二つ星の空

(旧「風からの返信」-11.21.09/「モーニングコール」/「夢見る灯台」/「海岸線物語」)

No.6 「White Days」その2~もう一つの崖っぷち~

2008-05-24 23:13:44 | 5296
先日、しつこいレビューをしたくせに、舞い戻ってきました。

コブクロの名曲「White Days」については、語り尽くせないほどの鮮やかなイメージがあるのですが、前回、明らかに書き忘れたことがあったので。

この曲のイメージの限りない広がり感。歌詞のスケールの大きさが、それを支えている。

冒頭部の「永い一瞬の人生に」から。
もうすでに、世界ははっきりと描かれている。
自分の時間の有限性の確認と、その時間を与えられたことへの感謝の告白。

「どれだけの拍手が送れるかな」
にある、自分ではない大切な人への視線。生き方のスタンスの表明。

「空気のように穏やかな君」
「そばにいないと息苦しくなる」
に見える、切実なまでの「君」への想い。

サビ部分の「絶望の崖を乗り越え」
「投げやりの海に潜って」
「喜びの空を飛ぶ」
これは、もう、おいらの口癖になってる「崖っぷち」気分がストレートに歌われていて、涙が出そうなほどのカタルシスがある。


あかん。。。このままでは延々と歌詞を書き込んでしまいそうだ。。。(自粛)


音楽の完成度もすごいんだが、歌詞の一つ一つが凝縮されていて、とても濃密なんだよなぁ。単純な言葉で表現すれば、「限りなく美しい」んだ。

もしかしたら、バランスを少し崩しただけでとても陳腐な印象になってしまうのかもしれない、それぐらい、ストレートで力強い言葉達が、絶妙の配列で、ダイヤモンドのような輝きを、増幅し合っている。これだけ一つ一つは重い言葉たちが、こんなに気持ちよくつながっていて、曲に乗れる、ってすごいと思う。


う~ん、やはり伝えることは難しい。とりあえず「崖」という言葉が最高においらのツボです。(それが言いたかったんやろ(笑))

では、また♪
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N.6 「White Days」 ~あらゆる魂の祝福と鎮魂のための絶唱~

2008-05-20 23:45:14 | 5296
久しぶりの曲レビューです。5296でも、大切な核の一つである曲「White Days」について。

この曲は蕾ツアー前に作られ(歌詞の内容からすると2月?)、蕾ツアーで披露していくうちに、映画「銀色のシーズン」の監督に見初められ、見事、映画のテーマ曲となり、おかげで、映画の宣伝もかねて、年末にかけてのテレビ出演時には生演奏を含めて何度も公共への演奏の機会を与えられた。とにかく、破格の経歴を持つ、パワーある曲である。

この曲にコブクロがどんな想いをこめたのか、それは彼らにしかわからない。でも、ドキュメンタリーでもとりあげられていたり、めざましTVでも渾身の生演奏を披露したり、いろいろな経緯を見ていると、いい曲なのはもちろんだが、「大切な曲なんだろうなぁ」という感じがしみじみとしてくる。

プロトタイプでは、Aメロを小渕氏が担当し、黒田氏がサビメロ担当だったこと。コードにこだわりがあったこと。等。この曲には逸話が多い。

大切な人への感謝の気持ちを歌った穏やかな曲なのだが、どうしてか、この曲を聴くと、どうしようもなく哀しくなる。暗くはならないが、とても切なくなるのだ。

小渕氏は、この曲の解説時に「前奏部分でこの曲に入り込んでもらえるように、そんな風に意図したので、前奏が長くなっている。」と言っていた(ラジオだったか?)。確かに、この前奏が、この曲全体に大きな陰影を与えていると思う。Aメロ始まるまでに、ほぼ泣きそうになりますからね(苦笑)。なんでだろう。この前奏を聴いていると、わけもなく思い出すんだ。今はもういない人のこと。届かなかった人のこと。手を差し伸べられなかった人のこと。今苦しんでいる人のこと。新聞やニュースのむこうにいる、もう帰らない人のこと。。。

おいらにとって、この曲を聴くことは、そんな人達のことを思い出し、その人達への想いをいっぱいにすることだ。そして、今生きている大切な人への想いを新たにし、制限時間を意識することだ。意図した訳ではないが、ほぼ毎回、そうなってしまう。だが、それは、涙に暮れるだけの暗い邂逅ではなくて、、、もっと暖かい、、、なんだろう。自分が今生きていること、いずれはいなくなること、そんなことの穏やかな確認、というか、それまでの時間を愛おしみたい、という、そんな感情の経験のような気がする。

だいぶ標準から外れた感想ですんません。コブクロは、よく、こんな気持ちを掬い上げてくれたなぁ、と、本当に感動します。(まぁ、おいらの解釈がイレギュラーすぎるのはわかっとります(爆))

この曲はけっこう悲壮感あるんで、聴いてるうちに力が入ります。(家族は「小渕くんも黒田くんも、全力だね」とか言ってる。おいらは、あの曲はああいう風に歌うからこそストレートに伝わるんだ、と思う。)

この曲は、やばい。真剣すぎて、ちゃかすこともできない。かといって、お涙ちょうだいでもない潔さがある。涙も涸れるような絶望を意識しながら、それを知らないようなふりで、何の保証もない明日を、手をつないで一緒に超えよう、って半泣きの笑顔で歌うんだ。(「いつか必ず報われると。。。」のくだりですら、そう信じてる、というよりは、報われない現実を知りながら、あえて信じようとして歌ってるように聞こえるんだ。おいら、ひねくれすぎか?)

こんな風に生きていきたいな、そんな風に思う。何の見返りも期待せず。でも、絶望に押しつぶされず。真っ白な世界を描きながら。力強く。

コブクロの歌は、時々、この歌のように、どん底のくつがえせない絶望を歌う。でも、それは、聴いているものをどん底に突き落とすのではなくて、海に差し込む光が、たまに、海溝の縁を少しだけ見せてくれる、そんな瞬間的な痛みで、、、だから、リスナーは、鬱にならずに、彼らの歌を聴くことができる。(少なくとも、おいらはね。)

優しい5296の中の、半端なく硬派で、でもやっぱり優しい「white Days」。こんなことうだうだ言わなくても、名曲は名曲です。

文字数は真実への距離を埋めない。。。ああ、今回も語りきれなかったっす。。。(涙)
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No.5 「君という名の翼」 ~信頼という絆の名~

2008-04-05 02:11:51 | 5296
久しぶりの曲感想いきます♪

5296ようやく5曲目。これも横綱級の曲です(相撲に例えるな、と言われそうだ(笑))

「君という名の翼」制作、発表されたのは、5296の中でも古い方だと思います。(2006年?)

ちょうどベスト盤が出る前の頃?つまり、コブクロ的には大ブレイクする直前、でも、彼らの中で何か大きなことが変わった訳ではないであろう、徐々に水が満ちてくるようなじわじわとした迫力、弓が引き絞られて矢が放たれる寸前のような、ものすごい集中力とエネルギーを予感させる、そんな曲です。

この曲を初めて聴いたのは、残念ながらタイアップしたドラマの主題歌としてではなく、ALL SINGLES BESTの中の一曲としてでした。だいたい、おいらが最初に買った「コブクロ」のCDは、ALL SINGLES BESTでしたもん。超ミーハー初心者です(笑)。しかも、その時点で、「どれが最新のアルバムなんだ。。。?」ということがわからず、CDショップで悩んだあげくに、2枚組、という安さにつられてベスト盤購入を決めた、という、、、その直前、5月5日のNHKのトップランナー(再放送?)を観たことが、全ての始まりでした。たまたま消すのが面倒くさくてつけてたテレビ、、、すべてはそこからです。
最初聴いた時はカーステだったこともあり、「???」という感じでした。でも、CD2枚組を最後まで聴き終わる頃には、すっかりハマってた。。。(^ー^:)


閑話休題。


「君という名の翼」その題名も、曲調も、歌詞も、とことんストレートで、躍動感に満ちています。スポーツ選手に「君という名の翼」が大人気だ、というのも頷けます。だって、ものすごく突き抜けてパワーがあるもん♪おいらは、ベスト盤で聴いたにもかかわらず、カラオケ(インスト)が聴きたくて、わざわざシングル盤買いました。カラオケでは歌わんけどね(汗)

おいらがこの曲を聴いて新鮮に感じたのは、曲のストレートな強さと、歌詞の清々しさだった。黒田氏の迫力あるボーカルと、小渕氏の繊細なコーラス。余計なことを考えずに気持ちよく曲に乗れる嬉しさ。歌詞はあくまでも健全でまっすぐで、、、

おいらの中では、スタレビの「夢伝説」と同格の名曲です。それぐらい、すごい。この曲は、ファンにとっては、コブクロの数ある名曲の中で埋もれがち?なのかもしれないけど、おいらの中ではすごく順位高いです。コブクロも、この曲を大事にしてくれているみたいなのが、いろんなコメントから伺えて、嬉しいんだよなぁ♪(まぁ、コブクロにとっては、自分たちの楽曲は全部「一番」なのだろうし、おいらにとっても、限りなくそれに近い心境になることが多いけど)

「君という名の翼」。。。英語訳は、以前Team Kobukuroの管理人さんが試訳を出していて、それもセンスよいなぁ、と思ったけど、おいらはこう訳します。

"Kimito iu na no Tsubasa ~ You are my wings ~ "
あるいは
"On your shoulders ~ You boost me fly ~"

限りなく似而非英語。。。そこの人、信じちゃダメだよ(笑)


この曲のすごさって、どうやったら伝えられるのかなぁ。。。言葉にするのはムズカシイんだけど、あの疾走感。飛翔感。どこまでも走っていくような、そんなイメージの広がり。
一つには、ドラムが電車の走行音に似ている、ってのもあるんだよな。以前コブクロ特集のラジオ番組で、昔の洋楽でそういうの紹介してくれてたけど、とにかく「風の中を」とか、同じように「電車の音」っぽい要素は凄くあると思う。これが、気が散りやすい人間にも集中して楽曲を聴ける要因になっているのかもしれない。
もう一つは、コードの変化。階段を一段ずつ下りていくような、そしてまた昇っていくような、繰り返しの、(しかし飽きない)シンプルで絶妙な展開。


そんなわけ(どんなわけ?)で、飲み会で酔えなかった分、家飲みで反省会、と称して夜更かしです。

ホンット、「君という名の翼」はいいよ。。。(あう、、、今回もうまく説明できんかったなぁ。。)

では!!!
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No.4 「どんな空でも」 ~終わりの向こうの、明日のうた~

2008-03-11 23:27:12 | 5296
アルバム「5296」の4曲目は、「どんな空でも」。

この曲は、ご存知の通り、NHKプレミアム10の特集でも、そのレコーディング風景が紹介され、コブクロがこの歌にこめた思いも、丁寧に語られていた。もう、語り始めたらきりがなくなる(爆)。

「どんな空でも」を聴いた時の感想。

「5296」の中で、「どんな空でも」は、新たな幕をあける役割を果たしている。
「蒼く 優しく」が「overture~theme(テーマ曲)」つまり、主題、だ。
「コイン」は、主題の提示の後の、展開。深刻な主題をひと時覆い隠す、平和で希望にあふれる一節だ。
「蕾」で、一気に、主題が劇的な変化を起こす。テーマ曲の流れを受けつつも、もっと根源的に深刻にテーマを描き、しかも、すべてを包括して、物語を一気に盛り上げ、集束させる。

つまり、「蕾」で、いったん楽曲は集束する。(なぜなら、そこで世界が完成するからだ。)そんな印象がある。

「どんな空でも」は、その後の曲だ。終わりの向こうの、新しい曲。明日の朝に夜明けの光が射すような、そんな歌だ。

「どんな空でも」の歌い出し。いかに裏でシーケンサーが鳴ってたとしても、リズムとってたとしても、あの黒田氏の自由な歌声に、小渕氏のコーラスが寸分違わぬタイミングで、少しのハーモニーのズレもなく、気持ちよく寄り添って伸びていく。あれは、すごい。「アナログ・デジタル」の本領発揮。なんで、あれ一緒に録音しなかったんだろう、と思うけど。お互い口みながら歌うのが楽だろうに。それとも、縛りなく黒田氏に歌わせて、それにどこまでもあわせられる、という小渕氏の自負なのか。難度どれだけ上げたら気が済むねん!ってくらい、あっけにとられた。(おいら音楽はド素人なので、全く見当違いのことわめいてる可能性が大です。お見苦しくてすんません。音楽関係者の方がいらしたら、笑って見て見ぬ振りしてやってください。。もしくは、「アナログ・デジタル」の真相を教えていただけたらありがたいっす(汗)。)

「どんな空でも」は、夜明けを思う歌だ。見えない青空を見上げる歌だ。空いっぱいに歌が広がり、どんどん勇気がわいてくる。そんな曲だと思う。

朝、この曲を聴くと、心に日が差したように、暖かくなる。
夕方、この曲を聴くと、生活に輝きが戻るように感じる。
夜、この曲を聴くと、この曲が語ろうとしないが含んでいる、奥の哀しみに感応して、泣きそうになる。
なんだか、ブラームスの「交響曲第1番」第4楽章を思い出す。なんでかなぁ。。。


ともに歌い、ともに手を握り、そうしてやっと、人は人らしくなっていく。
重なる合唱の厚みが、人間の歌になって、幸せそうに響いていく。

どこまでも真面目な「5296」。「どんな空でも」は、5296の世界に、新たな朝をもたらす、明星のような曲だ。

コブクロが、曲に込めたもの。目指すもの。それを想うと、果てしない気持ちになる。彼らは、どこまで高みを目指すのだろう。

ストイックに。がむしゃらに。したたかに。ひたすらに。

スタンダードと呼ばれる、数ある名曲達に似て非なるこの曲は、ちゃんと、この曲にしかない輝きをもって、独特の「スタンダード」として存在している。

あんな風に、楽しそうにレコーディングしてるんだもんなぁ。。。天才だよ。

いつにも増してまとまりませんが、「どんな空でも」は、とてつもない曲です。単純な曲だと思ってたら、痛い目に遭います(笑)。限りないリスペクトをこめて。
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No.3 蕾(つぼみ) ~純粋にして完全な歌~

2008-03-07 00:16:32 | 5296
今日の感想は「蕾」。


この曲のレビューは難しい。なぜか。。。完璧な曲だからだ。

いきなり思考停止のような発言で申し訳ないが、本当に「蕾」という曲の持つ完全性は、まるでよくできた工芸品のようで、小渕氏が「別冊カドカワ」で語っているように、声も、曲も、アレンジも、全てが「これ」でなければならない、とすら思えてくる。それくらい、見事なまでの極上のバランスで、この曲を構成する全てのパーツが支えあい、高めあい、織りあわせられている。

それほどまでに完成度の高い「蕾」だが、何度聴いても不思議なのは、この曲の立ち位置が、日本の音楽シーンの中で独特な場所にあるように思える点だ。

「蕾」のような曲って、他にどこにあるだろう。。。?

考えてみると、日本のJ-POP、歌謡曲、及び演歌等が描いてきた情景は圧倒的に恋愛の心情であって、こんな風に「母親(もしくは母以外の肉親)への愛」を純粋に中央に据えて歌いきった曲、というのは、とても珍しく思える。もちろん、演歌の中にもJ-POPの中にも、肉親への愛や望郷の念を歌った曲は、少なからずある。だが、「蕾」が見せる情景の美しさ、ニュートラルで透明な空気感、劇的な盛り上がりを見せるくせに暑苦しくはない、という絶妙の温度感、純粋にしてまっすぐな曲の志向性、等は、なかなか似たものを探すのがムズカシイ。昔、さだまさしらが「ニューミュージック」と呼ばれ、その独特の立ち位置を確立した時期があった。さだまさしも「案山子」や「無縁坂」等、恋愛ではない世界を奥深く歌い、時代の中に強くその存在を印象づけたものだった。では、コブクロはさだまさしと同じカテゴリーなのか。。。う~ん、、、似ているのだが、コブクロは、コブクロとしか言いようが無いような気がする。さだまさしの歌はさだまさしにしか作れないように、きっとコブクロの曲は、コブクロだけが拓く世界、コブクロだけが見せてくれる情景なんだ、と思えてしまう。

名曲、というのはそういうものかもしれない。他の「名曲」と言われる数々の素晴らしい楽曲の中に置かれたとき、「蕾」も、同じだけの存在感を放って、この時代、平成19年という微妙に独特な時代に、刻印されているのだろう。ずっと。

そして、時代を超えても。きっと「蕾」は聴かれ続け、歌われ続けるだろう。そんな曲なのだ。


「蕾」の誕生のきっかけは、サビの♪消えそうに~、咲きそうな~♪の部分だったという。「そこから、全てが生まれた」と小渕氏も黒田氏も言う。

おいらも、サビのこのフレーズが大好きだ。聴くたび胸が熱くなって、説明しようの無い感動と哀しみがこみ上げてくる。

だが、実はこの曲にはもう一つの感情の導火線があると思うのだ。

それは、Aメロの冒頭部。

「涙こぼしても/汗にまみれた笑顔の中じゃ/誰も気づいてはくれない/だから あなたの涙をぼくは知らない」(「蕾」,コブクロ「5296」(2007)より)

この短い一節だけでも、十分、詩として成立する。それだけの、深みと味わいがある。


この一節が、どれだけ人の心を揺さぶる力を持っていることか。どれだけ多くの感情を刺激することか。この曲が暗喩する全てのことがらが、聴く者のココロの奥底を直撃する。

泣くとか、泣かないとかの問題ですらなく。突然に心の奥に優しい光が差し込まれたかのように、「蕾」は、人間のココロ、を唄う。感動する以外、何ができるだろう。

本当に、きれいで透明な、宝石のような楽曲である「蕾」。まるで、天使に捧げられたかのように、亡くなった人に届けとばかりに、この曲は、高く高く空へと上昇するイメージを孕んでいる。

この曲が描いたのは、限りない愛情。自分ではない者を命をかけて生かそうとする、大きな愛情への感謝と歓喜。

それが失われたことへの喪失感と、永遠に心の中に留めようとする誓いと。


「蕾」は、聴く者を「愛することのできる人間」へと還す。そんな楽曲だと思う。この曲を生み出してくれたコブクロは、本当にすごい。


追伸:この曲の「完全性」をさんざん強調した後でこんなことを書くと矛盾しているようだが、昨年末の「僕らの音楽」で演じられた「蕾」は素晴らしかった。ギタリスト小倉博和氏とのギター競演。ものすごく、沁みて、ぞくぞくした。コブクロの2人も、気持ち良さそうに演じていたなぁ。「蕾」の可能性がまた一つ開いたような、そんな感じだった。

(いつにもまして、支離滅裂。もっと伝わるように書きたいのだが。。。陳謝!)
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No.2 「コイン」 ~追憶の公衆電話~

2008-03-04 00:09:48 | 5296
今日の曲は「コイン」。

おいらが初めてコブクロを知った「トップランナー」の時点では、「コイン」はまだできあがっていなかった。小渕氏が「これが、なかなか歌にならないんですよね。」「細かいことを考えてるのが、大好きです。」と、何か凄く幸せそうに語っていたのが、印象的だった。

実際にできあがった「コイン」を聴いて、ちょっと、びっくりした。ちょっと、太刀掛秀子(なぜ知ってるかは聞かないように(笑))の少女マンガを思い起こさせるぐらいに叙情的、というかほのぼの路線で、肯定的な感情表現ばかりで、しかも優しいフレーズだらけの歌を聴いたことが、最近あまりなかったからだ。最近、、、というより、今まで、これだけ優しい曲はあっただろうか、と思うくらい、「コイン」は突き抜けて、優しい。

なんていうのかな、、、人を愛する気持ち、って、こんな気持ちだけだったらいいなぁ、、、って、つくづく思って、自分自身が薄汚れてすれてるのに気付いて、ちょっと洗濯したいような気分だった(苦笑)。


始まりから、終わりまで。「コイン」の世界は、あったかくて、やさしくて、隙がない(爆)。「出来杉君」の恋の告白みたいだ。でも、憧れる。絵が浮かんで印象に残るのは、やはり「自動販売機」のくだりかなぁ。でも、もっと妙に鮮烈な表現は、「10円玉の方が ずっと偉いんだ / 10秒間ずつキミに会える」(「コイン」(コブクロ,2007)より)のフレーズだ。

「10円玉=偉い」という小さいものへのストレートな身びいき(笑)と、10秒間ずつ、というリアルな表現。おいらも昔、東京から自宅へ電話かけたとき、やっぱり10秒間ずつ落ちてたよなぁ。。。(さだまさしは、東京から九州に電話かけたら、10円で3秒くらいしかかけられなかった、と言ってたっけ(笑))100円玉入れる、って手もあるんだけど、100円玉はおつりが出ないから、やっぱどうしても10円玉をがま口(爆)とか巾着みたいなのに入れて、じゃらじゃらさせることになる。ちなみに、「自販機で小銭を用意」というのは、最初「贅沢な奴め」と思ったけど、思い返してみれば、昔は、飲食店と酒屋以外は夜7時になれば閉店してたんだよな。コンビ二もなかったし、マクドも大都市にしかなかった。小渕氏の記憶の中の「コイン」の世界は、それよりはもっと現代かもしれないけど(苦笑)、おいらの記憶では、夜9~10時過ぎともなれば、自販機の灯りが煌煌と照っているだけで、後は街灯と信号機しか目印にならない、そんな暗い住宅街を連想してしまいます、ゴメン(汗)。

「コイン」では、彼女との穏やかな交流が描かれている。おいらも長距離電話常習者なので、その辺のやりとりは、もう非常に共感する。「コイン」を聴くようになってから、以前よりも家族との電話が楽しくなった!♪なんでだろう。「コイン」思い出したり聞いたりすると、「あ、電話しよ♪」って思うんだよね。会えてる時は、「優しくしよ」って自然に思えるし。

「コイン」は「5296」の中で、1、2を争う「啓発ソング」だと思う(爆)。これ聴いて、家族に優しくしよう。これ聴いて、恋の仕方を学ぼう。優しい気持ちになってみよう。。そんな風にもとれるんだ。

ともあれ(あ、逃げた(汗))、「コイン」は、ちょっと過去を描いた曲なんだが、その平和な世界観が、現代とはまた少し違ったアナザーワールドへの扉を開いてくれて、聴く者の気持ちを暖めながらも、最後にはその居住まいをただす、というところが特に秀逸だと思う。

ううう。。。眠くて、ごめん。支離滅裂のまま、終わります(ZZZ。。。)
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No.1 「蒼く 優しく」その2 ~もう一つの 蒼い空~

2008-03-03 22:35:30 | 5296
しつこく「蒼く 優しく」について。

先日書いた「蒼く 優しく」の感想は、おいらが個人的に受け止めた部分での感想でした。

本当は、この曲が目指してる場所、というか、この曲が届こうとしている場所、人というのは、また別にあるんじゃないか、と思ってる。


「蒼く 優しく」は、ある種、馬場俊英の「スタートライン ~新しい風~」の谺(というか、競作)みたいな存在に思えるのだ。


ちょうど、「蒼く 優しく」の制作の数ヶ月前まで、小渕氏は馬場氏の「スタートライン」のサウンド・プロデュースをしていた。馬場氏の曲はNHKの特集で取り上げられたくらい、特徴的な売れ方をしていて、そのシーンは、当然小渕氏も意識していたと思う。(だからこそ、「~新しい風~」のアレンジは、この上も無く叙情的で、安心感のある音作りになっているのだと思う。)

そして、そういうニーズ、というか、悲鳴のようなつぶやきのような聴き手の状況、というのは、コブクロも常に浴びているのではないか、と思えるのだ。コブクロの曲もまた、馬場氏のように、人の気持ちをすくいあげていく繊細さが魅力だから。つまり、切実な日常に痛んだ人達が安らげる音楽を発信している、ということは、当然その人達からの発信も、彼らは受けとることになるだろう。


「蒼く 優しく」は、どうにもならない現実に対して、立ち止まることに頷きながらも、上り坂から逃げない勇気を歌っている。矛盾するココロ、一瞬毎に風向きも強さも変わる意志。暗闇の中、手探りで世明けの「蒼」を探す、そんなココロを真正面から歌い上げている。

「こころの叫びなど 誰にも聴こえない だから笑うんだよ 涙が出るんだよ だから 輝くんだよ」(「蒼く 優しく」(コブクロ,2007)より)


これほどまでに、赤裸々な絶望と希望を言葉にした歌詞が、今までどれだけあっただろうか。しかも、その声。ピアノの音だけを伴う、黒田氏の独唱は、空まで届きそうな張り裂けんばかりの想いたぎる声で、、、深く深く、人の痛みの輪郭をなぞり、浮かび上がらせ、優しい旋律で包み込んでいく。


癒し、だけでない、痛みと熱を持った誓い。それが、コブクロなりの、今の時代に向けたメッセージなのではないか、と、漠然と思った。


だから、、、これ以上は語るまい。Leave it unsaid.もうすでにしゃべりすぎてるけど(爆)。

「蒼く 優しく」は、今年の上半期、さらに売れてほしい曲だ。いや、売れてほしい、というよりは、もっと多くの人達に聴いてほしい曲なのだ。「蕾」のように。「蕾」ぐらいに。

だって、この曲は、もしかしたら、今の時代に向けた、コブクロからの「ANSWER」であり、「YELL」なのかもしれないのだから。



休んでもいいよ。生きていこうよ。


なんでか、この曲を聞き終わった後に、いつも、そう感じるのだ。コブクロの優しさ、強さが、遺憾なく発揮された珠玉の名曲だ、と思っている。
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No.1 「蒼く 優しく」 ~空から降り注ぐ光のように~

2008-02-29 00:10:50 | 5296
コブクロの新譜「5296」から。自分なりの感想を、書いてみたいと思います。

今日の曲は、第1曲目の「蒼く 優しく」。


「蒼く 優しく」は、最初シングルで出た時から、大好きな曲だ。ものすごく苦しみ抜いて産まれたらしい経緯は、リリース当初、小渕氏が少しだけ匂わせるようなことを言っていた。曰く「曲が書けなくなっちゃったかな?」と少し不安に思うぐらい、難産だったらしい。

だが、そのできばえときたら、いつものコブクロらしく完全無欠で、帳尻合わせの苦しい部分等一つもなく、全てのピースが「そうでなくてはならない」ような完璧さで組み合わせられているように聴こえる。難産だった、ということを感じることができる要素があるとしたら、むしろ、この曲が持つ、鬼気迫るまでの迫力の中に、かもしれない。この曲は、切実だ。コブクロらしい率直な曲だが、その中に、崖っぷちを覗き込むような恐ろしい感覚をも内包している。ように思える。

この曲を聴くと、心が揺さぶられる。それは、「励まされる」とか「元気が出る」という要素も含むが、ちょっと説明のつかない複雑なココロのさざ波、というんだろうか、そういう不可思議な心地よさと振動をともなっている。

この曲は長調なんだけど、聴いてると泣ける。飲んでたら、もう「舟歌」と同じぐらい切なく響く。もちろん、コブクロの作る曲は絶対に演歌じゃないのだが、演歌が昔持っていた、生活の中で全ての人々に語りかける存在感、その強力な吸引力を、なぜだか「蒼く 優しく」にも感じることができるのだ。

たとえば。
駅ビルの居酒屋で、新幹線待って焼き肉つまみながら、夕刻にサラリーマンがたむろってる。午後10時とは違う明るさ。でも、明るいからこそ、仕事の抜けない、ちょっとやるせない表情。表面的な社交辞令と、ちょっとしたため息と、束の間の休息が生み出す幸福感と、、、そんな、茫漠とした風情の男達の頭上に、有線で流れた「蒼く 優しく」。

決して静かとは言いがたい居酒屋の中、とぎれとぎれに、でもゆるがない確かさで届く、2人の声。ギターのうなり。ベースとドラムのリズム。力強いストリングス。繊細なピアノ。そこにいる皆の頭をなでていくように、くたびれた背中にそっと舞い降りるかのように、歌が、店の中に浸透する。知らぬ間に、誰かが耳を澄ませている。いつか、誰かが同僚に話しかける言葉に、熱がこもる。

外国人の調理人が、言葉を確かめながら、ポツリと話す。カウンター席で、彼の焼く肉に中年の親父が舌鼓をうって、賛辞の言葉をかける。余計なものをたくさん抱えた孤独な人間同士が、今だけ「身一つ」になったかのようにぬくもりを求めあう。喧噪の中で、時がふと立ち止まったかのような一瞬。

コブクロの歌は、そんな場面にとてもよく似合った。あの瞬間は奇跡のようだった。「蒼く 優しく」は、普通の人間達にこんなにも寄り添うのだ、と思った。

同じく。深夜の残業帰りに、車の中で流れる「蒼く 優しく」。駅の雑踏で、流れる人波の背中を見ながらi-pod越しに聴いている「蒼く 優しく」。

もちろん、もっと健全な(笑)場面で聴かれることの方が多いだろうし、どんな場面でも、もちろん、「蒼く 優しく」ははまると思うけれど。

「蒼く 優しく」は切ない。でも、その楽曲は、水のように心にしみ込み、胸の奥に暖かい灯を灯す。

こんな切実で誠実な歌を歌いきる、彼らの声は、どこまでも優しい。衒い(てらい)もお涙頂戴もなく、ただ、率直に、どうにもならない中で、坂を登ったり下ったりしてもがきながら生きていく人間の姿を、一人称で歌っている。歌っている2人の上に、青空が見える。雨雲の向こうの光が、見える、ような気がする。


曲の構成は、いつものコブクロらしい緻密な感じだが、ギターのフレーズや、ストリングスのきっぱりした響きや、何よりも黒田氏と小渕氏の、伸びやかで陰影に富んだ声が、この曲が「今のコブクロ」であることを、教えてくれる。長調のくせに一筋縄ではいかないコード展開(あくまでおいらの主観だが)も、猛烈に心地よい。


「蒼く 優しく」は、コブクロの進化形。「苦しい」と歌いながらも、幾重の思いを纏いながら走る聖火ランナーのような力強さ。でも、不安を隠そうとしない、以前よりも少し正直な、コブクロの2人。

そして、彼らは最後に語りかける。「少しだけ 、、、休んでもいいかい」と。

もちろん、インタビュー等では「直接的な意味ではないです」と言っているが、コブクロは「STRAIGHT」(これもコブクロにとって、ものすごく大変な時期だったのではないか、と思っている)の中でも、けっこう深刻な心境を文字通りストレートに語っている。冗談めかしながら、本音を演出的に披露する、というスタイリッシュで突っ込みようのない、クレバーな表現手段を、コブクロは元々装備しているのだ。今回も、それは健在だ。

ファンは、見守るしかない。コブクロのとまどいを。彼らの絶望と挑戦を。そして、彼らの曲の奥底を見つめようとする聴き手の視線は、やがて自分自身へと還る。彼らが映し出す心模様は、聴き手自身の心模様と重なっていく。

そして、聴き手は自分に問いかけざるを得ない。自分は何に絶望し、何に挑戦しようとしているのだろう、と。わたしは、どこに行きたいのだろう、と。


この曲を聴くと、自分のことを歌ってもらったような錯覚に陥る。これは、5296全曲を通して感じることだけど。さすが「ミラー仕様」だけのことはある!


この「時代」が持つ雰囲気。この「時代」が感じていること。無数の人々の奥底に共有されている、張り裂けそうな思いと願い。その共同幻想と集合的無意識が、夢のように立ち上っている陽炎のような風景と、「蒼く 優しく」は、似ているように感じる。ふと、日常の足下の氷の下を覗くような、、、でも同時に、隣の人間のぬくもりを空気越しに感じるような、、、そんな気持ちの織り混ざった曲。「蒼く 優しく」は、そんな曲だ、と思っている。


いくら言葉を尽くしても、伝えきれないことってあるんだな。自分の表現力の無さに失望。。。無駄に長い感想でした。すんません。読んでくれた人、ありがとう。精進します(陳謝)。


付記:シングル発売当初に、勢いで書いた詩がありました(苦笑)
そこにトラックバックしてみましたが。。。あかん。この詩も意味不明や(涙)
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