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(目次)
第2章 戦後世界のうねり:
059第三次中東戦争とナセルの死(3/3)
ナセル大統領は敗戦の責任を取って6月9日夜あらゆる公職からの辞任を表明した。しかしエジプト国民のナセルに対する思いは敗戦で消えるどころか、むしろエジプトを救えるのはナセルしかいないという熱思いが噴出した。辞任表明の直後からカイロ市民はナセルの翻意を求め街頭に繰り出してデモ行進を始めた。真っ暗な灯火管制の中で巨大な群衆の渦が生まれた。辞任表明からわずか3時間半後、ナセルは問題を国民議会の決定に委ねるとの声明を発表した。翌10日早暁、国民議会はナセルに国家元首としてとどまるよう要請し、ナセルは大統領職を続けることになったのである。
8月、アラブ諸国はスーダンのハルツームでアラブ首脳会議を開き、三つのノー(No)と呼ばれるイスラエルに対する強硬路線を採択した。すなわち「ユダヤ人国家は承認しないというNO」、「イスラエルとは交渉しないというNO」、そして「アラブとイスラエルの和平はNO」と言う居丈高な宣言であった。実はエジプトもヨルダンも米国を仲介役とする話し合いでイスラエルから領土を取り戻したいと願っていたが、虚勢としか言いようのないアラブ各国首脳の掛け声に押し流されたのである。
ナセルはその後3年近く大統領の座を保ったが、本人自身がレームダック(死に体)であることを最も良く理解していたに違いない。1970年8月、イスラエルとの停戦を実現すると、その翌月現職大統領のまま52歳の若さで心臓発作により急死したのであった。
(続く)
荒葉 一也
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