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第3章 アラーの恵みー石油ブームの到来(11)
074 歴史の表舞台に躍り出たサウジアラビア(3/4)
ただ当時のアブドルアジズ初代国王とその息子サウド(第二代国王)は石油の本当の価値に気付いていなかった。彼らは米国の石油会社が支払う利権料だけで満足し、会社がその何倍もの利益を懐に入れるのを見過ごしていた。利権料は王とその一族を潤すに十分であり、一般の国民に石油の富を分配することなど念頭になかった。特に第二代サウド国王の生活は乱脈を極め国家財政を危機に追いやった。
1964年、サウドが退位し名君ファイサルが第3代国王に即位した。ファイサルはサウジアラビアを近代国家に衣替えするため、道路、港湾、都市計画などのインフラ整備、或いは教育、医療の近代化に取り組んだ。この頃、世界経済は戦後復興の道を歩みはじめ基幹エネルギーとしての石油の消費はうなぎのぼりになり、産油国の存在感が増してきた。
ファイサル国王は唯一の財源である石油収入を増やす必要性を痛感、腹心のヤマニ石油大臣に欧米石油企業と交渉させた。巨大な国際石油企業セブンシスターズとの交渉はサウジアラビア一国だけでは不可能である。ハーバード大学で法律の学位を取得したアハマド・ザキ・ヤマニはOPECの中心人物として欧米石油企業との交渉に当たった。当初セブンシスターズは産油国の要求など歯牙にもかけず、条件改定交渉は困難を極めたが、粘り強い交渉の結果、1964年のOPECジャカルタ総会では利権料の経費化を、また1966年のクウェイト会議では課税基準を公示価格とするなど、地道ではあるが着実な成果をあげた。
(続く)
荒葉 一也
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