遠い森 遠い聲 ........語り部・ストーリーテラー lucaのことのは
語り部は いにしえを語り継ぎ いまを読み解き あしたを予言する。騙りかも!?内容はご自身の手で検証してください。
 




和歌山を三度にわたって旅したのは2012年9月9日からでした。まことに9/9は わたしにとって たいせつな日です。
先日から ナニカがひっかかっていたのです。わたしのたいせつな友 ひろこさんのことを思い出したときに...
昨年 4/7 危篤のひろこさんのところにわたしは意識を飛ばした...白い霧 音もなくおおきな川が流れていた 向こう岸にはどこまでも 桜並木が 白くかすんで つづいていた...
今 思えば 桜は瀬織津姫の木ですね。

わたしがひろこさんに会ったのは龍神のむすびによるものでした。桃太郎学会のあと ひとりレンタカーを借りて なにかにみちびかれるままに車を走らせた.... 

奈良 大三輪神社 大和神社 石の上神宮 ...ここまでは オオモノヌシ(ニギハヤヒ)

吉野水分神社 天河神社 玉置神社 熊野本宮大社 大斎原 熊野速玉大社 那智大社...
ここまで 瀬織津姫
産田神社イザナミとカグツチが亡くなった処 花の窟神社 ...イザナミとカグツチの墓所

最後に神倉神社... もとの速玉大社 つまり 瀬織津姫

事実上のご祭神 ニギハヤヒと妃神・瀬織津姫を追い求めてきた旅というか 引かれるようにきた旅なのに どうして 産田神社と花の窟神社で イザナミが出てくるのだろう...


答はすぐそこにありました。気付かなかっただけなのです。



産田神社のHPから

また「崇神天皇の夢見により、ここに祀られていた神様を熊野川・音無川・岩田川の合流点にある中洲に移したのが熊野本宮の始まりだ」とする伝承もあります。江戸時代までは、産田神社と熊野本宮大社では、同じ巫女舞が伝承されていたとのこと。

中州 今の大斎原 もともと熊野本宮大社があったところ
熊野神社は もっとも大事な神社でした。ご祭神は瀬織津姫 瀬織津姫はほんとうにイザナミなのか...

古事記は巧妙にウソをついている。イザナギが黄泉でイザナミに会い 逃げ帰ったとき その穢れから 瀬織津姫は生まれたことになっている。大禍津姫 八十禍津姫という悪神としても書かれている。キクリ姫(白山媛)はイザナギ イザナミを取り持つ神として書かれている。菊理媛はひとの運命をくくるくくり姫水をくぐるくくり姫とも解釈されているが 瀬織津姫とおなじように十一面観音に習合される龍神である。瀬織津姫はイザナミなのか....


こちら 龍の道  玉置神社のそばに龍神村があります
瀬織津姫は11面観音 白龍 オオモノヌシ(ニギハヤヒ)も龍蛇神 ニギハヤヒは最初にこの国を統一した王でした。

こちら

旅の終わりに わたしは ”龍神”を語れ とつたえられていることに気づいて ちらしをつくり ちらしを置いてもらうために出向いたカフェで ひろこさんのことを知ったのでした。そして その出会いが KNOBさんや 奈良裕之さんとの三度のコラボによる 龍神伝説 他一連の 失われた神々の語り 縄文の語りの会へとつながっていったのでした。いつか また 語れる日がくる わたしは 今 確信を持ちました。令和3年3月23日。
ひろこさんが亡くなったあと わたしは ひろこさんがひそかに龍神を信仰していたことを知ったのです。

先日 龍の絵をいただいたのです。このたびのことといい 気づけ 語れ とうことかもしれません。


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ショーケンこと萩原健一は1950年7月25日 与野市で生まれた。
同じ年 すぐそばで... どこかで会ったことがあるかもしれない。小学生のショーケンに 生意気盛りのショーケンに。

日本はほんとうに いい役者がいないと思う。そのなかでショーケンはひときわ目立つ ひとの魂をわしづかみにできる役者だった。

だれか えらいひとが ショーケンの演技は観察眼によるデティール演技といったようだが それから わたしのこころはもやもやしている。

ちょっと 違うよねぇ

およそ 名だたる演技法というのは 世界に6つか7つあって 有名なのは スタニスラフスキー・システム それから ジェームス・ディーンなんかの メソッド演技法 日本でも鈴木メソッドは世界的に有名です。演出家の鈴木忠志さんが女優白石加代子...わたしは好きじゃないけど..にほれ込んでつくったとか聞きました。

日本の役者は 女中はこういうもの セールスマンはこういうもの という感じで属性を貼り付けてゆく 貼り付け演技が主流だった。このタイプはどんな役をやっても 同じ。パターン演技。

20数年前 劇団昴がはじめた ワークショップは英国の王室演劇アカデミーから講師を呼び おもにスタニスラフスキーシステムを広めた。ボディとセンスとマインドの一体化 ここで学んだ役者は多いようです。わたしは役者ではないが 語りを学ぶため 3回受講した。

しかし そこで学んだひとつは 日本の伝統芸能のすごさだった。王室演劇なんとかの校長 ニックさんが激賞したのが 穣 すみません 土へんの穣です....晴彦さんだった。ニックさんは生涯忘れがたい演技として ジョウさんのプロスペロ...シェークスピア テンペストのプロスペローが杖を折るシーン それから英国女優のヴァネッサレッドグレープの演技をあげた。ジョーさんは日本の伝統芸能 狂言から出た役者で みなさん 間違いなく声を聴いたことがある役者さんです。

わたしは偶然 英国なんとかのワークショップに参加する前 ジョウさんのワークショップにも何回か参加し深く揺り動かされ 芝居にも出たので 感慨深かった。

メソッド演技は 役の心理と自分の心理をちかづけてゆく 下手すると自分のドツボにはまり抜けられなくなる。破滅するひともいる。

鈴木メソッドは 体と感覚じゃなかったかな。体的にはわたしはついてゆけなかった。若干悪ロバチックでした。

さて 前置きが長くなりました。

デティール演技とは 細部の構築です。歴史的な事物を知ることもそうだし 人間の心理に伴う動作とか 細かく再現?する。でもあれもこれもだと 演技が重くなる。

ショーケンの演技はじつにかろやか のびやか 空気感がすごかった。忘れがたいのが 天使 と 前略。 もう全く 違うキャラなんだけど そこに 生きてるんだよね リアルに生きてるんだよね あ もうひとつ コンテクスト演技というのもあって それは メソッド演技法があくまでも個人をつきつめてゆくのに対し その時代の大衆といいますか ひとびとの集積 というかエッセンスを加味するみたいな....

ショーケンはまさに時代の若者を そこに現出してた。みんなが同感するような...それこそ演劇といいますか 語りもなんですが 《共鳴》 を生じせしめたのであります。それも劇場ではないしょーもないテレビという ハコで...

別にショーケンがコンテクスト演技をしていたというのではないんですよ。彼は本来の役者でした。俳優 ワザオキ だったかな。降りてくるひと ヨリマシ です。それはジョウさんが役者について言っていたことでもあるんですが 踏み外さないで ヨリマシ あるいは ウツワになるって 実に たいへんなことなのです。

無我にならなくてはいけないのに 一度でも 降りてくる 自分が自分でなくなることを知ってしますとね。求めるようになる 邪念が生じる クスリのちからも借りたくなるのよ。

ミュージシャンもそうなんだよね。人間ではないものが くるのだから 自分の状態がわるいと 変なものが降りてくることもありますしね 役によってもね。
祈りしかないんですね。

デティール演技≒ショーケン に共感できない わたしの気持ち 御理解いただけましたでしょうか?
しかしながら ショーケンは懸命に生きた。真摯に生きた シャイでやさしい役者でした。
ご冥福をお祈り申し上げます。




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