大山さんの夫 砂川啓介さんが亡くなったのは7月のことだった。大山さんが 認知症になったことは知っていたけれど 葬儀に出られなかったと聞いて 胸が痛んだ。
わたしの母も認知症で 電話をかけている最中 なんども おなじことを聞き返す。
「今日は9日だよね 金曜日?」「おかあさん 今日は土曜日だよ」 「今日は9日だよね 金曜日?」
母の発症は 3年前の4月 叔母が倒れたときだった 今 思い出してみれば.....
「ちょうど こんな日だったよ 4月なのに 雪がふって.... みっちゃん(叔母)がランドセル背負って学校に行ったのは」
母はなんども 同じことを繰り返した。わたしは 義妹に専門病院に連れて行くようにすすめたが 彼女はいかなかった....近所の町医者に見せたらしく だいじょうぶだそうですよ .... わたしもそれを信じてしまった。信じたかったのかもしれない。
昨年 母から 1日に 何度も 何度も 電話がかかるようになって.....さみしがって
それで ネットで調べて 病院に連れて行ったら アルツハイマー....だった。
先生は言った。「2世帯住宅の壁をとっぱらいなさい。ひとりでみるのは不可能だから 兄弟で助け合いなさい」
そのあとが たいへんだった。 母の通帳を調べたら たいへんなことになっているし 食事も 洗濯物も....
泣きながら 山のような洗濯をした。母をまかせっぱなしにした自分がわるいと思った。クーラーを買い 炊飯器を買い こたつを買い いっしょに住んでいる弟夫婦の反対を押し切り半ば強引に階段の手すりをつくってもらう。介護保険は10%しかでないし 手続きが面倒だというので夫がお金を出してくれた。 その間 ケアマネージャーとの折衝がたいへんだったのだが あとで 介護保険は90%出ることがわかった。このケアマネは なにも知らないか あるいは 面倒なことはやらないひとだったのである。
兄弟をあつめ 会議をひらき 母の通帳はわたしがあづかることにした。240万もの使途不明金があったし 毎月20万の生活費がどうなっているかもわからなくなっていた。母が食事にこられるようにし 個別対応のできる生き生きデイサービスも追加した。
一年がかりで 風呂工事も完成した。(工事期間は4日だが 弟夫婦の反対 ケアマネの非協力的態度で進まなかったのである) 9月から土曜日午前中 ヘルパーさんにきてもらうことした。兄弟でシフト制で 日曜日 母をたずねることにした。だが 長男は 昨日 さぼった。
正直のところ 男の兄弟は役に立たない。過去の母親像にしがみついて 現実を受け入れられないのと ほんとうの愛がないのである。 母は 弟たちをことのほか 可愛がったのに である。しばしば 情けない想いをかみ締めている。母は認知症になるまえ オレオレ詐欺に 2回ひっかかった。アタシアタシ詐欺は聞いたことがない。母親の息子への盲愛が 悪いヤツラのかせぎどころなのだ。
これから 認知症はますます増えるだろう。だが認知症を恐れてはいけない。認知症は脳の糖尿病なのである。防ぐ手段も 症状が亢進するのを抑える手段もある。なるべく 早めに 専門医に診せること。
だが 今日 わたしが ほんとうに おはなししたいのはそのことではない。
母の兆候はもうすこし前から 実は あった。つぎつぎに 社会的な場所 から 家事から離脱していった。
政治活動 老人会の会長 ....後進に道をゆずるでなく 自ら閉じてしまった。 わたしはもうたくさんやったから もう年寄りだからいいの といって 料理も手芸も編み物もやめてしまった。
一概にはいえないが 認知症とはある意味 社会的な人間としての 「死」 なのかもしれない。自分の仕事はもう終わったという 「死」 への準備なのかもしれない。それなら まだ 方法はあるのではないだろうか。
大山のぶ代さんから どらえもんをとりあげたのはダレだろう。サザエさんのようにギリギリまで元の声優さんにやってもらって 順次交代ではいけなかったのか? もし 生涯 どらえもんだったら 大山さんは認知症にかかっただろうか。わたしはあたらしい声のどらえもんにまだなじめない。だから 大山さんのあとは どらえもん はみていない。大山さんのどらえもんは あったかかった。包容力があった のびたへの愛があった。
人口減少は避けられない現実だ。日本は未曾有の事態をむかえる。若い人たちを育てながら 政治家のように老害にならないように 気をくばりながら 老人も 成長をつづけ 社会に参画してゆく時代である。
生涯現役!!