起きていられなかった週末。何がそんなに悲しかったって?
被災地派遣の職員死亡「やりきれない」 宝塚市長(朝日新聞) - goo ニュース
でも、悲しがって落ち込んでたって何も変わらないんだ。彼はもう、ここにはいないのだから。
おいらとさほど年の変わらぬ彼の心が、どこか大切な人の元へ帰りつきますように。
互いに知らぬ魂同士、空の向こうでいつか出会えるだろうか。
ふとんかぶって現実逃避しながら、ぼんやりと起き出して、家族と何食わぬ顔で話して、借りっぱなしで放置していた「デッドゾーン」(映画版)を視聴。
クリストファー・ウォーケンはいいなぁ。
ヒロイン(ブルック・アダムス)もよかったし、マーティン・シーンの迫力もすごかった。
デッド・ゾーンは原作が最高なのだ。おいらホラー苦手(というか無理)だけど、デッド・ゾーンはスティーブン・キング原作なのにむちゃくちゃ大好きだ。
デッド・ゾーンの持つ世界の矛盾(スティーブン・キングはそれもわかって書いている。だからすごい。)。
「エリアンダー・モーニングの犯罪」という作品を、この「デッド・ゾーン」つながりで知ったけど、これもいつか読みたい。ほんと、矛盾。相反する結論の出ない世界だ。
悲しい。愛しい。哀しい。それしか感じられなくなる。これ読んでると。
スティーブン・キングの他の作品は読んだことないけど、主人公のジョン・スミスがあまりに「普通」ないい人なんで、読んでて身につまされることこの上ないんだ。そういえば、原作で描写されるジョン・スミスの性格は「よきアメリカ人」としての善良さ。その陽性な(ある意味無垢な)人としての美しさ、健全さは、おいらが俳優ベネディクト・カンバーバッチ氏に(勝手に)感じているマナーとも通じるところがある。
恋人のサラの悲しさも。(ちなみに、彼女をより理解するには、原作を読んだ方がいい。)
二人の再会。サラが子どもつれてスミス家を訪問する場面は、どんな映画のラブシーンにも匹敵する美しい愛の場面だったと思う。
映画見ながら、原作の場面がずっとオーバーラップしてたおいらは、ちょっと行き過ぎかもしれんけど(苦笑)。
誰にも理解されない悲哀。誰にも共感されない孤独。
それでも世界を愛する孤独。それでも、世界には理解されないことを理解している悲哀。
おいらの中の(原作の)ジョン・スミスは、どちらかというともっとカンバーバッチ氏よりな陽性のイメージだったんだけど(だからこそ、そんなジョンが追い込まれていく終盤が辛かったんだが)、クリストファー・ウォーケン氏の底なしの悲しい瞳を見ていたら、何とも言えず「今、そこにある絶望」を感じて、からだまで痛くなりました。
そんな、崖っぷちの身を顧みず現実逃避した状態のおいらが、今見ているのは「八重の桜」。
テーマ音楽は坂本龍一氏。BGMは中島ノブユキ氏。なんだか、泣けてくる感じの(西洋的だけど)美しい音楽です。
きっとこれは見る。(平清盛もだらだらと「ながら見」はしてたが。)「人が生きている」作品だと感じたから。
ああ、Parade's End見たい。もう一度。
幾億、幾千万の、魂に安らぎを。
その一つ一つが、なんと愛しい、かけがえのないものだったか。
崖っぷちにもどります。おいらは基本鈍感。鈍くてよかった。
神様ありがとう。
追伸:ここ数日Cabin PressureのChristmas Special(Molokai)をエンドレスで聞きっぱなしです。。。なんか弱ってんなぁ・・・だらしねぇ(自戒)。