二つ星の空

(旧「風からの返信」-11.21.09/「モーニングコール」/「夢見る灯台」/「海岸線物語」)

降る雪のように

2023-02-04 22:49:39 | Weblog
崖の上から連投。

時節柄(雪には降ってほしくないから)、呼ぶようなことは言いたくないんだけど。

寂しさや空しさは、降る雪を見ている時の気持ちに似ている。

ハラハラと、あるいはザアザアと降る雪は
雨と違って、空気を満たすことがない。

降る雪を見ていると、空間の存在を、嫌でも思い知らされる。
虚しさが、可視化されたような、空白だ。

「降る雪を見ていると、気が狂う」と言ったのは、誰だったか。
(「星の時計のLiddell」だよな。彼の独白には少し共感する。)

冬は、雪のせいで、人は少し狂うんだと思う。
生きていることの虚しさを、日常の中で突然に、不意打ちのように突きつけられてしまうんだ。
ふと、我に返るかのように。

そんなね。感傷を感じたんだよ。
困りものの同僚や部下の心中にも同じ虚しさがあるのではないか、と、不意に妄想がわきあがり、
やるせない気持ちになったんだ。こんな共感、したくねぇのに。

凍てつく狂気の中で、正気を保つためには、
熱と、食料と、嘘でもいいから温かい人間の営みの摂取が必要なんだ。

今日、NHKの「大河ドラマが生まれた日」を横目で見ながら、時々泣きそうになるくらい、安心したんだ。
昭和の人々の心の動きや生活の営み。
それを摂取することで、おれは、「人間に還れる」と思ってほっとしたんだと思う。

ドラマの効能。
人間に、人間らしい心を吹き込む。

「愛とは、学んで得る技術です」と言ったのは、精神分析者の木田恵子先生。
エーリッヒ・フロムと似てるが、木田先生の表現の方が、おいらにはしっくりくる。

深夜の戯れ言。聞いてくれてありがとう。
おやすみな。
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やさしい偶然

2023-02-04 19:44:56 | その他音楽
どうも。崖っぷちの三月の風。生誕○年まであと約1ヶ月です。
月日の過ぎる速度にびびる毎日です。

今日は、長めの自分語り。偶然に救われた(大げさ)エピソードです。

この年(中年後期)になり、色々と社会経験も積んできたのだろう、と自分自身に問いかけたい気分ですが、まぁ、そういうわけで、そう言いたいぐらいには、すったもんだの日々が続いています。

一山越えるまもなく、また一山。連山っすよ。
でも、先輩の言うことにゃ、そんなの序の口。甘すぎや。赤子かてめぇ。
確かに。

そんな中で、先日、うっかり区切れよく週末を迎えてしまい、くたびれて退勤しようとしたら。
寒さの中で、猛烈な虚無感に襲われました。
ええ、あれは通り魔みたいなもんでしたよ。リーマンのおいらが、オヤジ狩りみたいに、虚無の鬼に、いきなり心臓鷲掴みにされたっす。(被害者Pの証言)

久々に震えました。
おいら、日頃は所謂「お花畑」系の精神構造なので、ストレス耐性高いし、よく眠るし食べるし笑うし、愚痴より対策派だし、割と高野豆腐並のメンタルだと自負していたのですが(決して鋼ではないことは自覚)、割と一生懸命やって何とか乗り切った後の虚無感には日頃から警戒してたんです。

だって、あれ、やばいからね。

自分がやったこと全部が、どうでもいいことのように思えて、何とか事態を終えたのに達成感なんかゼロで全然うれしくなくて、寧ろ心臓に冷たい氷が生まれたみたいな冷気と痛さと空虚さを体の内側から感じるんだ。その先は言わずもがな。

数年に1回、うっかり我に返るといけない。心にドバッと冷水が流れ込む。

それを、久々に体感しました。油断していたのか、それとも、「そろそろ一回我に返って反省しろや」という神様のお告げか。

淡々とハンドル握りながら、どんどんと心の体温は下がり続け、「わーやべぇ」と理性が警報を発令し、おいらはまず、「逆療法」と称して、やぶれかぶれで反省モードに突入し30分。自虐も含め、脳内会議。(逃げると、後で再発が厄介なので。)

そろそろこのままでは自滅モードに移行しそうなところで、脳内会議を打ち切り。
一旦停車して、音楽をかけました。

やさぐれている時は音楽も聴きたくなくなるのですが、帰宅までの道中事故るわけにはいかないので、正気を保つための保険です。

モードはランダム。第1曲は(偶然)コブクロの「Days」。

(弱ってるところにコブクロはきついか、と思ったが、久々に聞く歌声に「わぁ、やっぱり黒田すげぇ。沁みる」と少し心が震える。でも、心が半ば○んでるので、かすかにしか感じない。)

次はスピッツの「海を見に行こう」。

(S&Gの「木の葉は緑(Leaves That are Green」に似すぎてそっちが聴きたくなるので、「海を見に行こう」を聴くと日頃は少しいらっとするのだが、この日は、懐かしいチェンバロ音色のフレーズに慰められる。)

第3曲目は、コブクロ「風を見つめて」。

(これを聴いてるうちに、やっと「哀しい」と感じ、自分がどんだけ弱ってたかじわじわ実感してきた。もしかして、おまえ(音楽アプリのランダムプログラム)、俺の聴きたい曲、わかったのか?)

次にback numberの「ベルベットの詩」、king Gnuの「カメレオン」が流れるに至って、疑問は予感に変わる。

(今の気分を代弁してくれてはるような曲や。おまえ(音楽アプリのAI)、もしやほんまに、、、?)

そして名渡山遼「ウクレレによるドラゴンクエスト」より「序曲」、そして「祈りの詩」。

(気分が落ち着き、高揚してくる。もしかして、おまえ(AI?)、ほんまに俺のこと慰めようとしてる?)

次は、中島みゆきの「時代」(初期の)。続いて大貫妙子の「Tema Purissima」。そしてPharell Williamsの「Happy」。

(やべぇ、この音楽アプリ(のAI?)、日頃は俺の好み外しまくったランダム選曲することもあるくせに、今日は心の中を読むようなラインナップだ。おれ、何か、うまい具合にあやされてる?!)

そんなこんなで、「AI(というほどのプログラムではないかもしれないが)よ、感謝」と思うに至った帰り道だったのでした。
まぁ、最後はPaul Simonの「Diamonds on the soles of her shoes」で、今?何でやねん!?と思ったけど、これはこれで、「家に入る前に気分あげていけや」という激励だったのかもしれない。

おかげで、おいらは、氷点下の道中、自棄を起こさず、ローレライにも囚われず、無事に帰宅のミッションを果たしたのでした。

AIすげーな、と思いながら、同時に、「AIって、作成者がAIにどんな価値観を注入するかで、変わるもんな」という持論を思い出す。今の政権は、どんなAI使ってんだろ。スパコン使ってもあんな政策になるんだったら、作成者の価値観の問題か、インターネット上にあるデータ自体が、偏っている(この世の中のすべての価値観を網羅しているわけではない)ってことなんだろうな。

本当に大切なことは、ことばにならない。でも、ことばでなければ、伝わらない。
発しないものは、存在しないと思われる。

そんな、残酷な、昔SFで読んだフレーズを思い出しました。
そう、20年以上前は、それは「SF」として描かれた世界だったんだよ。

久々の休みで、無駄話が過ぎたようです。すんません。

(追伸)
以下に、16年前の記事を改訂(今の気分)。

いろいろと 矛盾を抱えながら僕らは歩く
哀しみも憤りも 風船のように束ねて
風に吹かれて
何もない芦原で 夜明けを迎えるために

寒いけど、みんなあったかくしてな。お休み。
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