は諏訪大明神・建御名方命の息子である。娘のはなしでは アニメ 君の名は この地もモデルということなので 新海監督の名もここから とったのだろう。
参拝がすんで 御朱印をいただきに社務所にまわったら アロハの方が みごとな筆で したためてくださった。....三重の塔....神仏分離令のとき アレは物置です のひとことで 壊されるのを免れたという三重の塔は 風雪に傷んでいるように見えた。神社庁は伊勢系ばかり贔屓にするが あれはよくない。下るとき 異様に重い氣....とみると 小暗い森に積み重なった岩 古代祭祀跡のようだ.... そのむこうに石の祠..... 怖くて行けなかった。
すぐそばに 龍岡城址 幕末に建てられ 西洋にならって五芒星のカタチのとりでは函館の五稜郭とここだけだが 廃藩置県で 築城後わずか 4年で取り壊される。 武田家 源家も崇敬した神社というが 滅びてしまった.... 気分は重く たちこめ 家人とは喧嘩してしまった。古墳もあったようだが わたしは 古墳とか遺跡はどうもだめである。氣がおちるというか 枯れるというか....
さて あたりまえのようだが わたしは今にして気づいた。 .... 3.11の前の年から鹿島 香取 茨城の神々 3.11以降 大神神社 熊野の神々 諏訪の神々 二荒山 中宮祠 瀧尾神社 金鑽 玉前ずうっと 出雲の神々の足跡をたどるような 旅をしていたということに.....
いや 違う 10歳のとき父につれられていった氷川女体神社が はじまりで 調神社がそのつぎ....なにかに追われるように 導かれるようにおってきた.... つぎは 一ノ宮貫前神社 咲前神社...
ところで 彩雲棚引くとは そうケムトレールによって撒かれた金属粒子が コバルトブルー オレンジ ピンクに輝くのである。みなさま 注意深く 観察すると わかりますよ。