二つ星の空

(旧「風からの返信」-11.21.09/「モーニングコール」/「夢見る灯台」/「海岸線物語」)

「Dr.コトー診療所2006」完

2006-12-23 18:44:48 | 「Dr.コトー診療所」
いまだにあまり言葉にならんのですが。

よかったなぁ。。。何だか、言葉のある場面もない場面も、全てしっくりして理解した気分になれたので、ものすごくリラックスして見ることができた。

全てを解釈できちゃう、ってことは、イメージを自分の想像の範囲内に全て変換してしまっている、ということで、自分の限界でもあるかもしれないんだけどね。でも、演出とかストーリーとかテーマの持って行き方の上で「?」とか「?!」がないというのは、嬉しいです。日頃は、それがストレスでドラマをあんまり見られないから。

世界と、世界。"a world"は"the world"の中の、紛れもない一つの影。

Dr.コトー診療所は、すばらしい「一つの世界」を創り上げてくれた。あの世界は最初、ファンタジーだと思ったんだけど、ファンタジーは「幻想」ではなく、「理想」だったり「祈り」だったりするのだ、と気づいた。人々の思いを介して、私達の生活とつながっている、もう一つの世界。

家人の一人は、「鳴海医師の境遇にものすごくショックを受けた、冷たい人にも事情があるのだとわかった」と言っていた。おいらからすると、家人は、そんな感想言うなんて想像外なぐらい、ものや人や社会をわかった人なんだけどね。その人をして、そんなプリミティブな想いが突き上げてくる場面、というのは、、、素敵なことなのかもしれないなぁ、、、としみじみ思ってしまった。

改めて、思う。多分、あの事件の時に、コトーは、個人的な幸せ、というものを放棄したのだ、と。もしかしたら、死んでしまった高校生の、人生を奪ってしまった(と彼は自責している)引き替えに、彼自身の人生を、医療に捧げようとしたのかもしれない。だからこそ、彼は恋人からも家族からも、交流を断ったのかもしれない。(もちろん、他にもいろいろ事情はあったろうが。)

今回の三上医師とのやりとりを見ていて、2人が並んで話していることに、ものすごく心が揺さぶられた。

彼らは、二人して、1人の命を救えなかった。コトーが裏切られ、しかし、同時にコトーがその道を誤らせた三上は、結局、コトーによって救われ、その後を追うことになった。失われた命が導いた、険しく新しい道。コトーと三上の握手を見て、「人は変わるのだ。そして、何度でも生まれ変わるのだ」と、思った。

だって、一番遠かった2人が、一番近い「同志」になるんだよ。すごい。

決してコトーは世俗的な意味で安楽には見えないんだけど、人生という観点では、本当に幸せなんだろうなぁ、と思う。人の情と愛に包まれながら、常に傷つき苦しみ続ける、命への奉仕者。なんとたくましく、人らしい生き方だろう。

あらゆる職業で、僕たちは、少しでもコトーのように生きることができる、と思うよ。そうしたら、少し、幸せかもしれない、ね。

もちろん、人生は芥多きもの。でも、自分の情けなさの底に、Dr.コトー診療所のような暖かさが、残っていると、いいな、と思う。
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Dr.コトーへ

2006-12-20 22:55:38 | 「Dr.コトー診療所」
明日はX-Dayなので、今のうちに書いておこう。

Dr.コトー診療所と出会えてよかった。こんなドラマを見られる時代に生きていて、よかった。すべてのスタッフ/キャストに心から感謝。

明日の放映、リアルタイムで観られるかどうかわからんけど、心からのエールと感謝をこめて。また逢える日まで、待っているよ。
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巨大な鏡で山間の寒村に陽光!

2006-12-18 22:09:31 | Weblog
すごい!この写真がまずすごい!記事もすごいぞ!

日の当たらない寒村の寒さは、熟知しておりますっけぇ。へぇ。
まっこと、この村の衆は、すんばらしごと、思いつきなさったねや。

素で感動してます。すごいよ。科学技術って、こんな風にも使えるんだね。単純なおいらは、今日はこれ見ただけで幸せです。

いろんなこと毎日あるけど。こんな、いいこともあるさ。ドキュメンタリー放映したら、きっと見るぞ!な勢いなのでした^-^

【こぼれ話】巨大な鏡で山間の寒村に陽光=イタリア(時事通信) - goo ニュース
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"Indian camp"

2006-12-16 01:34:59 | 「Dr.コトー診療所」
Dr.コトー診療所2006が、最終回まであと1回です。
今回の話が、いつもより緊迫していて、そりゃ最終回前は、ドラマは盛り上がるものなんだけどさ。
心臓に悪いよ~。。。
こんなに、ドラマに入れ込んでいる自分も、暇人だな、と思うけど。

観ながら、思い切り感情移入してしまった50分間。
白衣に時々目をやりながら、黙々とラーメンを食べるコトー。島の人間には決して見せない、何ともいえぬその表情。(いろいろなことに傷ついて、かすかに切れ気味にも見えるぐらいだった。無表情のまま泣くかと思ったが、さすがに泣かなかったな。)

どの場面も心に残った(病院での彩佳の壮絶な憔悴した表情も。。。星野家の両親のことも)が、一番切なかったのは、コトーが原の船で、島を離れた場面。

「きれいですね。。。僕は、こんなきれいな島に住んでいたんですね。。。」

波間に見え隠れする(すげー波だ)島の青い影を見ていると、なんだか、コトーが2度と島に帰って来れないのではないか、と思えて、悲しくて仕方なかった。
蜜月の終わり。人生の蜜月は、苦しさと優しさと激しさと一緒に、またたくまにすぎていく。

だれだったっけ?「人生は、蜜月のうちに終わってしまう」と言ったのは?

すべての人が、愛しくて、失いたくなくて、でも、とどめておくことのできない時間の流れを、鳥肌が立つほど感じてしまった。


最後に蛇足。
表題の"Indian Camp"、昔、英語の教科書かなんかで読んだ覚えがある。ヘミングウエイだっけ?

難産の妊婦が、苦しみながら、一晩中かかって出産する。
足を折って、上のベッドに寝かされていた夫は、妻の苦しむ声に耐えきれず、自ら首をナイフでかき切って、事切れた。
赤ん坊が生まれて、初めてその事実に気づく、医師とその息子。家族たち。

時として、自分の痛みよりも、他人の痛みの方が、堪え難いこともあるのかもしれない。それは、偽善なのか、弱さなのか。それとも、、、

人間の基本は、「他人の痛みは100年でも我慢できる」だと思うけど、さ。


あのとき、不思議すぎて共感できなかった夫の苦しみを、コトーを観ていて、唐突に思い出すのだ。(何十年ぶりか、わからんが、、、)

生きていくのは、すてきなことなのだな、、、逆説的ではなく、むしろ、心から、そう思ってしまう、今日この頃。

(相変わらず、壊滅的に文章力がないよー。。。)
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どうしよう。。。頑張れ。

2006-12-10 21:10:15 | 吉岡秀隆
勤務時間終わり。疲れました。
色々点検してる内に、緊急回線につないでしまって、自分内大パニック。危機管理マニュアルとしては万全。個人的には平謝り。所詮、笑い話ですが。

ストレス発散に、久しぶりの「北の国から」鑑賞。わお、我ながらショック療法!(笑)

今更ながら、自分が「ドラマ」をあまり見ない人間であることを再確認。「北の国から」や「功名ヶ辻」「芋たこなんきん」(週末限定)「Dr.コトー診療所」が、おいらのドラマ視聴の限界だ。あ、それと、「のだめ」ね。まぁ、忙しい人に比べたら、見てる方なのかな。所詮はミーハーだ。今の職場って、結構余裕なんだなぁ。去年はとてもそんな余裕なかった。感謝感謝。天地森羅万象に。

「北の国から~遺言~」。蛍のセーターが、妹の持ってるのと似たような柄だったり、五郎さんの年齢が親と一緒だったり、今になって気づくこと多し。生活者としての人間を詳細に描いてるよなぁ、、、全部、創られた世界なのに、見せ方がうまいなぁ、と思う。吉岡の語り(ナレーション)も、緩急や抑揚の付け方が巧いなぁ、とも思う。ドキュメンタリーのようでいて、けっこうエンターティンメント的に脚色が大きいんだよな、この作品。中でもトドの温泉シーンは、最高にコミカルな尋問場面だ。。。^-^;この、わけもわからない爽快感(爆笑)は何だろう。。。その後に、フォーレの「夢の後で」が、蛍の心情をリフレインする。これは、前作からのリフレイン。ミレイの絵の中のオフィーリアと緒形のタバコ。そんなイメージがフラッシュバックする、何とも切ない、リフレイン。

反対に、「Dr.コトー」の視点は、職業モード。自分には、コトーの方が、見ていて気楽だ。職業に関しては、ハードなことも受け入れられるから。反対に、「北の国から」は辛い。生活を見据えるのは疲れるから。「北の国から」ファンって、気丈だなぁ、、、と思う。

それもこれも。週末の感傷なのだろう。

Still, tomorrow's going to be another working day. Now I'm trying to get some rest.

時たま、コトー先生のように、全てを捨てて、やり直したい気分になる。でも、捨てることが怖いんだ。

沖縄の後藤先生。ADHDは捨てられないって、説得力あります(泣笑)。
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生きるということ、生きていくということ

2006-12-09 22:55:55 | その他テレビ
「硫黄島~戦場の郵便配達~」をみている。

とても平静でいられないので、みながら書き込み。

事実の恐怖は、かくも、残酷なりや。

戦争モノは、もともと興味あります。好き、という訳ではない。おいらのじいちゃんが、サイパンの玉砕で戦死しているから、だ。じいちゃんにつながるものは、何となく、知りたい。

だめだ。頭がぐらぐらする。涙も嗚咽も止まらない。でも、ありがとう。この番組が作られたことを。スタッフに、キャストに、スポンサーに。感謝。

忘れたくない。忘れてはいけない。確かにいた、あんなに苦しんで死んでいった彼ら。

それが、自分ではなかったことは、ただの偶然なのだ。


ありがとう、番組の制作に関わった人々。たとえそれがどんな形であれ、繰り返し語られることは、供養の一つだ。事実はもっともっと厳しかっただろうけど、夢も願望も鎮魂の祈りも込めて、語り継がれることを、これからも、明かりが消えないことを、望みます。

そんなこと書き込んでたら、CMでNTT東日本の「つながらない人をつくらないために」だよ。タイミングよすぎ(苦笑)!

つながっている。60数年前は、今につながっている。今が、未来につながっていることを信じているように。

そう思わなかったら、生きてなんていけないよ。これ以上の、孤独など、ないのに。これ以上の、慚愧などないのに。


追伸;

「Dr.コトー診療所」第9話、「愛を乞う者」視聴。あまりに衝撃的で、感想がしばらく出なかった。一番ショックだったのは、「この恐怖を全然共感できない人もいるんだろうな」ということに、気づいてしまったことだ。1回目に視聴したとき、思わず心が回れ右して、何も感じなくなりそうになった(苦笑)。2回目にみて、だんだん怖くなってきて、その理由に気づいたとき、なんだか、わかってしまった。これは、「四日間の奇蹟」だと。語ることのできない悲しみ。語ることの許されない苦しみ。それを、あえて解剖しなかった演出と脚本に敬意を表したい。そして、幾重もの薄布で覆われた哀しみと絶望の向こう、それでも、ちゃんと、一筋の希望は描かれていたのだ。和田さんの自転車の音。振り返った彼の顔と挨拶。コトー先生の挨拶。。。Good luck. あそこに流れていたのは、そんな空気だった。あのシーンが余韻となって、とても胸に残っている。そして、恐怖を乗り越えて病室で夫に語りかけたミナの表情は、よかったなぁ。。。毎回のことだが、今回も、ものすごくいろいろなことを感じた物語だった。

意味不明?ごめん。でも、わかんねー奴は、気にしないでくれ。きっと、露骨に描写したら、傷を持つ者がもっと苦しむだけだ。おいらは、傷がなくたって、寝るまでに、Dr.コトー診療所のサントラを1周聴いて、やっと落ち着いたんだ。おいらは、ただ柔なだけだが、悲しい人が、その傷と前向きに向かいあえるように、優しさは必要だったのだと、思う。

ふと、思う。2006版のサントラが、以前にも増して優しい音楽ばかりなのは、必然なのだ、と。
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共感する、ということ

2006-12-01 00:32:17 | 「Dr.コトー診療所」
先週からあっという間に木曜日。

コトー先生の心情を疑似体験(?)しっぱなしだった。身の程知らず~(苦笑)。

坂野(夫)の複雑な心情に一人激しく共感。コトー先生、ゆかりさんのこと「家族同然」とか言ってるしなぁ。。。先週から思ってたけど、コトー先生とゆかりさんの心の通じ合いには、夫として複雑な思いも少々あるのでは、、、と^-^;(こんな野卑な見方を許してクレイ。もちろん、それはそれで、ものすごく大事なことだと思っているし、だからこそ、ゆかりさんの治癒も納得できたのだが。)

コトー先生の落ち込みに、彼が今まで見送ってきた数多い患者のことを、想像した、、、あの人も、あの人も、みんな生きたくて、一生懸命だったのに、救えなかった、、、でも、今、ゆかりさんは助かった。本当によかったけれど、何故・・・?コトー先生の暗さは、彼の真摯さ故、という気がする。そしてまた、一歩間違えば、コトーの慎重さが、ゆかりの治療のチャンスを奪っていたかもしれない、ということ。可能性は可能性でしかなくて、でも、やがて事実は後戻りできない時に突きつけられる。その恐ろしさは、それを経験した者にしかわからないのだろう。診断し、決断する者に課せられる重圧。コトーの憔悴しきった姿から、そんなことも感じた。

そして。やはり。家族同様に心を痛めつつ、その人を切り開いて治療するのは、しんどいよ。「少し、、、疲れました。。。」に、泣きそうになった。

生き方として。働き方として。Devotionという言葉をものすごく感じた今日の放映でした。(コトー、リスキーな生き方を選んでるよなぁ。。。。。)
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