(英語版)
(アラビア語版)
(目次)
第2章 戦後世界のうねり:
062ゲリラになるか?難民になるか? 彷徨えるパレスチナ人(3/4)
PLOはベイルートに移転した後もイスラエルに対するゲリラ攻撃をやめなかったが、イスラエルからはそれを上回る反撃を受けたためパレスチナ難民があふれ、レバノン南部に大きなパレスチナ難民キャンプが生まれることになる。焦ったパレスチナ過激派は自分たちの運動に同調する海外の過激派組織を呼び込み、自らは海外のユダヤ人を、そして思想に共鳴する外国組織をイスラエル国内に送り込むテロ活動を展開した。
その結果1972年に二つの大きな事件が発生する。5月にテルアビブ空港で日本赤軍が自動小銃を乱射して26人を殺戮した。テロリストが無差別に一般市民を襲撃したこと、および犯人の一人が手りゅう弾で自爆したことはそれまでのイスラム・テロでは考えられなかったことである。イスラームに限らずキリスト教、ユダヤ教などの一神教は自殺を認めていない。人間の命は神(またはアラー)の手にゆだねられており、自分勝手に死ぬことは許されないからである。ところが東洋から来た日本人は自らが信じる高邁な理想に殉じることを潔しとしている。自爆した犯人の頭の中には2年前の三島由紀夫自刃事件のことがあったのかもしれない。数十年後に多発する自爆テロの先駆けとも言える衝撃的な事件であった。
さらに8月にはオリンピック開催中のミュンヘンの選手村でイスラエル人選手9名が殺害された。襲撃グループは「黒い9月」と呼ばれるパレスチナ過激派組織であった。しかしこれによってPLOはイスラエルに追い詰められ、複雑な国内事情を抱え内戦状態にあったレバノンの国内事情も重なり、PLOは1982年、ベイルートからチュニジアに落ち延びることになる。
(続く)
荒葉 一也
E-mail: Arehakazuya1@gmail.com