石油と中東

石油(含、天然ガス)と中東関連のニュースをウォッチしその影響を探ります。

グローバルサウスに傾斜する中東北アフリカ諸国(MENAの多国間関係)(20)

2023-10-16 | 中東諸国の動向

(注)本シリーズは「マイライブラリー」で一括してご覧いただけます。

http://mylibrary.maeda1.jp/0586MenaMultiDiplomacy.pdf

 

5. エネルギー連携

 

(湾岸戦争で機能喪失したOAPEC!)

5-3. OAPEC(アラブ石油輸出国機構)

 

 アラブ石油輸出機構(Organization of Arab Petroleum Exporting Countries, OAPEC)はアラブ産油国の石油産業活動の協力を主要な目的として1968年、サウジアラビア、クウェイト、リビア3か国によって設立された。その後、アルジェリア、バハレーン、エジプト、イラク、カタール、シリア、UAE及びチュニジアが加盟、現在11カ国で構成されている。本部はクウェイト。

 

 OAPECは加盟国で共通の経済基盤を築くことを目指し、バハレーンに25万トン級タンカー修理ドックを建設したほか、石油化学合弁事業を進めた。しかし1990年の湾岸戦争でイラクがクウェイトに侵攻するに及び、内部の亀裂が表面化しOAPECは弱体化していった。

 

 加盟国の多くは国家財政に対する石油収入の依存度が高く、原油価格の変動に左右される。しかし産油量の決定権はOPECに委ねられ、また加盟国間の利害関係が錯綜し協力分野が減少、OAPECの出番が無くなってきた。昨今ではOAPECの存在感はほとんど失われていると言えよう。

 

(続く)

 

 

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見果てぬ平和 ― 中東の戦後75年(65)

2023-10-16 | 今日のニュース

(英語版)

(アラビア語版)

 

(目次)

 

第3章 アラーの恵みー石油ブームの到来(2)

 

065中東の石油産業の曙(2/4)

19世紀末、それまでの石炭炊きの蒸気機関に対しドイツで石油を燃料としたガソリンおよびディーゼル内燃機関が発明された。これは輸送分野に革命をもたらし、軍事面では戦車や軍艦の推進機関として急速に普及した。その結果石油の需要が急激に膨らみ世界各地で石油開発が盛んになった。中東では1908年にペルシャ(イラン)で油田が発見され、そしてイラク(1928年)、クウェイト(1938年)さらにサウジアラビア(1940年)と地図上を南下しながら次々と油田が発見された。イランからイラク、クウェイト、さらにサウジアラビア、アブダビへと続く石油の埋蔵地帯は「オイル・ベルト」と呼ばれる。

 

 このオイル・ベルトの開発を手掛けたのは欧米の石油企業であった。中でも「セブン・シスターズ(7姉妹)」と呼ばれる米英の7企業が大きな存在感を示した。スタンダード・オイル・ニュージャージー(エッソ)、スタンダード・オイル・ニューヨーク(モービル)、スタンダード・オイル・カリフォルニア(ソーカル)、ガルフオイル、テキサコの米国系5社と英国のアングロペルシャン及び英蘭系のシェルオイルの7社である。スタンダードの名前を冠する3社はロックフェラーが創業したスタンダード・オイルが反トラスト法で分割されて生まれた会社であり、エッソとモービルはその後合併してエクソン・モービル(ExxonMobil)となり、ソーカルはガルフオイル及びテキサコの2社を吸収合併して現在はシェブロン(Chevron)となっている。

 

(続く)

 

 

荒葉 一也

E-mail: Arehakazuya1@gmail.com

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