二つ星の空

(旧「風からの返信」-11.21.09/「モーニングコール」/「夢見る灯台」/「海岸線物語」)

一瞬の続き

2005-06-30 22:42:23 | 映画「四日間の奇蹟」
一片一片、花びらが落ちるように、時が降り積もってるな~、という毎日です。
(実際は、プランクトンが降り積もるように、、、だよなー。かっこつけすぎ。)

家族からはあきれられてる。大丈夫だよ。それほど仕事に入れ込んでるわけじゃない。病気にならない程度に手抜いてるから平気さ。

でも、新しく配属された後輩がそろそろやばくなってるから。そっちの方が心配。つぶれんなよ~。愚痴はいくらでも聞いてやる。頼むから乗り切ってくれ~。。。

てな日常の中で、非日常を求めるわけで。(とりわけ、明日がXdayだったりする、こんな時には。)

しょーこりもなく、「四日間の奇蹟」
客入りはどうなってるのかな。あの映画。思い出すほど味わい深い。

原作も時々思い出す。読んだ時の驚きと嬉しさ。「こいつ、理解できる。」という喜び。恋愛なんて眼中になくて、自分の能力にしかアイデンティティを持たず、運命を呪い、良識にすがり、ちっぽけな「個」の範疇でもがいている男。ベートーヴェンにあんなにのめり込んで。客観的に観たら恥ずかしいくらいの切羽詰まりようで、やっと世の中と折り合いをつけている、哀しいぐらい正直な人間。

自分がいっぱいいっぱいなのに、人を傷つけたくなくて全力を尽くすから、かえって存在自体が希薄になってしまう人間。

Silent majorityという言葉が思い浮かぶ。発言しない多くの存在者達。そんな静かなもの達の息づかいを、間近に感じたように思う。そんな造形だったのだ、敬輔は。(「天才」という彼の特徴にも関わらず、彼の醸し出すイメージは、あくまで「良識的な普通の男」だ。)

そして、その静かな中に一貫して木霊する、彼の叫び。「俺の俺たる存在の証を返してくれ!」失われたものへの、限りない執着。それは、生々しい人の姿として、彼の静かな表層と対照的に、炎のように小説の全編から立ち上っていた。

そんなアンビバレンスが、小説の際だった部分だったように思う。

映画の敬輔は、小説版よりもさらに悲劇的に見える。
なぜなら、映画版の敬輔は、諦念の中で自分の感情すら封印し、ひたすら、善意の人になろうとしているから。彼は、「指と共に死んだ自分」を意識し、どんな願も自分に許そうとしない。千織のために生きて動いてはいるけれど、自分のために何の望みも持てない。彼が「自分」を意識するのは、動かない薬指に気づく時だけだ。そんな風に見える。

自分を殺し、絶望の中で過ごす敬輔にとって、いないはずの「自分」を「好き」と言われ、求められ続けた4日間は、(応じる余裕はなかったにしても)至福の時だったのではないか。

真理子にとって、ほとばしる自我を終わらせるために必要だった四日間は、敬輔にとって、枯れた泉を掘り起こすように自分を取り戻すきっかけになる四日間だったのかもしれない。

そして、対照的な2人が交錯した四日間を創り出したのは、ある意味「自分」を持たない存在である千織だ。

そんな千織も、真理子の憑依により影響を受けたせいか、多少なりとも「自我」らしきものを最後に手にする。

なんてデリケートでもろくもしぶとい「自我」よ。

もしかしたら、この作品は「自分、って何?」という恐ろしくも深遠な問いに答えようとしているのかもしれない。なんてことを、つらつらと思いつく。

支離滅裂だな。やっぱ、おいら疲れてる。仕事に戻ります。。。
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「四日間の奇蹟」もう少し

2005-06-28 23:25:19 | 映画「四日間の奇蹟」
手一杯な状況をやり過ごしつつ。(今日も仕事が終わらない。。。)

ぼけーっとしたいなぁ、と思うと、次の瞬間、「四日間の奇蹟」をもう一度見たいなぁ、と思う。そろそろ画像も音も荒れてくる頃だけど、できることなら大画面でもう一度。

2回見ただけだけど、けっこう映像として、また音として、記憶に残っている。

一番残っている絵は、角島に渡る、長く白い橋。何とも言えない美しさだった。多分、あの「絵」だけで、この映画はファンタジーとして成立する。ああいう橋の技術だけでも、国際的に誇れる域なのではないだろうか、とか、つい余計なことまで考えてしまった。(これは映画とは全然関係ないですね。失礼。でも、景観的にも優れているなぁ、とほれぼれしたもので。)

次に好きな絵は、冒頭でタイトルが出るところ、教会の錆色っぽく色あせた屋根と、その向こうの海の構図だ。何だろう、とても控えめでさりげない美しさがあった。ヨーロッパ映画みたいな雰囲気、といったらわかってもらえるだろうか。とてもクラシックで上品だったのだ。

その他、千織が恍惚としてピアノを弾く場面も、敬輔が未来に「千織ちゃんを憎んでいるのでしょう」と言われ、激情が突き抜けて静かに目を閉じて耐える場面も、サンドイッチを食べながら、憔悴しきった笑顔で、口調だけは気丈に未来に語りかける真理子の姿も、、、うん、色々覚えてるもんだな。

ああ、変なことに気づいた。この映画の主要人物は、疲れ切った人ばっかりなんだ。だから、見ていてすごく安らげる(?)、というか、押しつけがましさを感じない。存在の希薄さ、危うさが、優しさに近いように思えてしまうんだ。

へとへとな人間も悪いものじゃないかな、なんて思う。(自分がそうなったら、「冗談じゃない」と思うだろうが。)

全編通して流れるピアノ曲もいい。特に「月光」と「別れの曲」。「別れの曲」の場面はとても好きだ。あの2人が寄り添って生きていく姿が、とても暗示的に描かれていたと思う。そして、多分、あの場面は2人とも実際に弾いていたんだよね。(音は吹き替えかもしれないけど。)弾きながら頭を寄せ合うところに、ちょっと「ピアニスト」を感じた。弾くことで幸せになれそうな2人、に見えた。

あまり、大したことは書けなかったが。あと一週間頑張れ、の気持ちをこめて。
まだ観ていない人、映画館へ急がれたし。いい映画です。
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「阿弥陀堂だより」鑑賞

2005-06-26 00:07:50 | その他映画
休日出勤の後で、「自宅で続きをやりたくねー(怠け)」モード。
ビデオ屋に行ったら、週末レンタル半額セールやってたので、今日はさぼることに決定しました。

借りたDVDの一つは「阿弥陀堂だより」。

最近見た「四日間の奇蹟」が恋愛色薄かったという理由だけで、「どんな映画だった?」と聞いてきた友人に「『阿弥陀堂だより』みたいなんじゃねーの?」と言ってしまった。その後で、「しまった、『阿弥陀堂だより』って、映画評見ただけで作品見てねーじゃん」と気がつき、気になっていた。

今、見ている。不謹慎にも「ながら」鑑賞だ。

一つわかったこと。

「四日間の奇蹟」は、「阿弥陀堂だより」とは違う。友人よ、すまん。

映画の作り方からすれば、おいらは「阿弥陀堂だより」好きだ。見て良かった。自由度が高くて、見ながら色々と感じられる映画だ。

まるっきり、寺尾聡に感情移入して見てしまう。樋口可南子、いいなぁ。この女医さん、病気といいつつ、皆に愛されて能力があって自信がある人なんだなぁ。でも、本人は一生懸命で深く悩んでいるから、自分の唐突さとか気まぐれにも気づいていない。それが許されちゃうところなんか、いいね。今の職場にもいるタイプだ。(肯定的にとらえてるよ。おいらにはできない境地だからちょっと複雑だけど。)

寺尾聡の恩師の描き方が、いい。ただ、主人公達の「彼」に対する解釈と、おいらの解釈は随分と違うのだけど。(っつーことは、勝手読み?^-^;)おいら、基本ペシミストだからね。あの人が悟った人には、見えんかったよ。悟った人のようになろうと、努力している人に見えた。だからこそ、哀しかったし、感動した。

飯山の美しい自然にほれる、というか、懐かしさを覚える。以前、この近くにいたことがある。景色もデ・ジャヴだし、ばあちゃん達の会話なんか、あまりに「らしく」て、思わず笑った。

最後の、寺尾聡の「舞」は、生死の煩悩を払い、切るための舞なのか。恩師の願だったとは思うのだけど、ちょっとよくわからない。(もう一回見るか~。。。)

メッセージが幾重ものオブラートに包まれている、淡々としたドキュメンタリーにも似て、おいらにとってはまりやすい作品でした。

この作品を見終えて、改めて「四日間の奇蹟」は、ストーリー(物語)なんだな、と思った。それは、手法の問題であって優劣ではないけれど。物語はメッセージが強いから、人を「受け入れられる人(や積極的に楽しめる人)」と「理解できない人」に分けてしまうものなのかもしれない。(まぁ、ドキュメンタリーだって人によって好き嫌いあるけどさ。)

いやはや。難しいね。
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「四日間の奇蹟」雑考

2005-06-22 23:30:25 | 映画「四日間の奇蹟」
忙しくてそれどころではないのに、2度目の鑑賞。日曜の夜のレイトショー。カップルに紛れて。

何でこんなに観たかったのだろう、と自問する。2度目のせいか、全然泣きもしないし、仕事のことで頭がいっぱいだから全然浸れなかったんだけど、見終わった後で、損したとは思わなかった。

余裕のない心にも、降り注ぐ、灯台の光。押し寄せる、海の風。夜を満たしていく、ピアノの音。フラッシュバックのように繰り返す、この上もなく寂しい笑顔。全ての情念を透過する、波と空。少女のまなざしと、女性の透明な涙。どこまでも遠く続いている、白く優雅な橋。

心をどこかに置き忘れていても、からっぽの器がかすかによろこんでいる、そんな気がした。

この映画で満たされるのは、何も求めない人かもしれない。ぎらぎらした欲望や要求にあふれたこの世界で。疲れ果てた人は、この映画の中で、深く傷つきながら、同時に深く癒されるだろう。きっと。

まるで、無欲さを測る試金石のように。この映画は密やかに問いかける。

この映画に響くことのできた自分は幸せ者かもしれない。自己満足でしかない、あいまいで果てしない世界で。それでも、歩いていく毎日のために。永遠に自己完結しながら、そっとつぶやく。

監督、そしてこの映画に関わった全ての人に。ありがとう。心から。
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涙そうそう

2005-06-22 00:11:15 | Weblog
残業帰りに、ビール買って、夜食買って。
家で食べるうち、突然涙がとまらなくなった。
理由もないのに、とめどなく流れ落ちる水。何だろう、これは。

別に、そんなに辛い自覚もないんだが。(むちゃくちゃ疲れてるけど。)

大切な人に、何かの大事があったのではないか、と、迷信深いおいらはとまどう。

お医者は言うんだ。「涙腺がつまって、涙がとまらなくなることがあるんですよ」
それって、老人性?(汗)っていうか、これしきのビールで酔うはずもないし。

偶然つけたTVのニュースで、少し納得がいく。
サイパン島で行われた、太平洋戦争時の悲惨な自決について。慰霊に赴く、沖縄の人々について。

これだったのかな。じいちゃん?来てる?

おいらの祖父は、職業軍人でもないのに戦争初期に赤紙が来て、新婚ほやほやで戦場に赴き、そのまま何年も戦場で過ごし、時々ごくたまに郷里に帰り、最後はサイパン島の玉砕で他界した。おいらの母親は、自分の父親の顔を、写真の中でしか知らない。祖母は今でも、九段下の神社に祖父がいると思っている。(「だって、そこにいる、って言われるんだもの。他に、どこにいるっていうの?」「あの時、信じろ、と言われたことを、今になって、信じるなと言われたって、、、」)

明るい人だった、という祖父の姿を、おいらも、写真の中の、おいらより年若い青年の姿でしか知らない。

じいちゃん、哀しかったの?

甘っちょろいおいらの感傷に気づいたとき、いつしか涙はとまっていた。

うん、忘れないよ。多分、日本も、人も。地獄を見ずに済んだのは幾万のあなたのおかげ。たとえ、何と誤解されようと。何とののしられようと。あなたの苦悩を思い、あなたのために祈る。
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四日間の奇蹟(とりあえず、ここで打ち止め)

2005-06-17 00:25:42 | 映画「四日間の奇蹟」
連投です。

一番好きなシーンは、最初のタイトルが出るシーン(写し方とか間がヨーロッパ映画みたいだから)と最後の場面(教会にみんなが集まる場面)だ。後半のどこがツボかは、究極のネタばれなので、、、、お好きな方だけ、下を見てください。
















千織が、うさぎを敬輔に押しつけ(この押しつけ方がかわいい、というのは蛇足)、左手で誰かと手をつなぐ。実は、その手は死んだはずの真理子。

何がいいって、、、真理子の表情が最後まで見えないところなんだな。ちょっとうつむき加減に、千織に手をひかれて教会に入っていく真理子。

表情が見えないことで、「あ、真理子は死んだのだ。ここにいるのは、幽霊の真理子だ。」と感じて、ちょっとぞくっとした。そのシーンがまた、優しく穏やかなものだから、「鎮魂」という言葉が浮かんで、すごく印象に残った。その後、すぐステンドグラスのアップに変わるから、気分が変わるのだけど。

ステンドグラスのシーンで眼をそらされなかったら、ある意味すげー複雑な心境で見終えることになったと思う。(死について、とかまともに考え込んじゃったような気がする。)

そう考えてみると、ずいぶん、いろいろなところで技とか配慮があるんだよな、この映画。

べたなところはとことんべたなんだが。

いい映画だったです。(そろそろこの辺でお開き。気づいたら、明日期限の仕事が、、、Oh, my!)
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天使達のように(「四日間の奇蹟」補足)

2005-06-16 23:56:47 | 映画「四日間の奇蹟」
四日間の奇蹟、補足。

おいらにとって、この映画は「リアル」だった。ファンタジーなんだとは思いながら、そこに描かれている人は、身近にいそうな気がした。

***

個人的な話で恐縮だが、おいらの知人の女性は、他人に尽くすことで自分の不幸を癒してきた人だ。趣味も娯楽も知らない。おいらは、そんな彼女にちょっとでも変わってほしくて、おいらが唯一できるゲーム、つまり囲碁を教えた。

そんな彼女が囲碁教室に行くようになって、最近1人の女性にとても助けてもらっているらしい。その人は明るくて優しくて、彼女のことをいつも気にかけてくれる。(さすがに囲碁教室は男ばっかりらしいから。)

その快活な女性は、大学生のお嬢さんを脳腫瘍で亡くされた。以来、何年たってもまだそのことを現実のこととして実感できないのだという。

彼女は、喪失感を埋めるように他人を助け続ける。夫を介護し、他人を助け、いつも明るく忙しく過ごしている。

話を聞くだけで、おいらは切なくなる。世の中に、笑顔で人を救いながら、どうにもならないことに苦しんでいる人はどれだけたくさんいることか。

***

「四日間の奇蹟」に出てきた様々な患者さん達や家族達。彼らを観ながら、その人達の心の奥に広がる喪失感や苦しみのことを考えた。

敬輔の苦しみ。真理子の苦しみ。千織の苦しみ。倉野医師の苦しみ。患者さんの苦しみ。家族の苦しみ。でも、そこには、優しさも安らぎも、同時にあるのだ。そして、優しさは、苦しみを埋めることはなくても、苦しみに寄り添い続ける。

言葉で語られない、人の奥に広がる荒野の何と圧倒的なことか。

そして、死んでいった千織の両親の、語られなかった人生。そこにあっただろう豊かさと哀しみ。

安易な同情や感傷にならないよう気をつけながら、また、観に行きたい。そう思う映画だった。
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四日間の奇蹟を観た(ネタばれあり)

2005-06-16 23:35:06 | 映画「四日間の奇蹟」
ついに観ました。煮詰まりすぎて仕事も進まない、とゆーことで色々と自分に言い訳し、職場には当然「病休」っつーことで(笑)。明日から来週まで息着く間もなさそーなんです。自衛のための休暇を要求します、ってなことです。(わがままだってわかってるけどさ。)

おいらの他には、年輩のサラリーマンとか、地味そーな大学生とか、、、何か男ばっかりなんですけど(苦笑)。「お前らどーゆー事情でこの時間帯に、しかも1人でここにいるんだよ?!」とか心の中でつっこみつつ(当然、おいらも彼らにつっこまれていることと自覚しつつ)、全員が行儀良くエンドロールまで堪能した後は、皆足早に黙々と立ち去っていったのでした。平日の映画館っておもしれー。。。^-^;帰り際にちらっと見えた映写技師の兄ちゃんは、今日の観客の中に何か共通点を見つけただろうか。そんなことがちらっと気になるおいらも自意識過剰だな。

映画の感想としては、予想以上によかったです。自分の趣味に合う映画だ。ちらしを読んだら、佐々部監督が「悪人が出てくるような映画は作りたくない。自分の家族に誇れるような内容の映画を作りたい」ってインタビューに答えていた。納得。これなんだな。彼の原点は。

すごいと思ったのは、一歩間違えばわざとらしくなってしまいそうな、そんな性善説のストーリーの中で、映画の中の登場人物達が、偽善的にも人工的にも見えず、皆、「生きて」感じられたことだ。最初(年少故に)心配した尾高杏奈ですら、「人形」ではなく、きちんと「生きて」いた。すごいよ、本当に。

唯一違和感を覚えたのは「落雷」の場面と、「患者達が真理子の見舞いに来る」場面の構成だったけど、これはおいらの行動パターンにないから、というだけのことだろう。雷があんなに鳴ったら千織は怖がるだろう、とか、しかも雨までぱらつき始めたら、ダッシュで屋内に戻るだろう、とか。(でも、滅多にないくらい千織は興奮して遊んでたのだから、雷も気にならなかったのかも。と解釈。)患者さんが病院に押し寄せたからって、平田満演じる藤本所長があんなに大声を出すことはないだろう、とか。(でも、彼も動転してたんだろうな。と解釈。)

石田ゆり子がとてもよかった。彼女があんなに美しいとは、はっきり言って今日初めて気づいた。彼女の哀しげな笑顔が胸に焼き付いている。難病ものとはまた違う、苦しみを背負った、でも、限りなく透明な笑顔。

尾高杏奈も、怖いぐらい石田ゆり子に見えた。いや、真理子か。最初は「大丈夫か?」と思ってはらはらしたが、気づいたら、千織の顔が写っているのに「真理子は今何を思ってるのだろう」なんて考えていた。

倉野夫妻も、長谷川未来も、他の人達も皆、よかった。松坂慶子は、本当にいくつになっても綺麗だなぁ。。。と感動。(おいら、吉永小百合とか、松坂慶子、倍賞千恵子、浅丘ルリ子なんて大好きだから、もう出演してるだけで感激なんだけど。)

そして、吉岡秀隆は、最高だった。例の「どこまで吉岡でどこまで敬輔なんだ」状態で、心地よく観客を酔わせてくれた。ピアノも最高。彼の「月光」の解釈は、すげー好みだ。あのテンポ。あの音。うん、敬輔はそう弾くんだな、と思わせてくれた。(運指は片方の眼だけで観てたけど、それでいーんじゃないかと思う。いや、実際うまかったよ。)吉岡のピアノ指導の村松嵩継って人はぐぐっても、ほとんどわからない。メイキングに一瞬写ってたんだが。彼の弾く月光も聞いてみたくなった。(弾いてるかどうか、知らないけど。)

千織が、敬輔や真理子の寄り代になって、彼らを救ったように、吉岡は、観客の寄り代になって、観客の心を浄化してくれるんだな、と思った。おいらは、吉岡になったつもりで、千織や真理子を見守りながら映画を体験した。それは、吉岡の演技と心の故だと思う。だって、台詞はすごく教条的なのに、「ああ、こいつは苦しみながら心底そう思っているんだ」と感じさせてくれるんだから。本当に、「自覚のない天使達の物語」だ。心が温かいもので満たされて、映画館を出ることができた。ありがとう、心から。
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もやもやさん

2005-06-14 22:52:39 | 吉岡秀隆
おいらの苦手。

整理整頓。意志決定。責任追及。批判非難。(ちょっとダメ社員?)

あっかる~く励まし合いながら、フォローし合って進めないものかねぇ。(甘い?)

時々、風が必要。

自由な翼で、悪意や敵意から軽やかに身をかわしながら、笑顔を道連れに「あっちへ行こうよ」って指さしたい。伝わらない絶望も、理解されないもどかしさも、共感できない罪悪感も、すべて背負って、それでも黙って笑っていたいんだ。(宮沢賢治みたいだが。)

ま、日々修行、ってことですね。毎朝、逃げ出したくなるけど。

ここが「いるべき場所」じゃなくてもいいはずだ。花は、種が落ちたところで一生懸命に咲こうとするのだから。ね、桑田さん。(in「家栽の人」)

最後に戯れ言。吉岡秀隆がいい感じで年取ったら、桑田判事を演じてほしいな。あの笑顔は、なかなか現実の人間にはできないんだ。透過した混じり気のない慈愛。あまりにも苦く哀しいものの上で、羽根みたいに軽く、儚く強く微笑む人。吉岡ならできそう。だからさ、体に気をつけて長生きしてくれ。(観客としての俺も長生きすんべ。)
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またもや。こりもせず。

2005-06-14 01:15:11 | 映画「四日間の奇蹟」
ユンケル飲んだら、今頃になって効いてきたとです。寝るかなー、起き続けるかなー、微妙なとこですね。

「四日間の奇蹟」に出演した石田ゆり子嬢によると、女性は初恋をいつまでも引きずるものではないらしい。賛同する一般女性のコメントなんかも発見したので、きっとそういうものなのだろう。

初恋か。何をもって初恋とするかは、わからないけど。(おいらの初恋は3歳前だしね。)

大切な恋であっても、大切な人であっても、いつまでも思い続けるものでもないわけか。切ないね。いや、それは次の恋のための祝福なのか。

中途半端に長いことひきずる恋だってあるでしょう。数々の映画で描かれているように。それともあれは幻想、妄想なのか。

いや、別にいーんだけどさ。完璧に否定されて、ちょっと寂しかったのれす。それだけ。
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正しい夜の使い方

2005-06-13 22:52:37 | Weblog
映画館にはレイトショーというものがある。夜9:00以降に始まり、終了は真夜中になる奴だ。

どんな人がレイトショーに行くのだろう。

例えば、仕事帰りの職場恋愛カップル。残業の後に、夕飯に行く代わりに映画館で一息つく。見終わった後は、ファミレスでまったり。(これができるのは体力的に20代限定だな。。。)

例えば、一人っきりのサラリーマン。やっぱり残業の後に、もてあました疲労を映画館で癒す。観終わったら、コンビニで一息。缶コーヒー飲んで、明日にリセットする。(翌日は、人知れずあくびをかみころす。)

例えば、翌日休業の職場グループ。微妙な人間関係を引きずりながら、合コン未満なノリと恥じらいの中で、ぎくしゃくと並んで座る。終わったら、何事もなかったかのように解散。若干複数で闇に消える輩あり。(解散したと思いきや、闇に消えた以外のメンツが総出でカラオケに行って、出席確認することあり。気をつけろよ。)

その他、ラブホ前の前戯カップルとか、行き場のない人恋しい酔っぱらいとか、相手にしてくれる人間に飢えた蜘蛛のような痴漢とか。非日常を求める女性とか。そんなこともあるのだろう。(多分に極論で一面的な表現だけどね。ごめん。)

どっちにしても、おいら、痴漢に間違われるのはごめんだし、寂しさに翻弄されて行きずりに声かけられるのも苦手だし。

そんなわけで、1人ではレイトショーに行けない小心者。

相方と、土曜の夜に映画を見に行く。それが正しい映画の見方。とか気取ってみたりする。

そんな日が来るのはいつのことか。とりあえず、「映画を観たい」という欲求だけは日に日に募っているのだが。

あなたは夜をどんな風に使いますか。そこに若干でも夢と安らぎがありますように。おいらも、素敵な夜を過ごせる大人を目指したい。(残業ばっかりじゃなくってさ。)
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深夜仕様

2005-06-13 01:01:08 | Weblog
自己過信した。

一日真面目に働き続けたあげくに、夜更けに飲酒飲食やったら、、、、、あいたた。体が追いつかん。。。気持ち悪くてしにそーです。。。

年は取りたくないね。食べたり飲んだりする前は平気だったのになー。(生活リズムを無視し続けた祟りか。。。)

何でそんな無茶したかって?
わはは。ささやかな反乱。そして衝動(欲望)のはけ口なのでした。身も蓋もねー。

明日朝一で会議なのだ。また一週間が始まるのだ。
とりあえず、夜空に誓う。「明日は仮病使ってでも定時で帰ってやる(!!)。。。」

仮病じゃなくなりそうで、怖い。。。
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珍しく

2005-06-11 23:31:37 | Weblog
昼まで寝て、その後黙々と仕事した。やっと一区切りつきましたです。もっとも、後一つ残ってるのだが。

こんなに時間をかけてもできあがったものはこれっぽっちなんだな。たまに真面目に時間をかけて働くと、改めてちょっと寂しい。考えるべきことはたくさんあって、全部考えてるとこんなに時間がかかるんだな。日頃の自分がいかにはしょって生きてるかが、よくわかる。

明日は出勤だ。本当に、自分がコマネズミのように思えてくるよ。それでも、何かを支えにして生きている。風に吹かれて飛んでいってしまいそうな自意識と一緒に。

捨てる神あれば、拾う神あり。何だか愚痴ばっかり書いているおいらの日常が、もうちっとクリエイティブになるといいな。

最後に一筆。つい先日お世話になった人の店が火事で全焼しちまった。何というか、、、辛いね。知っている人達には全員幸せでいてほしい。俺はそんな風に欲深でわがままな奴なんだ。

だから、幸せでいてくださいね。このページを読んでくれた人も。読んでいない人達も。おいらの大好きな人達へ。
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夢が夢なら

2005-06-11 04:30:57 | Weblog
昨夜の夢。

すんごい疲れてて、目も良く開かず体も効かない状況で、車を運転してた。角でブロック塀に思いっきりこすって(っつーか、削って)「ああ~っ!!?」と悲鳴を上げながら右折して、あまりのストレスに起床。

やべーよなー。思わず愛車(プリウス)の左前方をなでなでしたくなったぜ。夢の中で大根下ろしのような瞬間を経験しちまったもんなー。

今日の夢

うたた寝してたら、頭の中で延々会話してた。相方に何だかだだこねてたな。。。

そんなわけで、ちょっくら寝直します。あでぃおす。
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心から

2005-06-10 04:03:34 | 映画「四日間の奇蹟」
夢は迎えにきてくれない。あがいてあがいて、明るい方へ手を伸ばすしかない。

友好関係を結ぼうと、降参した犬のように仰向けになって腹を見せれば、蹴りを入れられることもある。

人生だのう。。。と、体感している今日この頃。

あなたの日常には優しさがありますか。願わくば、あなたの周りに笑顔がありますように。そして、あなたが笑顔を生み出せますように。

話は突然変わるが、「四日間の奇蹟」という映画がある。おいらのように疲れた人種には効く映画らしい。観に行きたいのだが、いかんせん、時間が足りない。この日本中で、そんな人はたくさんいるのだろうな。

悔しいから、観られない間にハリウッドにでも進出してくれないかな。(観る頃までに付加価値増強(笑)。)主演の吉岡は昔リチャード・ギアと共演(?)してるわけだし。吉岡、ギアに手紙でも書いて売り込んで、単館上映からでも始めれば(そんなことができるのかどーかはわからないが)、ある種の人達の支持は得られると思う。アメリカにも、疲れた優しい人はたくさんいるのだから。(かの国でおいらが出会った人の半数以上は、日本人以上にピュアでストレートで優しい人達だった。ま、ミネソタ、フィラデルフィア、ニューヨーク限定だけど。)石田ゆり子のアルカイックスマイルが、宮沢りえのようにアメリカンに受け入れるかどうか、知りたい気もする。多分「大ヒット」はしないだろうけど、「ちょっと注目」されるんじゃないか、なんて思ったりもするのだ。そーすりゃ、人気も逆輸入。日本人はそーゆーのに弱いから、こぞって観に行くぜ。

所詮寝不足でもーろーとしたおいらの妄想だが。妄想ついでにキャッチコピーは"This is a story of angels that don't know they are."あたりか。「自覚のない天使達の物語」ってとこでどうだ?わはは、べただなぁ。

えらい誇大妄想になってしまった。別にハリウッドに進出してほしい、とか、心底そういうわけでもないのだが。

とりあえず、これもエールのつもり。心から。
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